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くつがなる。





うたをうたえば
くつ〜がなる〜
はれたみそらに
くつ〜がなる〜



耳を疑う歌声。
父が歌っている。
私の父だ。



私は父の歌など聞いたことがない。
聞いたことのある歌といえば、
スナックに呼び出され無理矢理聞かされた
酒に呑まれた河島英五ぐらいだ。
そこはかとなく音痴だった。
なにせ私は、父に歌を歌ってもらったことなど
一度もない。
記憶がないのではなく本当に一度もないのだ。



団塊世代から少し遅れたが
ほぼほぼ団塊世代の父。
働くことに自分の人生を捧げ
男女平等など考えることなく
夜は子どもが寝てから帰ってきて
朝は誰も起きないうちに出かけていた。
子育てなど顧みるとこもなく母に任せ
私は父の休日があったことさえ知らずに育った。
家で寝転ぶ父など見たことがないだけではなく、
働いてばかりで、家にいる父を知らなかったのだ。



それなのにである。
そんな父が歌っているではないか。
それもダウン症の子にである。



私の産後は、よく父の送り迎えでnicuに通った。
行きも帰りも特に何も言わずであったが、
時々夜更けに酔って我が家に立ち寄っては、
「どうやって育てるんだ」
「だんだん顔がそうなってきた」
などと、爆弾を投下して帰っていった。
傷口に塩を塗るどころか
傷口を広げて塩を塗り込める父に
なぜだか怒りを抱くことはできず、
泣き出すわけにもいかず、
何も答えず見送ったことを覚えている。
今思えば、父も怖かったのかもしれない。
見たこともない子育てを
自分の知らない子育てを
娘の私がやっていけるのかどうか。



今でも、私には言わなくても母に
「いつになったら喋るんだ?」
「走れるようになるんだろうか?」
などとボヤいているらしいが、
実家に預けると、
誰よりも熱心にトイトレに勤しみ、
お手てつないで野道をゆき花を愛で、
かわいいことりの数を数える。
一日の終わりには、
風呂に入れ、髪をとかし、
頬にはニベアまで塗る始末。
挙げ句の果てには、宇宙語をマスターした孫と
歌まで歌っているではないか。
私だけではなく、孫の誰も受けたことのない愛情に
驚きとほんの少し嫉妬を交えながら、
微笑ましい風呂上がりの二人に癒される。



そんな夜のこと。

#ダウン症 #21トリソミー #子育て #孫育て

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