私には私の心の傷があって、それを抱えて生きている
ニュースで報道されるほど、私の人生は壮絶じゃない。それでも、私には私の心の傷があって、それを抱えて生きている。
なんか、今感じていること全部、書こうと思う。
私には、予てからずっと、生きづらさがある。精神科通院を始めたのは3年前。初診の時には「社交不安障害」と診断がおりて、そこからずっと、毎日抗うつ薬と抗不安剤を飲んで、過ごしている。
気持ちが安定せず、浮き沈みがあり、だけどそれは「自然なこと」だと医師に言われ、そんなもんかなあと、どこか他人事に捉えている私、笑。
ここ最近は何をするのも億劫で、何もしたくないと思いつつ、今自分にとって必要なことを、日々こなしている。
今に始まったことじゃないけれど、
私はこと、人間関係に悩むことが多い。主に、人に気を遣い過ぎてしまう。
また、自分の存在や価値を、不必要に卑下したり、蔑ろにしたりしてしまいがち。何かあるとすぐに「私が全部悪い」って思い込もうとする。
でもこれは、ある種の「防衛機制」が働いているんじゃないかな、とも思う。それまでの経験から、感覚的に、その場で行動パターンを読んで、自分を守るために、敢えてそういう行動を取るみたいな。
大学生の時。周りはこんなに考えているようには見えず、楽しそうに生活を送っているように見えた。そりゃあ、見せていないだけで彼らにも、彼らなりの苦しさはあるんだとは思うけれども。それでも、その「苦しさ」の種類が、私と彼らとでは、違うような気がしてならない。ってか、そんなことは至極当然か。
これって言う、分かりやすい、唯一のトラウマ、みたいなものがあるわけじゃない。
強いて言うならば、小学生の時にいじめられた経験、中高生時代に抱いた、大人不信、後は家庭環境?のこと。
小3の時、
同性のクラスメイトから約1年間、いじめられた。
いちばん強烈だったのは、10段以上ある階段から「飛び降りを強要させられた」ことかなあ。クラスメイト曰く、私の「自殺の練習」だったらしい。おいおい犯罪だぞそんなん。なんて、今となっては、言葉にできるようになるくらいには、回復した。
でも高校生の頃までは、月1の頻度で、階段から落ちそうになってハッと目覚めると言った、悪夢にうなされていた。今は皆無なので、あれはある種の、フラッシュバックだったんだと思う。私は、小3で受けたいじめの後遺症、高校生のころまで引きずった。
中学生時代の話。
3年間担任が同じ(私の代では私だけだと思う)だった。結果、担任が精神を病んでいく様を、面前で見せつけられざるを得なくなった。
担任は、教師としてはベテランで、本来であれば学年主任レベル。ただ本人至っての希望で主任ではなく、一教員としてクラスを受け持つことになった。でも優秀だから恐らく、進路指導主任を一任された。(と言う話だった)
中1の時は、クラスも担任も穏やかだった。多少のいざこざはあったけれど、後に比べれば、屁でもなかったと思う。
中2以降、担任が徐々に壊れていった。明らかに人格が崩壊していた。終いには、些細なことで、私達生徒を怒鳴りつけるようになった。怒られて始まった朝のHR、怒られて終わる帰りのHR。3年の時はほぼ毎日だったかなあ。あの頃、担任からの暴言を真に受けないようにすることで、何とか自分を保っていたと思う。今思えば必死だったね。
それと、贔屓とまではいかないけれど、担任は私に、どこか絶大な信頼を置いていた。私も、信頼されるように振舞っていた部分はあるから、私にも課題はあるけれど、いつしか担任は私に当たり散らすようになった。大声で怒鳴られるのは正直怖かった。萎縮した。でも、1年の時の穏やかな担任を知っているからこそ、これは担任じゃない、別人格だと、どこか割り切って接していた部分はあったと思う。
いや、今だからこんな冷静になっているだけだとも思う。だってそのせいで、大人を信じられなくなったからね。誰にも「助けて」を言えなかった。親にも他の教師にも、本当に誰にも言えなかった。
中2の冬頃から、通学する度、動悸と息苦しさと、火照り?が止まらなくなった。多分、身体は正常にSOSを発してくれていた。私も気づいてはいたけれど、見えないフリして貫いて、登校し続けてしまった。当時はああするしか他に、方法がなかった。
高校生も、
いろいろあった。ここでは割愛するけれど、ざっくり言うと、高2の冬、1カ月くらい、出欠席を繰り返していた時期があった。不登校一歩手前になった。親との葛藤もあった。
でも、初めて信じられる大人、恩師に出会えた。唯一の友達もできた。それは苦しさと闘いつつも、私がこの高校で3年間、過ごしたから。
そして、家庭環境において、
親から虐待受けたとか、私はそういうことは無い。それだけは断じてない。寧ろ、溢れるぐらいに愛情を受けてきた。
恐らくそのはず、だった。
でも親からの愛情を、私はずっと拒絶してきた。私は親から「愛されている」と知り、私自身がその事実を認めることが、怖かった。それを認めてしまったら、私が「親からの愛情を拒絶している」こと、その行為や抱いている感情自体を、否定することになると思ったから。
ではなぜ、私は親からの愛情なるものを拒絶していたのか。自己否定が強くて、自己肯定感が無くて。自分は愛情を掛けられる対象じゃない、私にはそんな価値は無いからと。割と最近まで、何なら今もそう思っている節が、どこかにあって、たまにそれが強く表出することがある。
感情の統制
って難しい。私の場合、虚無感とか焦燥、不安、孤独と言った諸感情が、時にありえないくらい暴走してしまう。ただ私の場合は、持っている理性と倫理観で、未だかつて、自傷他害には至っていない。
※至ることが悪いのではなく、ただ、私の場合はこう、と言うだけのことなので悪しからず。
自分が思っていることイコール、相手もそう感じているだろう、と、はき違えてしまったことがある。
最近それがきっかけで、大学生時代のクラスメイトである、ある人と、距離を置くことになった。私は、またやらかしたんだと解った。本当は、あの一言を放たれて、そう感じているのは自分なのに、それを相手に押し付けてしまっていたんだと、その人に言われて、初めて気付いた。だから、教えてくれてありがとうねの気持ちだ。
足掻いてもがいて、自分なりに、大学生の4年間をかけて、過去を客観視してきた。その証拠に、前よりかは「過去は過去」って、捉えられるようになってきたと思っている。たまにつらくなるけど。
とりとめのない話にお付き合いくださり、ありがとうございます。