人生劇場(からの)考/君死に給うことなかれ旅芝居
のっけから嫌われることを書く。
私は旅芝居の古い芝居が好きだ。でも古い芝居の多くは面白くない。と、思ってしまう。
「旅芝居は役者をみるもの」とよく言われ、役者が好きな人はいい。
でも私はやはり物語が好きで、筋や演出に目が行ってしまう。だから「うーん」となることが多い。
中でも「カッコイイ男」が「カッコよくあろうとする」物語がつまらない。
そもそも元々「カッコイイイケメン」に「キャー」となれない、なったことがないし。
……いや、それ、旅芝居の芝居の、てか、旅芝居のほとんどじゃね?
うん。うーん。とほほ。ははは。
先月、友人たち2人が〝お熱〟の座長の劇団を観た。
劇団も座長も「初見」というのは何年振りだったろう。
しかも芝居は『人生劇場』。
かつてよく観ていた劇団がよく上演していた芝居だ。セリフも場面も覚えていた。
で、が&が、で、だから、いろんなことを考えた。ので、書きます。
そもそも、私は旅芝居の≪これ系≫の芝居の日に足を運ぶことが多かった、多い。
元々、旅芝居でも何でも、恋愛もの、こてこてベタなラブストーリーが苦手だ。
苦手だ、というより、興味がわかないことが多い。
〝きゅん〟な客席の中でぽつんと孤独感を味わうこととなる。
喜劇も苦手だ。
旅芝居の喜劇には良い芝居が多い。
なのに、訳のわからんアドリブや身内イジリ、ポリコレ的にアウトなことになることが多い。嫌だ。
で、≪これ系≫を選ぶことになる。
己の血の気の多さも相まって?! うん(笑)
でも、以前から一切理解というか共感することが出来なかった。
ということをずっと口に出来なかった。
熱狂の客席、自分がズレているのかと思っていた、
でも、今回は改めて思った。「なんやろう。なんなんやろう」
お熱な友人たちと一緒だったから、より思ったのだろう。
『人生劇場』、飛車角と吉良常。
男の道、任侠道に生きる飛車角と吉良常の男同士の尊敬、友情。
ヤクザの、人間の哀しみ、男と男、格好良さと哀愁。
でも……。それって……。「自己満やん!!!」「自己満で自己完結じゃね?」
だって例えば……。「おとよ(ヒロイン)の立場なんなん?! 宮川の立場なんなん?! 」
女は虐げられたり、我慢させられたり、悪者にされたり。
格好つけ通す男の道とやらを通さなかった男は悪いだの弱いだのとされたり。
男(俺たち)が正しい、ああ哀しいぜ、みたいな、2人の男の友情とカッコつけ、つまり陶酔。
「義理と人情を秤にかけりゃ義理がなんちゃら」「そして男は背中で泣く」
わー、〝にほん〟な悪いところ! 〝にほんてきな〟がずーっとそうあってきた嫌なところだらけだ、わー!
