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【読書日記】2021年11月26日

今日も角田光代さんの『わたしの容れもの』を読んでいる。

本にあった「補強される中身」という話が心に残る。

年をとると丸くなる、とよく聞く。若いときにはたいへんきつい性格だった人が、年齢を重ねてずいぶんとおだやかになった、というような意味合い。子どものころからそんな話を聞いていたので、私はずっと、加齢イコール人間ができてくる、というものだと思っていた。

『わたしの容れもの』より引用

そうそう、私も角田さんのように考えていた時期があったなぁ、と思い出す。年を取ったら、色んな経験をするのだから、人に優しくも出来るようになるんだと、幻想を抱いていたっけ。

でもそれは幻想にすぎないんだと、いつの頃から理解するようになった。人は経験を重ねたから優しくなるわけではない、辛い経験をした人の中には、他人に対して、自分よりももっと辛い経験をすればいいと考えている人だっている。

「今の若い人は恵まれてる」
「今の若い人は甘えてる、もっと苦労しなさい」
と言われたこともあったなぁ。

角田さんは『わたしの容れもの』の中で、
「美点より、欠点のほうが、増長されていくような気もする」
と書かれていた。

人は年をとっても、よりよい人間になったりはしない。ものごとに動じなくなるかもしれない、アドバイスもできるようになるかもしれない、けれど、知恵はつくとはかぎらないし、学び賢くなるともかぎらない。急いでいた人はますます急ぎ、怒りっぽかった人はますます怒りやすくなり、たいてい、不寛容になる。寛容に見えるときもあるが、それは認めているのではなくて、どうでもいい、つまり興味がないのである。

『わたしの容れもの』より引用

私の中でこの、
「寛容に見えるときもあるが、それは認めているのではなくて、どうでもいい、つまり興味がないのである。」
という部分がグサッと心に刺さった。

広い心を持っているように見えて、実は興味がないから切り捨てているだけに過ぎないことって、きっとたくさんある。

切り捨てているだけなのに、自分では寛大に受け止めている気になっていたのでは?
そんな風に自分を「大人になった」と勘違いしていたのではないか?
年齢を重ねて少しは心を大きく持てたような気がしてたけれど、実はそれこそ幻想だったのではないだろうか?

そんな風に考え始めたら、うすら寒くなってきた。私が今まで信じてきたものは幻だったかもしれない。

角田さんは本の中で、
「欠点をなくすより、憎めない人になることのほうが、よほど重要だ」
と仰っている。

欠点をなくすことは、個性をなくすことでもあり、その人の良さまで失われる可能性だって出てくる。長所と短所は紙一重。どちらも繋がっているのだから、一方を消せば、両方が消えるんだと誰かが言ってた。

良いところまで消してしまうよりも、憎めない人になるほうが良いかもしれない。しかし、その「憎めない人」にはどうやったらなることが出来るのか。本に答えは無かった。

生きていく中で、「憎めない人」になる方法を自分で見つけていくしかないんだろうな、それは大きなテーマだな、と思いながら寝た。

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