* * * お座りが少し安定して、 おまるに座らせた生後8ヶ月。 座れたら万歳!出たら万歳! パンツで過ごした一歳半ごろ。 おしっこ出なかったら万歳! 母が仕事復帰して紙パンツ復帰。 トイレに行くのは気が向いたら。←母の 紙パンツに出てても、まぁ良し。 トイレで出たらラッキーぐらいの。 ゆるい、、、ゆるすぎるトイトレ。 そして長い!長すぎるぞトイトレ! * * * 年少さんになり トレーニングパンツ持参の4月。 トレーニングパンツ登園の5月。 そして6月トレパンから布パンへ。
* * * 振り返れば、たくさんの人に、 おめでとうと言ってもらえた。 家族でも親戚でもない人からの おめでとう!可愛いね!の言葉が 心底嬉しくて前に進める力になった。 * * * おかげさまで、 つりあがった目も 折れ曲がった耳も 太くて短い首元も 離れた母趾さえも 心底可愛いと思えるようになった。 * * * 見比べては落ち込んだ特徴を 今では愛おしく思えることを 人は見慣れたからだと思うだろうか。 それとも 受け入れられたからだと言うだろうか。 * * * 4歳になった
* * * 一歳過ぎに療育手帳申請して取得。 そんな早く申請しても通らないと 問い合わせしてはめげて、 出向いて話してめげて、 めげてもあきらめず、 (育休中に面倒な手続きをなんとしても済ませたかった根性) ダメもとで主治医に頼み込み申請。 * * * したら、一歳ちょっとで手帳取得。 あれから二年、、、先日やっと、 療育手帳の更新の手続きを済ませた。 児童相談所で検査して結果聞いて 軽く落ち込んで、更新おしまい。 * * * 3歳0ヶ月で、1歳7ヶ月の診断。 また、小さな石
誰かと笑うこと。 誰かと会うこと。 誰かと話すこと。 ご飯食べること。 社会で働くこと。 ライブ行くこと。 旅行に行くこと。 何かを望むこと。 生きていくこと。 * * * 産後の病室で涙に明け暮れ もうできないと思ったこと。 たった、三年で全部できた。 いやいや、正しくは一年で 働くこと以外はクリアした。 しかもライブは2度も行った。 産後の空っぽのお腹を抱えて、 クリープのライブに行けないと おいおい泣いた自分に言いたい。 そんなことはすぐにかなうよと。 できないことなん
* * * 毎年きっとこう思う。 「ごめんね」 あの日、喜びいっぱいの気持ちになれなかったこと。 「ごめんね」 涙で溺れそうになる毎日を送ってしまったこと。 「本当にごめんね」 * * * あれから二年経っても 後悔は消えず、 前に進む毎日を過ごしつつ ふと振り返ってみるけど、 どうしても悔いは消えない。 * * * 病院のお祝い御膳を涙を一緒に飲み込んだこと。 お祝いのメッセージカードを捨ててしまったこと。 可愛いと思えずいっそこのままと思ったこと。 おかげでしばらく写真も
* * * 娘、お絵かき部門に関しても、 相変わらずのマイペースである。 いまだ、顔が描けないのである。 今日も今日とて宇宙語を書く娘。 本人はこの上なく真剣な表情で 文字でもない丸でもないものを ひたすら紙一面に書き記すのだ。 おバカな母はその中に目を凝らし 娘の進化を探し当てようと必死! 時折、顔らしきものを発掘しては 小躍りし、次も書けると期待する。 しかし、 次を待てば待つほど、それは長く。 娘は一向に顔を描こうとはしない。 丸をたくさん書いていた、半年前。 そこから
