自分が信じていた「お金持ち」は間違っていたかもしれない

お金ってのは、あればあるだけ良いものだと思ってた。
なので、「お金持ちになりたい」という野望をつねに心に抱いてました。

しかし『サイコロジー・オブ・マネー』を読んで、それって必要な野望だったのかと首をかしげることになった。

お金を持っているから「お金持ち」

本には、

人が「百万長者になりたい」と言うとき、実際に言いたいことは「100万ドル使いたい」ということなのかもしれない。だがそれは、百万長者になることとは正反対だ。

『サイコロジー・オブ・マネー』より引用

と書いてあった。

これを受けて、自分がお金持ちになりたいと願った先には、お金を使いたいという思いがあったことに気づいた。

大金を得たら、そのお金で何をしようかと妄想してしまう。
宝くじが当たったら、何に使おうかと考えるような妄想。

若かりし頃は、給料やボーナスなどのお金を得たら、そのお金を使うことを同時に考えていた。
でもそれでは資産は減るだけ。
お金持ちとは逆の方向へと進むことになるんだなぁ。

お金持ちになるには、容易に資産を取り崩さないことだとも書かれていた。
お金を持っているから「お金持ち」なわけで、あればあるだけお金を使ってしまえば手元に残るのはお金ではなくモノになる。
なるほど。

目に見えない資産

高級車、宝石、ブランドもの、豪邸などを見ると、成功している人というイメージがあった。
しかし本当にそれらは成功している人なのか?
人の目に見える形の豊かさには、ローンなど負債がある場合も多い。

高級車に乗っているからと言って、お金を持っているとは限らない。
ローンを組んでようやく乗っている車なのかもしれない、と本にあって、そういえばそういう人がいたなぁと過去を思い出した(払えないローンを組んで外車を購入して、すぐに車を手放すことになった元彼、元気ですか?)。

本当の富を築いている人は、目に見えるものに変換されていない金融資産を持っている人。
目に見える資産ではなく、目に見えない資産を築くことが、本当の「お金持ち」らしいのだけど、それらは目に見えないために私たちは想像することが難しい。
だから、目に見える資産で「お金持ち」だと判断してしまうらしい。

とういうことは、私がいままで信じてきた「お金持ち」は、まがい物だったかもしれない。
私が信じていた「お金持ち」は、豪邸に住んで高級車を何台も所有するような人だった。
目に見えないものを信じることは難しいがために、見てわかりやすいものに反応していただけなんだな。

本当の幸せ

『サイコロジー・オブ・マネー』には、経済的に豊かになっているのに、現代のアメリカでも現状に不安を抱いていたり、自分は幸福ではないと考えている人が多いと書いてあった。

肉体労働が主だった時代に比べ、肉体が働いている時間は減っている。
しかし頭脳を働かせる仕事が増えたことで、頭脳が休まずに働く時間が増えた。
夜中の3時に目が覚めて、明日の仕事の不安に取りつかれる人。
朝から子どもの世話で、頭をフル回転させる親たちなどなど。
現代人は24時間365日、頭脳が休んでいない状態になっているらしい。
これは疲れる。

幸せは、モノではなく時間。
時間をコントロールできるかどうかで、幸福を感じているらしいのだけど、現代人は時間をコントロールできている人が少ない。

そんな話を読みながら、自分の幸せについても否応なしに考えてしまった。

稼げば稼ぐだけ幸せになれないんだと知ってはいても、心のどこかで、でもお金がたくさんあれば幸せだろうと考えていた。
たしかにお金があれば、未来への不安が減る。
だから不幸ではないのかもしれない。

そう思いながら本を読んでいたら、『1000人のお年寄りに教わった30の知恵』という本の引用があった。

誰も──千人のうち誰一人として──欲しいものを買うためにもっと一生懸命働いてお金を稼げば幸せになれたと言った人はいなかった。

誰も──同じく千人のうち誰一人として──周りの人と同じくらい裕福であることが大切で、さらに裕福ならばそれが本当の成功だと言った人はいなかった。

誰も──同じく千人のうち誰一人として──将来いかに高収入になれるかを基準にして仕事を選ぶべきだと言った人はいなかった。

『1000人のお年寄りに教わった30の知恵』より引用

これを受けて考えた。
自分が死ぬ前に「もっと働いてお金を稼げばよかった」と思うだろうか?
自分に問いかけてみたけれど、答えはNOだった。
もっと働きたかった!!とは、絶対に思わないだろうな。

今までの価値観が変わる

『サイコロジー・オブ・マネー』を読むと、今まで思い込んでいたお金に関する価値観が変わる。

今まで自分が信じてきた「お金」に関する知識は、自分が体験したレンズを通して世界を見て判断されたもの。
大恐慌を体験した人から見た世界と、好景気で順調に出世した人から見た世界は別物。
それなのに、世界はそういうものだと、みんなが同じ認識を持っていると思ってお金とつきあっている。

老後は働かずに暮らすというのも、年金制度ができた1940年代以降にできたもの。
それまでは死ぬまで働くのが当たり前だった。

自分が「当たり前」と思っている年金、学資ローン、投資などは歴史が浅い。
だから間違えることもある、だってみんな初心者なんだからと本に書かれていた。
初心者だからこそ、わからない、間違えておかしなことをする、そういうことこそ「当たり前」なんだということを、『サイコロジー・オブ・マネー』を読んで学んだ。


こんなに長文のnoteになったのに、じつはこの本をまだ半分しか読んでいない。
目からウロコの情報が満載で、半分読んだだけでもお腹がパンパンに膨れるほど満足している。

自分の中にある思い込み、価値観などは、本当に偏っているんだなと本を読むといつも思う。
その偏りが個性のひとつなのかもしれないけれど、ときにその個性が鎖となって自由に動けない状態をまねいている気もする。

信じてたものが間違いでした!と知るのは、ときにショックを受けることでもある。
けれどその間違いを知ったことで、自由に動ける範囲が広がるなら、私はやっぱり本を読んで、思い込みや価値観を手放していきたいなと思うのだった。

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