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幻詩狩り(著:川又千秋)【読書紹介を読んでいたら、気がついたら読書紹介を読んでいて、いったい何を言ってるのかわからねーと思うが、気がついたら読書きが】

たしか日本三大SFの一冊に数えられていたっけ。
(伊藤計劃などが出てくる前の話)

よくわからない詩を読むと、
勝手に脳の中身を書き換えられる。

その詩は、人間のプログラムみたいで、
読み込むと、その動作をしてしまう。

一種の麻薬のように扱われ、自殺者も多数。
ついには国家権力や国際社会から敵視され、
その詩を書いた文章を片端から焼却されるという架空世界。

しかしながら、一片の文章を抹殺することなど、およそ可能であろうか?
知識を抹殺することなど、地上の権力に果たして可能なのであろうか?
否。
と結論を出しているようにも読める。
それすなわち、終末文学である。

たった一遍の詩に、ぽっと出の人類ごときが勝てるはずがないだろ。
考えたときに、もう君らは終わっているんだよ。

うーん、ルネッサンス。

ただSFというには、
幻詩の原理が不明ですが。
どちらかというとホラー。

SFテイスト怪奇ホラー。

また、筋はあるものの、群像劇ふうで、
特定の主人公はおらず、
時代ごとにさらっと、その時代の人物目線で書かれて、
次の時代の主人公がまた語り始めて、
またさらに次の時代の主人公が・・・

このような構成なので、
まあ有体にいって、オチがない。
当時は、物語として、面白いとは感じられなかった。
(私はね)
これではエピソードの羅列だ。
ストーリーじゃない。

しかし、アンドレ・ブルトンとシュールレアリズムの名を出したからには、
これが正解なんだろう。

ただ、ややもすると、
この話の主人公は幻詩そのものなのかもしれない。
群像劇で、時代ごとの主人公が、幻詩と関わる話のエピソードの羅列。
共通項は幻詩そのもの。

もうちょっと、もうちょっと、ストーリーに寄せてくれても良かったかもしれない。
そう思うのは、私がストーリー偏重の古くさ人間だからなのかもしれないが。

日本的な評価の基準と、自分的な評価の基準にズレを感じる。
とにかく本邦三大SFの一角に挙げられた作品らしいのである。
ちなもう2冊は小松左京の「復活の日」
光瀬龍「百億の昼と千億の夜」

なおこの三大うんぬんは、前世紀の話である。



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