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月曜日の図書館 浮遊するこたえ

電話で「1の次が2であるのはなぜか」と聞かれる。これくらいで驚いてはいけない。似たような質問を唐突に投げかけられるのは日常茶飯事。淡々と数学の本を紹介する。こういう本を調べたらヒントが見つかるかもしれませんと言うと、いやだからなぜかを教えてほしいんだよと、相手はあからさまに不満そうな声になる。

図書館は子ども科学電話相談ではない。答えをやさしく教えたりはしない。そこにたどり着くための、手段を授ける場である。

このさなぎがオスかメスか知りたいというおばあちゃんに、M木くんが対応している。ほらかわいいでしょなどと言っているので、てっきり写真かなにかを見せているのだと思っていたが、後から聞いたら本物を手に乗せて持ってきていたとのこと。

残念ながら、さなぎの形から雌雄を判別する方法がわかる本は見つからなかったらしい。確かにかわいいさなぎでした、とM木くんは言った。

木の枝や、花びら、虫の死骸やたまご。好奇心旺盛な大人は、ナマモノを館内に持ち込みがち。

新刊でイモムシの画集が入ってくる。画面いっぱいに大きく描かれたさまざまなイモムシ。繊細なタッチが美しく、みんなで眺めてしばしうっとりする。T野さんが、今度の新刊紹介はこの本で書こうかな、と言う。

大人にも、科学電話相談が必要。

市内にある、キャラメル工場の写真が載っている本はないかと窓口で尋ねられる。今も現役だが、創業は大正時代だそうで、その当時の写真が見たいとのこと。

調べていくと、写真はさっぱり見つからなかったが、工場で今も作られているキャラメルのパッケージがとてもかわいいこと、息子は工場を継がずに野球選手をしていること、チームの中でイケメンNo. 1に輝いたことなどが判明した。

キャラメルだけを100年以上も、今日も明日も明後日も来世でも作り続けるとは、なんて壮絶な人生なのだろう。

なぜ、と聞かれても、ただそういう家に生まれたから、と答えるだろうか。1の次には2がくるように。1たす1が2であるように。それが自然な成り行きだった。

けれど、そこに疑問を感じて(かどうかは知らないが)、キャラメルではなくボールを追いかける人生を選択する者も出てくる。1の次には本当に2がくるのか?それは「当たり前」なのか?

答えは誰にも教えてもらえない。自分の手で、泥まみれになりながら、つかみ取るものだ。

人生を野球にたとえるのは日本人のよくない癖だとラジオのパーソナリティが力説していた。

昔の新聞が見たいというおじいちゃんに、あちらの窓口で受け付けます、と言うと、ひゅるひゅると移動しはじめ、窓口を通り過ぎて、どこまでもどこまでも行こうとするのだった。M木くんがこちらですお客様、と呼びかけているが、当然のように耳が遠い、聞こえない。

まるで無重力空間に放り出されて永久運動する宇宙飛行士のようだった。歳を重ねると重力に左右されにくくなるのだろうか。

無表情でいすに腰かけたまま、足をふわっと宙に投げ出してみる。

帰り道、近所のスーパーに寄ってみると、イケメンのキャラメルを発見したので買う。職場に持って行ってみんなで食べよう。古い写真が本当に残っていないか、もう少し粘って調べてみよう。

vol.93

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