読書: #7a 世界は「関係」でできている | カルロ・ロヴェッリ (冨永 星 訳)
人が何かについて書き置こうとする心の動きは様々だと思われますが
今回の投稿は 豊かな読後感に恵まれた喜びと満足感を 誰かに共有したい気持ちに基づいています。
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平易な言葉で 人文学の造詣に基づき物理学を語る著作群で有名な イタリア人理論物理学者 カルロ・ロヴェッリ / Carlo Rovelli 氏 。
この著書は 量子論を題材にしたものです。
私が氏の名前を知ったのは 邦訳著書の『すごい物理学講義』が欧州で人気と聞いた時でした。書店で少し立ち読みし いずれ読みたいと思うと同時に もう少し敷居の低い内容だったらなぁ とも感じました。
そういう意味で本書は 自分にとって "ロヴェッリ本" を知る最善の選択になったと思います。
おしゃべりを 始める前の露払い さっと刷ります 免罪符
この道に詳しい皆さん、
私の量子論の理解度なんぞズブのにわかレベルですから 以下の浅薄な記述には噴飯ものでしょう。物理学専攻でないとしても 教養課程すら適当に流してたのか?と。。。
だけど、一部の都知事候補の政見放送より無害だと思えますので 笑って見逃してくださいませ。。。
科学とその周縁が題材の イタリア知識人風 ガイド付き庭園ツアー
専門外の人にも、そうでなくても、おそらく未だ謎だらけであろう量子論ですが 本書は その謎の追求から得られる’ものの見方’と 我々の日常生活との関連、そしてそれらが未だ一般に認識されるに至っていないことを 専門用語を控えつつ 人文学的教養を交えて述べている点が特徴的です。
量子論のイロハを詳しく解説するのが目的ではないので 分類としては Popular Science分野 にも該当しないかもしれません。寧ろ エッセイに量子論が登場する感じで 文中に引用される数式は 極く僅かです。
その配慮のお陰で 感覚的にしっくりこない量子論ワールドの気味悪さに怯えたりキリキリ舞いさせられることは ほぼありませんでした。
イメージ的には ロヴェッリ氏が庭師となって仕上げた ’知識人の庭園’ に 自らがツアーコンダクターさながらに 旗を振りつつ先導し 巧みな話術で団体客に語りかけてくれる感じです。庭園巡りの遊歩道は 右に左に大きく振れながら 読者を飽きさせず 揺れる楽しさを共有してくれます。
とは言っても 一読しただけの自分に要約できる代物でなく 謎めいた庭園の美しさを適切には表現できません。。。。
庭園に植わっている樹木や人工物を少し具体的に書くなら:
-量子論の創始者や関係流派/グループのドラマチックな人間関係、
-量子論の不思議さを示す実験と考察、
-量子論前夜の偉大な科学者達の足跡、
-レーニンのライバルに科学者が与えた影響とロシアの革命闘争、
-果ては仏教思想の「龍樹」
といったところでしょう。
ただ ツアーガイド/著者が先導する本書の中の動線は 必ずしも時系列に沿わず 著者の回想を軸として 同時に別の場所に存在していたりすることもあります。
それぞれの見どころを共通に貫いている ’量子論’ という一本の道に沿って 教養たっぷりに言及された語りには 不勉強な自分が知らなかった様々な事実が散りばめられています。
ヘルゴラント ーー 書名の変遷と 御利益
イタリア語原著の書名は 『Helgoland』 という 北ドイツの孤島の名前そのもので 副題も付いてないようです。従って 邦訳版の書名は NHK出版さんの創作なのでしょう。
邦訳版の副題は 上掲のペンギンブックス英語版を参照したと想像されますが ”strange” の代わりに ”過激な” を宛てたのは 「奇妙で美しいお話」 だと普通すぎる、という大人の判断かも知れませんね。
ですが 全体を通して 過激 が登場する箇所は僅かです。
なお 本質的なことではありませんが 真っ赤な装丁には ちょっと辟易。
NHK出版によるロヴェッリ氏の邦訳前著『時間は存在しない』は真っ青な装丁だったので 著作毎に色遣いを変えてシリーズ化を目論んでいるのでしょう。ですが 本書のメッセージ的に 赤 は遠い気がします。
などと 冒頭からケチをつけてしまいましたが 他に不満はありません。
もし "ヘルゴラント" のまま出版されていれば この本と自分の引き合わせは起きなかったでしょう。なぜならこの邦題に惹きつけられたわけですから。
これも御縁なのでしょう。
量子力学の黎明期と キラ星の科学者達
様々なエピソードが綴られる本書は まだ20代の若きハイゼンベルクが滞在する北部ドイツの孤島 ヘルゴランド島から始まります。
孤独な環境で黙々と不可解な原子の電子遷移状態を計算するハイゼンベルクが行列式を利用した表現を発見する 逗留中のエピソードが描かれ
彼の才能を見出したデンマークの物理学者ニールス・ボーアや当時の欧州諸国の若き頭脳達の個性、彼等の関係性、生き生きとした切磋琢磨の姿などが併せて紹介されます。
