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こころは叫ぶ(Why should I sleep, W.B.Yeats / M.McGlynn )私訳


こころは叫ぶ

風よ、風よ、潮風よ
なぜ眠らねばならぬのか
風は空の雲うち追える

風よ、風よ、潮風よ
なぜ眠らねばならぬのか
風は空の雲うち追える
われはつね風のごと彷徨う

風よ、風よ、海の風
なぜ眠らねばならぬとこころは叫ぶ
いまは眠れとこころは叫ぶ
風よ、潮風、海の風
かぜ、うみのかぜ

われはつね空を風のごと彷徨う
(得るものなしに彷徨うのみか)

いまは眠れ 汝は年ふり眠るがよい
ねむれ ねむれ ねむれ

Why should I sleep(楽譜本体の記載による)

"O wind, O wind, O salt wind,
Why should I sleep,
For the wind, the wind Is beating a cloud through the skies;

"O wind, O wind, O salt wind,
"Why should I sleep,"
For the wind, the wind Is beating a cloud through the skies
I would wander always like the wind

"O wind, O wind, O sea wind,
"Why should I sleep," the heart cries,
Cries the heart, it is time to sleep
For the wind, the salt wind,the sea wind
For the wind,the sea wind

I would wander always like the wind through the skies
(Why wander with nothing to find)

Time to sleep, Better grow old and sleep
sleep,sleep,sleep.

Why should I sleep(イェイツのテキストによる)

"Why shold I sleep,"the heart cries,
"For the wind,the salt wind,the sea wind
Is beating a cloud through the skies;
I would wander always like the wind."

"O wind, O salt wind, O sea wind!
Cries the heart,"it is time to sleep;
Why wander and nothing to find?
Better grow old and sleep."

「鷹の井戸」松村みね子訳、楽人の歌より

こころは叫ぶ、われ眠りてあらめや
風、潮かぜ、海かぜ
そらの雲をふきまくる
われは常に風のごとくさまよはましを

ああ風よ、潮かぜよ、海かぜよ
ねむるべき時なるものをと、心はさけぶ
求むるもの得がたきに何時までかさまよふ
はや年老いて眠るこそよけれ


アヌーナ Why should I sleep


補足

"Why should I sleep" はイェイツの戯曲「鷹の井戸(At the hawk's well)」のテキストをもとにマイケル・マクグリンが作詞・作曲。2016年日本で上演された能「鷹姫」(実際の公演動画はこちら)の音楽を彼が担当した際に制作されました(実際の舞台では彼の主催グループANUNAがバックコーラス?として参加しましたが、公演でこの曲は使われていません)。

上記では原文を複数掲載しています。
一つ目の、楽譜本体に記載された歌詞とは、楽譜五声の歌詞について、おそらくこの曲を聴いた人にはこのように言葉が聴こえてくるだろう……という観点で筆者が便宜上整理したものです。カンマやコロンが多用されていますが、これはマクグリンが元テキストをそのままコピー&ペーストしたためと思われます。
二つ目はイェイツ「鷹の井戸(At the hawk's well。全文はこちら)」のテキスト抜粋です(楽譜にも別途掲載されています)。
2パラグラフの詩に見えますが、戯曲全文を確認すると2パラグラフの間に別の台詞がいくつか挟まっており、連続したものでは「ありません」。いずれも物語が始まる前、主要登場人物である老人と青年(クーフーリン)が現れる前に物語の設定などを語る、楽人の歌からの引用です。
前述の通り、この曲は能公演のコーラスをマクグリン主催の合唱グループが行うにあたり作曲されました。戯曲冒頭に現れる楽人の歌を歌詞に使用したのは、舞台公演におけるコーラスは元の戯曲の楽人に近い存在だと作曲者が考えたからでしょうか。

イェイツのテキストと楽譜本体のテキストを読み比べると、作曲者マクグリンがイェイツのテキストをかなり大胆に再構成していること、それによりオリジナルのフレーズが生じていることが読み取れると思います(最初のフレーズからイェイツのテキストと全く違います)。記事最初に置いた拙訳は楽譜本体の記載テキストを訳したものです。

さて、マイケル・マクグリンがこの曲を作曲する切欠となった戯曲「鷹の井戸」あるいは「鷹姫」ですが、あらすじは以下の通りです。(参考

その荒涼とした山腹には干上がった井戸がある。
井戸のそばには老人がおり、井戸に時折湧く、不死をもたらす水を飲もうと待ち続けていた。
井戸の噂を聞いてやってきたクーフーリンに、老人は、井戸に水が湧くと自分はいつもふしぎな眠気に襲われてしまうのだと語る。目覚めると水は既に干上がっており、それをくりかえして五十年が経ったのだと。
やがて井戸から水が湧き出すが、老人は眠りこんでしまう。水が湧き出すのと同時に現れた鷹の女の踊りに誘われ、クーフーリンもまた水を得ることはできない。やがて目覚めた老人はクーフーリンを引き留めるが、クーフーリンは戦場へ赴く歌を歌い、去る。
(能『鷹姫』では老人は岩に変わり、クーフーリンが去って終わる)