と、思ってしまうのは私だけか。
で、以前、とある大御所会長役者に直接聞いたことがある。
それこそ『人生劇場』をやっていた役者だ。
「あれ、なんですかね。「男でありたい」「男で死にたい」「男の道が」みたいなやつ。あれって、あんな人っておらんですよね」
「いや、俺はおると思う」
「うん、おると思います。〝にほん〟〝にほんじん〟〝にほんのこころ〟ですよね。
でも極端すぎて私は共感できんっていうか、好きじゃあないなあ、って思う。
カッコイイとは思えん。あれって、なんすかね、「理想の人物」を演じている、ってことですか」
「そんな質問されたことないけんね。皆「カッコイイ」っちゅうもんね」
の、後、数日経って、呼び止められた。
「あの後、あんたが言いよったことを考えよったけどね。
あんたが言う通り、俺は「理想の男」「理想の自分」を演じてるんやないかって思う」
ちなみに彼は、役者からも客席からも「男の中の男」などと言われる。
昔も今も、本当に芝居が好きで、芝居を大事にする人だ。
だから、舞踊も〝芝居〟だ。
初見で見た際、舞踊で、あまりにキザに、あまりにキメキメで魅せる姿に衝撃を受けた。
笑って、笑いを通り越して、逆に感心した。
任侠歌謡は勿論、郷ひろみだの、浜田省吾だの……。
残侠散切鬘に白コート姿できのう眠れずに泣いていたんだよなどという歌を踊ってコートのポケットから指環を出して光らせたり。
会えない時間が愛育てるとかいう歌で花道でお客さんにウインクをしたり。
……をしてた。過去形。私が見出した頃だ。
ここまで「キメキメ」出来たらprofessionalだ。で、これらの舞踊の話も振ってみたこともある。
「恥ずかしくなってきよるんよね。自分、なーにやってんか、って」
その後、一時期、レパートリーにB’zが加わった。
イントロがかかった瞬間から客席の劇団ファンが騒ぐテッパン舞踊となった。
これも残侠風の拵えで踊る。真っ赤なコート姿で。
が、やはり言っていた。「照れるんよね」
話がずれた。いや、ずれてないけど。
人生劇場の話。や、それらにみる「にほんの」「にほん、な」芝居たちと時代と今の話。
これらの芝居にみる「やせ我慢の美学」は、にほん古来の美徳だ。
「相手のため、他人のために」自らを捨ててでも。時にそれが死への道へとつながっていても。
でも、私はその「にほんてきな」はやはり自己陶酔と紙一重のことも多いと思うし、
その陶酔の裏や陰にはもっとつらい人や泣いている人がたくさん居る。たくさんたくさん居る。
そのことは未だ男中心だったり、
色々旧時代的な習慣や風習が残る旅芝居の世界の舞台裏もよくよく
さらには旧時代に「良きとされてきた」が故に我慢や苦労をしてきた客席の皆も
よくよくわかっていたり、
もしかしたら麻痺してるところも多いかもしれないが、体験してきている人も多いだろうと思う。
だから、だからこそ、とは思う。
わかりやすい勧善懲悪の芝居や、誰かが「とても格好いい」芝居が、
「わかりやすいもの」として演者にも客席にも愛されてきて、
今も残り、伝わり、継がれ、演じられている訳で、皆が受け入れている訳で。
「スカッと」するのだろう。または感情移入するもあるのだろう。
けれど。とは、わかるけど。
でもでも、だから、その上で、言いたい。
世界は、人生は、勧善懲悪では、ない。そして何より、死んだら、死なせたら、あかん。
「その気持ちよさ」で誰かを苦しませたり、いわんや、殺したりしたら、あかんやん?
カッコつけたい。つけなあかんときもあるのかもしれない。つけるのが仕事。惚れさせるのが、仕事。
そんな旅芝居の世界では、麻痺することも、させられることも多いのかもしれない。
でも。
泣くな。泣かすな。死ぬな。殺すな。
嗚呼、君死に給うことなかれ、死なせ給うことなかれ、カッコつけ給うことなかれ。
と、さいきんの私は言いたい。イミフかもやけど。言いたいなととても思ったりする。
もう時代は変わっているじゃないか。
変わってゆくじゃないか。残したいじゃないか。
旅芝居。あたらしい時代。
あたらしいお客さんも来てもらいたい、取り込みたいじゃないか。
皆で。皆と。
だからね?
例えば、芝居終わりの口上挨拶などで、
なにかフォローを入れたり、
その芝居に対して思うことをもっと語ってもいいんじゃないかなあ、と考えたりもする。
つまんない楽屋ネタと座員いじりや自虐ネタやってる暇があるのならば。
前売り券の押し売りや、
僕とじゃんけんして勝ったら前売り券あげますとかやってる暇があるのならば。
芝居を愛する自分、古典をやる自分に酔ってる暇があるのならば。
見知った客を弄っている暇があるのならば。
ほら、皆お得意のあの笑いを交えたトークで。
旅芝居には、その時間がある。
それが、それすら出来なかったりしていないのは、
やはり、その芝居を大事にしていないってこともあるんじゃないかなあ?
