おいしい!スコットランドのセルカーク・バノック【お菓子パン】
スコットランドはどこにある?
イギリスの北部に位置するスコットランド。
日本でも有名な郷土食は、スコッチウィスキーやショートブレッドでしょうか。ちょっと変わった食べ物でいうと、ハギスやブラックプディングも知られています。
一番北の方のハイランド地方は、とくに自然が豊かで美しい風景が広がる。首都はエジンバラ。第二の都市はグラスゴーです。古い建物が建ち並び、スコットランド議会もあるエジンバラは観光地としても人気があり、美しい街並みはユネスコ世界遺産に登録されています。グラスゴーの方は、もっと近代化していて大都市という雰囲気。若者が多く活気にあふれています。
今回の旅では、スコットランドとイングランドの境に位置するスコティッシュ・ボーダーズと呼ばれるスコットランド南部にある街セルカークが発祥のパンをご紹介します。
セルカーク・バノック
このパンの名前、聞いたことある方はどのくらいいるでしょうか?
セルカークは、スコットランドの町の名前。
バノックとは、スコットランドで生まれた平たいパンケーキのようなものを指しています。スコットランドの様々なパンやお菓子(ショートブレッド)のルーツはバノックである。いわれるほど、歴史の古い食べ物です。
セルカーク・バノックは、カランツがたっぷりと焼きこんである甘いパン。直径18センチぐらいで平たく丸い。材料の重みでずっしりとしています。スライスしてから、バターを塗っていただきます。好みでトーストしても美味しいです。
このパンを最初に商業的に売り始めたのは、セルカーク(の近く)でパン屋を営んでいたロバート・ダグラスといわれています。余りの残ったパン生地にサルタナと砂糖とバターを加えて発酵させて焼き上げたものが、セルカーク・バノックでした。
それから、ロバートのところで働いていた男性が、そのレシピを受け継いで1892年頃にセルカーク近くにある街ガラシールズ(Galashiels)に自分のベーカリーを開業し、セルカーク・バノックを売り始めました。そのパン屋さんは、「Alex Dalgetty & Sons」として5世代にわたり今でもセルカーク・バノックを焼き続けています。
さて。お味の方はどうでしょう。
見た目はずっしりいるので、フルーツケーキみたいなのかな・・・。と思ったのですが、全然違います!スライスして、トースターで焼いてからたっぷりとバターを塗っていただく。。。カランツが柔らかくジューシーで甘い。パン生地はトーストしてさくっと。有塩バターの塩味がほんのりと。
とっても美味しい!これは癖になるお味です!
砂糖なしのミルクティーを合わせたら最高です。焼いてからしばらく保存がきくし、日本の英国展に登場したら大人気になるのは間違いなしです。
ヴィクトリア女王もお茶に
セルカーク・バノックが有名になった理由の一つは、1867年にヴィクトリア王がスコットランド滞在の際、ウォルター・スコット卿が建てた大邸宅「アボッツフォード」で、このパンをお召し上がりになり気に入ったという説があります。ただ、女王の日記には「お茶を楽しんだ」というだけで、セルカーク・バノックについての記載はないようです。
ウォルター・スコット卿の大邸宅『アボッツフォード』
今年は初めて、アボッツフォードに行ってきました!
電車やバスで行きにくい立地のせいか、日本人に知名度は低い?ですが、英国文学が好きな方にはおすすめの観光スポットです。
美しいお庭がある邸宅は、セルカークから車で30分ぐらいのメルローズという町の自然に囲まれた丘陵地帯にひっそりと建っています。車の通る道路からは建物が見えないので、調べてからいかないと通り過ぎてしまうくらい静かな場所。2012年に新しくできたビジターセンターには、ウォルター・スコット卿にまつわる展示があり見ごたえ満載。二階には、見晴らしのいいカフェがあります。広い駐車場もあるので、車で行くのがおすすめです。
ウォルター・スコット卿は、首都のエジンバラの家と田舎のアボッツフォードを行き来しながら、創作活動をしていました。ちなみにセルカーク・バノックという言葉は、ウォルター・スコット卿の歴史小説「ランムーアの花嫁the Bride of Lammermoor」(1819年)で初めて印刷物の中に登場します。*¹
このことから、セルカーク・バノックは商業的にパン屋で売られる前から、スコットランドの郷土菓子パンとして親しまれていたことがわかります。
ヴィクトリア女王がこの大邸宅を訪れた時には、ウォルター・スコット卿はすでに(1832年に)なくなっており、その子息がアボッツフォードの一角に住んでいました。邸宅の一部は、ウォルタースコット卿が住んでいた時のままにして一般公開していました。この家で女王をもてなしたのは、ウォルター・スコット卿の孫(彼の長女の娘シャーロット)と結婚したジョン・ホープ・スコットです。ジョンとシャーロットは、献身的なカトリック教徒で、アボッツフォードの拡張工事を行い教会と家族が住むための住居部分を増設しました。シャーロットは、1856年の出産後に亡くなってしまい、この館で女王を迎えたのはジョンと1861年に結婚した二番目の妻(ノーフォック公爵の娘Lady Victoria Fitzalan-Howard)でした。
現在その増設部分は貸しコテージとなっており、宿泊することができます。
スコットランド文学とお菓子パンのお話。
いかがだったでしょうか?
郷土食と歴史がつながっていくのは、とても興味深いです。
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ウォルター・スコット卿については、こちらの動画がわかりやすいです!
【著作権】
武蔵大学の講義「イギリスの文学2」後期第1回「ジェーン・オースティン」のビデオです。 講義担当者(著作権者):北村紗衣 使用教科書:白井義昭『読んで愉しむイギリス文学史入門』春風社、2013。
動画の中で、ウォルター・スコット卿は歴史小説が得意で、スコットランドの司馬遼太郎みたいな存在。と説明されていたのが印象的でした。
こちらの記事でもセルカーク・バノックを紹介しています。↓
参照資料
*¹