例えば 恋愛にルーズなシュレーディンガーの (同じオーストリア人のクリムト的な?)人となりや 若い科学者を優しく監督するかのようなマックス・ボルンの人柄などは 教科書によくあるオマケっぽい説明でなく 著者/ロヴェッリ氏の人間味のある眼差しから綴られています。
勿論 このあたりのお話は量子論に造詣のある方には新味がないでしょう。著者の意図として 量子論がさっぱり判らない人や 面白いエピソードに触れるところから新しい世界を覗いてみたい読者を対象としているための歴史的おさらいでしょうから そこは御愛嬌で。
私自身 量子論は恐れ多いと見做してきたクチですから ロヴェッリ氏の引用するエピソードのお陰で 個々の天才科学者達が量子論の黎明期に果たした役割と彼等の立ち位置が 漸く 頭の中に区分されました。
誰もが訴える 量子論の居心地の悪さ哉。。。
第二部では 量子論の奇妙さを誰にも理解してもらえる やさしく具体的な事例紹介が始まります。
とはいっても 下記の単純な実験モデルひとつのみですが。
新たな概念や謎だらけなので幾らでも風呂敷を広げやすい知的領域なのに 敢えて一つの実例に絞った点が ロヴェッリ氏の本書の読者に向けた狙いなのでしょう。
著者がその昔 インスブルック大学のツァイリンガー博士の研究室で出会った装置が ”量子重ね合わせ” 現象を 年若きロベッリ氏の眼前に初めて示します。
かなり端折りますけど 現象のポイントは 下記の落書きで:
?、、、、、、
人による「観測」という行為が加わると 光子の現れ方が変化する
、、、、、、?
それはハイゼンベルクがヘルゴランド島での苦心の末 行列式で表現した事実 ーー 光子の位置は直接観測出来ず エネルギー状態を経由して確率的に把握することしかできない ーー にも似て
なにやら 我々の棲む世界の 人間には秘された理のようにも思えてきます。
当時は 著者ですら当惑し 以下のように慨嘆しています:
日常の生活感ベースでは考えつかない事実に向き合わされるので
量子論に馴染みのない人は特に この未解決の事実に気味悪さを覚えることでしょう。
その根源を宗教やオカルトと同列に並べるのは容易ですが 当然ながら 物理学者は形而上的な諦念を良しとせず 冷静に辛抱強く 理論的追求を行います。
単純な実験だけに この奇妙な現象が起きる理由をどう納得すればいいのか?
我々の世界がニュートン力学を含む古典的な物理学ですべて説明されれば都合が良いのですが 実際に起きている現象は それを観測する人との関係性によって左右されている。。。。???
そしてその理由を完全に理解する人は 未だ現れておらず。。。。
この世界に実在している 実験に基づく動かせない現実が 本書で度々語られる「相互関係性」の論拠となり 物理学で観測される現象が 著者の語りを通じて 徐々に哲学へ連結されていきます。
言い遅れましたが 上述した光子の振る舞いを解釈したのが 言葉はよく聞く あの「シュレーディンガーの猫」という思考実験なんですね。
箱の中の猫は起きているのか? 寝ている(死んでいる)のか?
いやいや、その両方の状態なんですよ、というアレです。
そして
このあとの章から 本書の中心的な概念であり、自分がぼんやりと思い描いてきた宗教的もしくは哲学的な空想に紐づく 「関係」について 理論物理学者としての見解の共有が始まります。
ただ、、、、その端境に語られる 量子論を構成する基礎概念、量子論黎明期の申し子達の解釈、事実との矛盾などの記述は 私には歯応えがあり過ぎ あまり囚われず読み進めるのが妥当と判断しました。
先へ先へと進める中で ロヴェッリ氏が一般的読者に受け容れやすいように「関係」の概念をお茶目な語りで補ってくれるのでホッとします:
これです。
困難な現実に屈さず思考を続ける物理学者の オカルトや宗教に走らない 平易な言葉に抽象された意見を聞いてみたかったんですよね。
ですが 懐疑的姿勢を崩さずに居るべきだとすれば
ロヴェッリ氏が実は怪しい教祖様で、人を煙に巻いて小金を稼ぐ小悪党の類である疑いは晴れません。。。
他人の言を盲信するのは愚かですけど、量子論の大いなる真理/謎を自身で探求できない自分のような凡夫は さぁどうやって氏の主張を理解すればいいのでしょう? 結局は 信用の置けそうな他者を 肚感覚で信じる愚に落ち着いてしまうのかも。。。。
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青く枝振りの良い樹木と それが作り出す浅い日陰、
幾何学模様の水路、噴水、なだらかな傾斜がついた遊歩道、等々
ロヴェッリ庭園の全容を 興奮したお上りさんが形容し 長々と語れば
実物の壮観さを毀損しかねないので あっさりと庭園のスケッチを残す程度に止め 残りは後日 投稿しようと思います。
なお 本物のガイド付き庭園ツアーは 是非 書店で本書を手に取り経験していただければと思っています。
その際は 訳者 冨永星さんが あとがき で鮮やかにまとめてくださっている本書の構成や余談の類から 必見の要所を俯瞰できるでしょう。