ニコさんのコルネット
ここ1年ほど、ウォーキングの際に今まで通らなかったルートを通っている。
そのため、同じ通りの若い番地に住んでいるシニョーラ(マダム)と顔を合わせることが多くなった。彼女とは以前から知り合いではあるものの、徒歩の時は別の近道を通ることが多かったので、それほど顔は合わせる機会はなかったのだ。
彼女は水道屋さんだったフランコさんの未亡人・ニコさん(略称)。
フランコさんには生前よくお世話になった。水道関係でお世話になるといったら、たいてい不具合などの緊急時だったので、彼は本当にオタスケマンだった。ある時は、家の鍵が開かなくなり青ざめてSOSを求めたら、バイクでビュンっと、ひとっとびして駆け付けてくれたが、なんと鍵穴の中で鍵の先が折れていたことが発覚!それは、いくら鍵を回そうとしても回らないはず。なんとか、その折れた鍵の先を取り出して、ドアを開けてくれた。
フランコさんは、時々、ニコさんが焼いたトルタ(ケーキ類の焼き菓子)を差し入れてくれた。彼は「フォカッチャ」と言っていたので、塩味のものを思い浮かべたが、受け取ってみたら甘いもので、何でだろう?と思ったが、調べてみると地域・人によっては、甘い焼き菓子のトルタを「フォカッチャ」と呼ぶこともあるそうだ。
わたしは、そのお礼と言ってはなんだが、ちょうど作っていたひじきの煮付けをお渡ししたことがある。日本食ブームはすでに来ていたものの、日本食には縁のないような年代のイタリア人の方にいきなりひじきはハードルが高いかな……とは思ったものの、「海の野菜みたいなものです」と言ったら、意外にもすんなり納得して受け取ってくれた。大根の種を渡して作ってもらったこともある。なかなか立派な大根が収穫でき、わたしにも届けてくれた。
そんなフランコさんは、見た目には分からなかったものの、長らく患っていた病気があり、ある年の11月に他界された。
ニコさんの哀しみようは傍目にもとても痛々しかった。
フランコさんのオマージュとして作ったものを届けた際にも、哀しみにひしがれていたが、その後、何年か経った後にも、墓地に朝夕と足を運んでいるとのことだった。
ふたりの間に子どもはいないが、わりと近隣にフランコさんの妹さんが、バスや電車で少し行くぐらいの距離のところには、ご本人の姉妹や甥姪が住んでいるとのことだった。ただ、数年の間はクリスマスやパスクワ(イースター/復活祭)などの親類の集まる機会には、顔を出すのが憚れたと言う。家族や親類が一同に集う晴れやかなお祝いの場に行っても、フランコさんがいないことで暗い顔をしてしまい、みんなの楽しい気分を台無しにしたくないからだと。そういった内面の気持ちを、たまたま道で出会った時に口に出していた。
それから何年も経った今、おそらく、少しだけその哀しみは以前よりも薄れたように見受けられる。
わたしが彼女の家の周囲を通りがかる時に、たまたま見かければ、必ずわたしに声をかけ、どこに行くのかと問いかける。「どこに行くということでもないですが、ウォーキングをしているのです」と応えると、きまって「えらいね~」と褒められる。そして、「時々は、うちにも寄ってね」と。とは言え、ウォーキング途中、彼女がたまたま顔を出していない時に家のドアを叩いて訪問するようなことはなかったのだが……先日は、ついに家の前での挨拶がてらの立ち話では物足りなかったようで、「ちょっとだけ中に入って~、フランコの写真を見せたいから」と。
今でも玄関の棚には、ふたりの結婚式の写真が飾られていて、その写真は毎回のように見せてもらっているものの、とても大事にしていることが伝わってくる。実際に若い時のふたりの晴れの日の様子は、昔の映画の俳優・女優のようでもある。前にそのことを口に出して伝えたら、「そうでしょ?」それは嬉しそうに頬を緩めた。フランコさんを今でも愛しく想っているのがよく分かる。
そして、イタリアのお宅を訪問するとつきものの、お部屋案内。たいてい、ひとつひとつの部屋や設備を客人に見せてくれるものなのだ。(わたしはイタリア人ではないので、あまりしないけれど) それは、整理整頓をしているいないに関わらないかとも思われるが、掃除や飾ることに力を入れている方ならば、なおさら見せたい、見てもらいたいと思うのだろう。ニコさんのお宅は、お年を重ねた今も、前と変わらず念入りに整えられていて、綺麗にされていた。
ふたりの写真以外に、彼女の姉妹や子どもの時の写真なども見せてくれたが、お姉さんは昨年、“一般的な”肺炎で亡くなられたと、やや顔を曇らせた。93歳だったとのこと。他の親類の方が家にいらしたりすることは時々あるのか尋ねると、「あまりないわね。みんな色々忙しいから……」と。そうか、やっぱり淋しいんだなぁ。
「コーヒー、飲んでいく?」との申し出に、「いや、今日はもう行かないと……またの機会に」とお断りしたら、「じゃあ、食べるものをあげるから、ちょっと待って!」と、個包装のコルネット(クロワッサンのイタリア版みたいな菓子パン)をわたしの手に持たせた。「なんだか、ニコさんの朝食を奪ってしまうようで……」と言うと、「そんなことないの!朝食にそういうの食べる?食べたかったら、今、食べてもいいのよ」と。そして、「次は、コーヒー、飲んで行ってね!早めに通ったら、家のドアを叩いてみてね!」と続けた。
彼女は「母」ではないけれど、なんだか「お母さん」みたいな感じで、わたしはおやつをもらう「子ども」のようだった。