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宙は等しく 誰も見捨てないドラマを観て願うこと

誰も見捨てなかった。
都合のいい悪をつくらなかった。
誰も悪としなかった。
そのことが、嬉しかった。
 
NHKドラマ『宙わたる教室』が終わった。
 
始まってすぐの頃「いい!」と書いた。
でも数話進んでちいさな違和感というか
ちいさなちいさな「ん?」があって、
それはすこしだけど、すこしずつ、大きくなっても行った。

違和感というのはちょっと違う。
勝手な願いを持つようになった、が、近い。
作品がいいと感じるからこそ、
回が進むにつれて
「そうあってほしいな」
「そうあって、終わりを迎えて欲しいな」を思ういや願うようになった。

なんだかほんとに奇跡みたいな作品だった。
肩書や経験にとらわれず
誰かを勝手にカテゴライズせずに認め合うことの大切さや
知恵とアイデアと諦めない気持ち、
決めつけないこと押しつけないことで変わるものを
くどくなくしつこくなく余白や余韻と共に伝えてくれた物語。

だから、だからこそ、
回が進むにつれて思うように願うようになったのは、 
誰かを悪にしてほしくない、というようなこと、 
いや、誰かを悪のままにして放ってほしくないな、というようなこと。
 
ストーリー上それは起こってしまう。
主人公たちを「巻き込む」人たちが登場する。
ざわざわさせたり、
心にも身にも影響というか棘や傷のようなものを与えたり。
そのことやものやひとは、我々が主人公たちに情を寄せれば寄せるほど、
「悪」「悪役」として固定されてもしてしまう。
でもね。
そちら側となったひとやひとたちもまた主人公たちのように
なにかのきっかけや出会いで「そこ」から出られるかもしれない。
変われも出来るかもしれない。
「そうなってしまった」、でも、「そうならなかった」かもしれないし、
「そこ」にとどまらず、変わるかもしれない。
物語の中のその瞬間そのシーンでは
そうしか出来なかったりそうしか生きられていなくても。
 
最終回の一話前、それが、そこが、見えた。
最終回では、出てきた皆を、皆、切り捨てなかった。

誰も、切り捨てなかった。

主人公と主人公たちは科学と出会い、
学ぶことや誰かとかかわることで、
自身と自身の今とこれからを変えてゆく。
変わってゆく、変えてゆく。
主人公たちを巻き込んでしまった、
そうしてしまった人物たち、
そんな彼ら彼女らにもまた「先」と「これから」がある。
そんなことを感じさせる、余韻を残した。

「ああ、いいドラマやったなあ」

そしてそうして、だから、思う、いや願う。

そうある社会を。

悪は存在する。
存在するし、なくならない。
その要因にはそれぞれの自分の中に因むことも勿論あるが、
それだけじゃない。
社会的要因やさまざまの決めつけでは図れない要因もありもしたりする。
それらが誰もが持つ(心の)弱さというやつに付け込んできたりもする。
でも、それでも悪は悪だ。
だめなこと。あってはいけない、やってはいけないこと。悪は悪。
その上で、だから、
すぐに決めつけて疑いもせず思考停止や一方的な感情だけからの
攻撃や排除やをしてしまうことには気を付けないといけないんじゃないかな、とは、常々思っている。

考える。

人と人。

人と人とが生きる生きていくこと。

宙は誰にも等しくきれいだ。


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構成作家/ライター/エッセイスト、
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