何が言いたい伝えたい芝居なのかを考えずに演じていたりとか。
内容やテーマや構成を練ったり見直したりせずに上演していたりとか。
客席の食いつきやすい喜劇だったり、どや顔で宣伝できる「特選狂言」や「新作」に力を入れて、
古くからの芝居は「平日」「手を抜く日」に流すようにやっているだけだったりとか。
どうだろう。せやのに「旅芝居は芝居です」「ウチの劇団は芝居に力を入れてます」とか言ってたりとか。
残したいじゃないか。未来に。残ってほしい。化石じゃなく、生きたかたちで。
と、この日、『人生劇場』を観た日、からの数日、考えた、思った。
という理由は、この日の劇場で、ふたつあって。
ひとつは、劇場に来ていた、〝おっちゃん客〟のことだ。
私の斜め前には、味のあるおっちゃん客が2人居た。どちらも一見ではなさそうだった。
もう、何年も、何十年も、こうしてここに座り、芝居を観てきたような人、のように見えた。
開演前、ひとりは、歌舞伎揚げを食べていた。もうひとりは、助六を食べていた。ああ、芝居見物。
第一部芝居、幕があくまえ、村田英雄の例の歌が流れると、
ふたりともが「うん」と腕組みをし「観る体制」に入られた。
ぐっときた。でもその後、ふたりは、居眠りをしていた。
もうひとつは、この日飛車角を演じた座長のことだ。
送り出しの短い時間の間、
初対面なのにガチでぶっこんで来る私に、
ちょっと感心するくらい真面目に芝居の話を聞かせてくれた。
心の底からこう言って下さった。「僕も古い芝居好きです」嬉しくなった。
幕間のBGMには私が「問答」をした例の役者の歌を使っていた。
≪義理と意地のしがらみをくぐっていくのが男でございます≫
微苦笑!
生きようぜ。
そして、
生かせようぜ。
未来へ。
皆で。
Happyに!
(劇団三ツ矢 2022.6・20@川崎・大島劇場)
■omake①■
という話、次回に続くかもしれない。続かないかもしれない。
(今月、私にとって本当に大事な大切な芝居を観ましてねえ。でも、ねえ、もー、うーん)
■omake②■
今回の話はちょうど1年程前に書いた、これとほぼ一緒の話、いや、「ワンセット」です。よろしければ。
■omake③■
ちなみに、10年ぶりの来訪(笑) 持つべきものは友ですね。
釣られて歌舞伎揚買うた(笑)
と、10年前に書いたやーつ(笑)
10年前に観たやーつ(笑)
■omake④■
古い芝居について。
文中では「口上などで思うことやフォローを」と書きました。
が、例えば、古典を構成し直したり作り変えたり、で、グッと面白くなる。
ということは以前にも書きました。
■omake⑤■
ぴぃぴぃぎゃあぎゃあ言いながらもnote版もなんやかやで書いたもんたまってきてる。
◆◆
大阪の物書き、中村桃子と申します。
構成作家/ライター/コラム・エッセイ/
大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
普段はラジオ番組の構成や資料やCM書きや、各種文章やキャッチコピーやら雑文業やらやってます。
現在、lifeworkたる原稿企画2本を進め中です。
舞台、演劇、古典芸能好き、からの、下町・大衆文化好き。酒場好き。
いや、劇場が好き。人間に興味が尽きません。人間を、書く、書きたい。
以下、各種SNSとプチ自己紹介など。
遊びに来ていただいたり、ご縁がつながったりしたらとても嬉しい。
お仕事のご連絡や、それ以外のご連絡もお待ちしています。
ブログ「桃花舞台」
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ブログのトップページに簡単な経歴やこれまでの仕事など書いております。パソコンからみていただくと右上に連絡用のメールフォーム✉も設置しました。
現在、関東の出版社・旅と思索社様のウェブマガジン「tabistory」様にて女2人の酒場巡りを連載中。
最新話12回もアップされています。
と、あたらしい連載「Home」。皆の大事な場所についての文章、も、ぼちぼちと。こっちも更新せなあかんなー。
旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、
各種文、台本、役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。あ、小道具の文とかも(笑)やってました。
担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
アーカイブがYouTubeちゃんねるで公開中(貴重映像ばかりです)。
仲良くしてくれたら、とても嬉しい。あなたとご縁がありますように。
お読みいただき本当にうれしい。今後ともどうぞよろしくお願いします。