イェイツの「鷹の井戸」は日本の能、とくに夢幻能を参考に作られたと言われます。
夢幻能は大抵、二部構成となっています。前場で旅人(ワキ)の前に神や鬼、天狗などの人外の存在(シテ)が現れ、後場でこのシテが己の過去について語り舞い、消えていくという構成です。(参考)「鷹の井戸」は老人、クーフーリン、鷹のような女、の3名が主な登場人物となりますが、能に当てはめればクーフーリンがワキ、老人がシテとなるでしょう。
つまりこの物語の主役は老人であり、クーフーリン(や、鷹の女)は老人に語らせるための媒介としての存在です。

私もお前と同じやうに
身も心もわかいとき、幸運の風に
吹かれたつもりでここに来た
井戸は涸れてゐた、私は井戸の隅に坐つて
奇蹟の水の湧くのを待つてゐた、私は待つた
とし月が経って自分が枯れてしまふまで
私は鳥を捕り、草を食ひ
雨を飲み、曇りにも晴れにも
水の湧く音を聞きはづすまいと遠くにも行かずにゐた
それでも、踊り手たちは私をまどはした。三度
不意の眠りから目が覚めて
私は石が濡れてゐるのに気がついた

「鷹の井戸」松村みね子訳、老人の台詞より

戯曲中の老人の台詞を見ていると曲タイトルにもなった楽人の歌の一節、「Why should I sleep」は、不老の水を得ようと待ち続け裏切られ続けた老人の叫びの核心に思えます。

なぜ折角の機会を目の前にしながら自分はくりかえし眠ってしまったのか。なぜいま井戸は涸れているのか、なぜ望みは叶わないのか……なぜ自分は(奇蹟を得られず)むなしく死なねばならないのか、永遠の眠りにつかねばならぬ定命の存在なのか。
ですが、そうした嘆きが戯曲の核心であるならば。この戯曲は老人というひとりの人間の物語というよりはもっと別の、人や、この世の諸行無常のむなしさのようなものが主人公であるようにも思えます。
実際、老人たちが現れる前、物語の設定を歌うべき楽人は以下のようにも歌います。

いのちは忽ちにをはる
そは得ることかうしなふことか
九十年の老の皴よる
身を二重に火の上にかがむ
わが子を見てはたらちねの
母はなげかむ、むなしきかな
わがすべてののぞみすべての恐れ
わが子を産みしくるしみも      

「鷹の井戸」松村みね子訳、楽人の歌より

曲の歌詞では第三パラグラフ以降、戯曲のテキストが入り混じって聞こえ始めます。
「なぜ眠ってしまうのか(why should I sleep)」「いまは眠れ(time to sleep)」という矛盾したこころの叫びが曲の中では連続して発せられ、「Better grow old and sleep.」のsleepは何度も繰り返されフェードアウトしていきます。「なぜ眠ってしまうのか」と考える老人ではない、全てを把握している第三者が老人に告げた言葉のように(このため拙訳では原文にない呼びかけの対象"汝"を入れています)。
老人を眠らせたのが「何」かは、戯曲の中では語られません。
井戸も鷹の女もクーフーリンも、すべては老人の見た長い長い夢の片鱗だったかもしれません。能「鷹姫」では石と化してしまった老人の。

最後に参考として、松村みね子訳について。
一行目の「われ眠りてあらめや」の「や」は反語の係助詞。「この自分が眠っていたというのか(そんなことがありえるだろうか)」といったニュアンスです。原文shouldの驚きや強調のニュアンスを盛り込んだと思われます。
「はや年老いて眠るこそよけれ」というのはリズムの良さも相まって、最初の引用とは一転して疲れ切ったような、かなり達観した言いまわしだなと思います。
元のテキストだけでなく翻訳者松村の解釈もあってのことと思いますが、テキストが入り混じったことやタイトルの選択により、マクグリンの曲ではこうした諦観のニュアンスは比較的減じたと言えるでしょう。

アイルランド文学翻訳家である松村みね子は歌人としては片山廣子と名乗っり、随筆集「燈火節」で「鷹の井戸」に関する随筆を書いています。(青空文庫

なお原文のsalt windは潮風、海から陸の方向へ吹く風を指します。sea wind(海風)は海上を吹く風全般の意味と、日中、海から陸に向かって吹く風の意味とあるようですが、salt windと同じ意味で使われることも多いようです。

戯曲「鷹の井戸」ロンドン初演時の衣装はサイモン・スターリングが再現、2014年の横浜トリエンナーレで展示されています。(画像はこちら)前述の「鷹姫」公演は2016年と、2010年代は「鷹の井戸」があちこちで注目されていたようです。

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