普通じゃないことを免罪符にして
わたしは、ずっと欲しかった。本音を言える友達が。
上辺じゃなくて、利害関係じゃなくて。苦しい時には苦しいって、本音を言える。そんな人が、わたしはずっと欲しかった。
これまで腐るほど、わたしはnoteに、過去に人間不信になったことがある、って書いたけど、本当はそれだけじゃない。
信じることは怖いけど
他人を信じることが怖いのも、嘘じゃないとは思う。他人を信じること、社会を信じることは、今だって怖い。それは事実だ。大人なんて…って思ってしまうことも、否定しない。
でも。世の中そんな、変なやつばかりじゃない。そんな、絶望しなくたっていい。わたしが思っているよりも社会は、あたたかい。そして、社会はわたしが思っているよりも、易しい。
社会に求める理想が高過ぎた?
いや、社会が易しい、と言うよりも、わたしがこれまで、社会に求めている理想が、高過ぎていたのかもしれない。前にもこんなことは書いたはずなのに、どこかでそれを認められない自分がいた。
でももう、認めてしまった方が、生きるのが楽なんじゃないかって。易しいなら、いっそのこと、その易しさを利用してしまった方がいい。言い方悪いかしら笑
当たり前は当たり前じゃない
だっていつも、わたしはちゃんとやっているんだもの。自分で言うのは気が引けるけど、わたしは世間一般よりも、真面目だし、努力を怠らない。当たり前のことが当たり前にできる。機微に敏感な人間。
ここで、じゃあ当たり前ってなんですかって言われたら、当たり前の定義ってなんだって話になるけれとも。
それは例えば、約束の時間を守るとか、挨拶をするとか?相手からの返信をできる限りすぐにする、とか。
もしこれが当たり前じゃなくて、世の中の数パーセントなのだとしたら。わたしはこれまで、何を目指して、どこを突っ走っていたのか、分からなくなるかもしれない。
この程度のことで
それに、わたしと同じようにこれを当たり前だって思っている人は、きっと他にもいる。ちゃんとやっているのは、もちろん、わたしだけじゃないことも、分かっている。この程度のことで、鼻を高くするつもりは、さらさらない。
自己肯定しているだけ
でも。自分ができていることを、すごいね、頑張ってるねって言うことの、何が問題なんだろう。頭なでなでいい子いい子よしよしってしてあげることの、なにが、悪いこと?それは甘えなのか。
いや、そんなことないし、誰からもそんなふうに言われたことはない。ならばもっと、わたしは、自分の取る言動に誇りを持って、自分を認めることに、寛容になりたいと思う。
これもできるあれもできる。わたしってすごい、偉い!って、思えるようになりたい。
これは決して、調子に乗っているって訳ではなくて。自己肯定しているだけなんだよ。調子に乗ってるって、思われるのが怖いだけ。
あの人達は離れていかない
大丈夫だよ。今のわたしの周りの人達、わたしのこと、そんなふうにはきっと、思ってない。
わたしは自分をもっとさらけ出しちゃっても、あの人達は、離れてはいかないよ。身をもってわかったでしょ?この4年間。
秀でていること=悪いこと?
今までの、わたしの価値観形成の中では、何かが秀でていることは、それイコール、悪いこと、調子に乗っていることだった、中学生の頃。
周りの人がそうって言うわけではなくて、わたし自身がそう思い込んでいただけ。勉強できたらガリ勉だし、運動できたらスクールカーストの頂点だった。
世の中そんな単純じゃないって、笑うだろうか。
確かにそんな単純じゃ、なかったかもしれない。単純じゃない世界に、当時のわたしは適応できなかったのだと思う。
いや、しようとしていなかったのかも。
普通じゃないことを免罪符にして
あいつらとわたしは違う、って一線を画して、黒い羊になりきって。わたしは変わり者だからって、それを盾にして。普通じゃないことを免罪符にして、わたしは、普通の人達に合わせようとしてこなかったのかも。
空気は読むものじゃなくて、吸うもの
当時のわたしは、敢えてそう思うようにしていた。そうしないと、しんどかったから。
本当は、読もうと思えば人の倍以上読めてしまう空気なんて、わたしにとっては苦痛以外の何物でもなくて。
だから敢えて、鈍感な振りをしていたんだと思う。そうすることで、自分を守っていたんだよね。
"悩みなんてなさそう、羨ましい"
中二の時。
クラスの人間関係がドロドロすぎて、クラスメイト達(特に女子)がどんどん病んでいった。
それがわたしは、目に見えて分かった。
できることなら私だって、病んでいることを表出したかった。それができれば、どれだけ楽になれただろうか。
でもしなかったし、できなかったよね。中学生の時のわたしは。
当時、病んだクラスメイトの、何人かに言われた。
美咲ちゃんは純粋だから、悩みとかなさそうで羨ましい
と。
その時、わたしの中で、何かが切れた。
そうだ、いっそのこと、これを貫いてしまえばいいんだ、とさえ思った。
機微に鈍感で、悩みなんてない。
それがわたしだと、周りに知らしめておけば、向こうが勝手にわたしのことを、変わり者って思ってくれるだろうから。そしてその作戦は、成功した。
わたしはクラスの変わり者になった。黒い羊になった。でもこれは自分からなりに行ったことだし、なれたことに満足していた。
担任とわたし
それと、担任の話。
わたしは、当時、担任から異常なほど信頼されていた。なぜか生徒から嫌われ者だった担任の、一番のお気に入りになって、信用を勝ち得たわたしは、そのうち、担任の意見を、絶対だと思い込むようになった。信者。担任の悪口を周りはバカスカ言っていたけど、わたしは一切言わなかったし。贔屓さえされなかったけれど、明らかに担任の言動で、わたしが一番のお気に入りだって、分かった。
でも中三の時、進路指導担当だったわたしの担任は、徐々に余裕がなくなっていくのが、目に見えてわかった。クラスに対して、ピリつく日が増えた。少しのことでキレて、怒鳴るようになった。何かしら理由をつけては、毎日のように怒鳴る。そんな日が長期化した。酷い時には、わたしに当たってきた。軽い八つ当たり?ってやつ。
それらがすごく、怖かった。担任のことも、わたしはいつからか、信じられなくなった。
大人のことが嫌いだったし不信だったけど、同年代のクラスメイトのことも馬鹿にしていたわたし。ほとんどのやつは、馬鹿だと思っていた。
"いい人になれるよ"
だけど、そんなわたしのことを、美咲はいい人になれるよ、って言ってくれた人が、中学生の当時、ひとりいた。その人は中三の時の、クラスメイトのひとりだった。
いい人になれる。
つまりその時のわたしは、そうではなかったということ。でも、その人はわたしの未来を想って、そう卒アルの寄せ書きに、書き残してくれたんだろうか。聡明だったその人のことだから、そこまで考えてくれていたのかもしれないなあ。
もしそれが本当だったら、その人は本当にすごいし、尊敬。そうでなくとも、当時からその人は人間性ができていて、すごい人だったからなあ。
一緒に卒アルの、クラスのページの編集委員もやった人。
元気かなあ、とふと気になった。
ねえ。
わたしは少しでも、あの時よりも、いい人に。
なれているだろうか。
ふと思い出してしまって、当時の気持ちをばーっと書き殴ってしまいました。
見苦しかったら申し訳ないです。
読んでくださってありがとうございます。