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傀儡后(著:牧野修)【読書紹介にあたって僕は皮をかぶった「人類は皮をかぶりたい」でも誰も聞いてなかった】

バッドエンド万歳。
ハッピーエンド至上主義者どもにバッド快楽で洗脳してやるのだ!

このグロさ。やるせなさ。
ああ、生存ルートを仄めかしてなお、希望の背骨をたたき折る執筆スタイル。
そして、なぜか賞を取ってしまう。

さすが日本!陰キャの聖地である!
これが日本SFだ!

とまあそんなSFブラックコメディ破滅バッドエンド小説。

バッドエンド要素をのぞけば、おおむね、何もかもみな面白い。
良い小説でした。コメディ要素あり。

***

本作には「皮」という概念が出てきます。
「皮膚」や「膜」が、重要な意味を持つメタファーとして、
SFガジェットとして登場するんですね。

「皮膚」とは何か?

人間はみんな「皮」をかぶってるだけなんじゃないのか?
いや、むしろ人間が「皮」である。
さあ、皮を脱ごうじゃないか。

旧作エヴァに似ているなんて、感想を書かれていましたね。

***

しかしバッドエンド要素だけが引っかかるのを除けば。
これが、本作の評価をやはり下げていると感じた。
もうちょっと、ひねったら、面白度は上がっていたかも。

(おい、ここにハッピーエンド主義者がいたぞ)
やばい逃げよう。
諸君、しばらく待て。

***

しかし逃走中の私は弁明するわけでもないが、
バッドエンドネタはむしろSFのアーキタイプに近いのではないか?
と思った。

だいたい未知のテクノロジーをいじくりまわせば悲惨な結果になるのだし、
それがその技術の解説として、もっともわかりやすい。
核戦争くらいならトム・クルーズやダニエル・クレイグが何とかしてくれるかもしれないが。

もっとハイパーSF技術だと、そんな修正を許さないくらいに致命的な結果を速やかにもたらしてしまう。
そのスケール感。
これだ。
これがSFだ。

技術SFとしてバッドエンドは、むしろ正統派。

はぁはぁ(走っているんですよ)

破滅SF。アリじゃないですか。はぁはぁ。

しかしながら、SF好きな皆さん。
世の中には、ハッピーエンドを超越したバッドエンドと、そのバッドエンドをさらに超越したオープンエンドというものが、ありましてね。ひぃひぃ。

そう。オープンエンドは、バッドエンド沼からしか、出現しないのですよ。
というか、文化度が足りない人には、オープンエンドがバッドエンドに見えてしまう。
それがオープンエンドなるものなのです。

しかしながら、オープンエンドは哲学。
人類の価値観をアップデートする哲学を持つことが、
SFたる作品の宿命。
SFが行き着く場所は、オープンエンドにこそあるのです。
私は新たな流派を創始したい。はぁはぁ。

しまった。行き止まりだ。
だが問題ない。オープンエンドがいかにして危機を回避するか。
魅せてごらんじろう。(頭の中が酸欠状態です)

***

*:「次のニュース、宇宙新宿区ネオカブキ町で全裸状態の男が通報され、駆け付けた警察官に緊急逮捕されました。男は「これは全裸ではない」「オープンエンドの可能性を模索していた」と意味不明の供述をしており、警察としては、この男性の身元が不明であることから、付近の自治体から情報の提供を求めています」


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