* 来年度は年少さんになる娘。 大きくなった。成長してる。 毎日が、喜びに満ちている。 * * * とはいえ、子育てには 悩みや迷いがつきもので 誰もがそれぞれの小石に 時々、つまづいてしまう。 * * * 進級にあたってのおたより。 保育用品の注文書を眺める。 サインペン、らくがき帳、 リュックサック、園帽子、 出席シール、出席ノート、 保育用品の注文の欄が並ぶ。 * * * 体操服…体操服は… 100からの注文欄しかない。 100かぁ…、そうかぁ…100。 体操服も半ズ
* * * うたをうたえば くつ〜がなる〜 はれたみそらに くつ〜がなる〜 * * * 耳を疑う歌声。 父が歌っている。 私の父だ。 * * * 私は父の歌など聞いたことがない。 聞いたことのある歌といえば、 スナックに呼び出され無理矢理聞かされた 酒に呑まれた河島英五ぐらいだ。 そこはかとなく音痴だった。 なにせ私は、父に歌を歌ってもらったことなど 一度もない。 記憶がないのではなく本当に一度もないのだ。 * * * 団塊世代から少し遅れたが ほぼほぼ団塊世代の父。 働くこ
生まれてきたこと。 ミルク飲めたこと。 体重がふえること。 呼吸ができること。 朝、目覚めること。 今生きていること。 * * * 娘が生まれて、 あたりまえだと思っていたことは、 何ひとつあたりまえではないことを知った。 * * * 三年ぶりの夜勤を終えて やっとこ家に帰ったら、 下駄箱の靴を全部出して、 玄関で出迎えてくれた娘。 お父さんは?と言えば、 呑気に洗濯物を干していた。 おいおい放置かよ〜とも思ったけど、 娘がこうしていたずらしていること
* すぐに忘れてしまう人と 覚えるまで時間がかかる人 ちがうけど似てる。 これは近所のおばあちゃんと娘の話。 * * * 早朝のゴミ出し 昼下がりの散歩 夕暮れの買い物。 肩を並べては声かけて励ましてきたけど とうとう一人では暮らせなくなってきた。 たくさんのゴミ たくさんの食品 山のような衣類 埋もれる記憶。 * * * グループホームへ行く前日には 何が何やら分からなくて 「ボケちゃった」って服に埋もれてた。 私は何もできなくて お昼にカレーを一緒に食べた。 * * *
一歳前。 地域の支援センターに時々連れて行ってた頃。 それはそれはすごく勇気がいることだったし、 「何ヶ月ですか?」って訊かれないかドキドキ 案の定訊かれようものなら、苦笑いしながら、 「うちの子ゆっくりなんです」って答えてた。 で、 平気な時もあったし、帰り道がなぜだか滲んだ日もあった。 * * * 何度か通ううちに顔見知りができたり、 娘の成長を先生に報告できたりしてた。 支援センターは毎月お誕生日会があり、 「さーちゃんもおいでよ」 さーちゃんと呼び慣れない名前で呼ばれ
『私の人生で起こったことの全てが 私の人生を豊かにするためだった』 * * * 産後にたまたま見ていた テレビ(NHKの72時間)で たい焼きを買って、 インタビュー受けてたおばさんの言葉。 * * * その昔、娘さんを亡くしたらしく、 ひどく落ち込んだこともあったが、 色々考えてたどり着いた答えだそうだ。 * * * 有名な人ではなく、 特別な番組でなく、 ただ、たい焼きを買いに来たおばさんの言葉。 * * * 産後の私の心の穴にスポッとはまって蓋をして、 それから
三人目。 自分の年齢を考えると、 いろんなリスクも気になったけど、 もちろんダウン症も気になったけど、 待ち遠しい気持ちが大き過ぎて、 浮かれ過ぎたアラフォー妊婦。 * * * 三人目にして、またも微弱陣痛。 なかなか会えないもどかしさを乗り越えて、 股の間からやっと会えた娘を見て今まで感じたことのない違和感。 これは大当たりなんじゃないの? 悪い方の。 これじゃ本読み当たった小学生じゃん。 読めない漢字がたくさんだし、 こんな話は聞いてなかったし、 こんなこと私にはできっこ