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『EATER on note』 遠藤ミチロウ vol.6

取材・文・写真◎地引雄一

遠藤ミチロウ 「ミチロウ」を語る

―インタビュー集成―

第6回 フクシマで盆踊り

 2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く福島原発事故の直後、遠藤ミチロウは同じ福島出身の大友良英や詩人の和合亮一らに声をかけて「プロジェクトFUKUSHIMA!」を発足させる。その年の8月15日には福島市内で大規模な野外フェスを開催、音楽の力で福島の厳しい現状に対峙しようとした。
 プロジェクトFUKUSHIMA!の活動は翌年以降も続き、そこから盆踊りというミチロウにとっての新たな表現手段も生まれる。原発事故という未曾有の惨事にみまわれた故郷・福島と向き合い、遠藤ミチロウは何を感じ取っただろうか。
 2012年10月4日のインタビューから、その一旦なりともうかがいたい。

<二年目のプロジェクトFUKUSHIMA!>

 2012年、プロジェクトFUKUSHIMA!の二年目の夏には、福島県各地で二週間にわたって様々なイベントが行われた。遠藤ミチロウは郡山市の複数のライブハウスを舞台に、「ハロー!! 廃炉(Hello!! 816)」と名付けたロックイベントを企画。さらに出身地である二本松市で、原発事故で全町避難となった浪江町の人々とともに、二日間にわたる「浪江音楽祭」を開催した。そしてそこで「盆踊り」と出会うことになる。

映画『ドキュメンタリー プロジェクトFUKUSHIMA!』ダイジェスト映像

ミュージシャン遠藤ミチロウに密着!映画『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』予告編


 ――― 今は年間何本くらいライブやってるの?
ミチロウ 今は170本くらい。一時期200本になって、胃潰瘍になって少し減らしたんだよ。
――― それでも2日に1度のペースだね。
ミチロウ そうだね。基本的にはそのくらいが丁度いいの。2日にいっぺんくらいやってるくらいが、自分のペースに合っている。少ないとやっぱり駄目なんだよね。
 いやー、疲れた。今週日曜のアピアまでずっとツアーで、昨日は新宿ジャムでのライブ。それで月曜からやっと休めた。爆睡してたよね、二日間。
――― 夏からずっとライブ?
ミチロウ 8月5日位からずーっと続けて。
――― 今年のプロジェクトFUKUSHIMAでは企画もやったしね。
ミチロウ 企画やったからねぇ、ライブない日も大変。結局今年、実家に一度も帰っていないんだよ、あれだけ福島にいたのに。去年のイベントやったあとは一度帰ったんだけど、それ以来毎月福島に行ってるんだけど、一回も帰っていないんだよね。
――― 元々そんなに帰っていなかったんでしょう?
ミチロウ 震災前は3年に一回とか、5年に一回とか。一応、親父の法事の時だけ帰ってた。
――- 今日は聞きたいことがいっぱいあって。プロジェクトFUKUSHIMAのこととか。
ミチロウ 去年もいろんなミュージシャンが出たけど、結局あの中で普通にメジャーでやっているのってグループ魂だけなんだよね。あとはみんなインディーなんだよね。偶然といえば偶然なんだけど。(一年目のフェスには、頭脳警察、渋さ知らズ、遠藤賢司、七尾旅人、向井秀徳、原田侑子、二階堂和美、天鼓、ピカ、De+LAX、灰野敬二、坂本龍一らが出演)
――― 特に去年は、出ているミュージシャンを知らないで来た人が多かったと思うんだけど、そういうお客さんにもちゃんと伝えられたっていうのが会場ですごく感じられて。あのメンバーってやっぱり本当の実力を持っているんだよね。
ミチロウ うん。それに自分の考えをちゃんと持っているからね。規制されたりせずに、こう思ったらこうやるっていうのが出来る。メジャーでやっていると、それが自由にできない。言っちゃいけないことがあったり。
――― 今年は去年と比べて企画がいろいろあって、地元密着型だったじゃない。
ミチロウ うん。でも今年のほうが焦点はぼけてると思う。去年はああいう時期的だったし、「フクシマ」っていう一言で象徴できたじゃないですか。今年は「フクシマ」っていう一言だけでは捕まえきれない状況があって、それに対してどうすればいいかっていうのは、みんな考えも違うし、どこに焦点を絞るかがすごく抽象的になってる。
――― その分、一人ひとりの違いが…。
ミチロウ そう、「違いはあるんだぞ」っていうのがテーマじゃないですか。みんな違うんだっていう。違うものが繋がるって言うと変だけど、そこに橋が掛かるっていう。じゃあそれは、どういうことをすれば橋がかかるのか…。違いがあるっていうのはわかるんだけど。それがまだ、今でも残っているんですよ。
 今回やったことに関して面白かったんだけど、いろんなことやって地元密着型もあったりしたんだけど、プロジェクトFUKUSHIMAがやることはどういうことなんだっていうのが、まだよくわからない、僕はね。

THE STALIN246 2011/8/15 フェスティバルFUKUSHIMA!

ザ・スターリン246 - 虫 @ 世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!


<浪江音楽祭と盆踊り>

――― 僕が面白かったのは、特に浪江音楽祭とか、去年はカバーできなかった地域密着のイベントが…。
ミチロウ そうそう。俺もいろんな企画をしたんだけど、地元密着っていうか、こっちが主催じゃなくて、地元の人たち…、でも浪江(福島県双葉郡浪江町・放射能汚染によって全町避難を余儀なくされた)の人たちは地元でもないからね。避難している状況だから、地元がなくなった地元の人たち。究極の被害者じゃないですか。その人たちが主催でやる。僕らはそれを手助けするという形は、今回のプロジェクトFUKUSHIMAがやろうとしたイメージのなかで、一番リアルに感じたやり方なのね。
 今回僕のなかで、浪江音楽祭がプロジェクトFUKUSHIMAで何ができるかっていう中では、一番リアルだったなって感じた。
――― 僕も2週間いてそれぞれみんな面白かったんだけど、一番印象に残ったのは浪江音楽祭だった。
ミチロウ 地引さん、2日目に来たじゃないですか。前の日がすごかったんですよ。いろいろあって。問題点もいっぱいあって。
――― 問題点っていうのは?
ミチロウ 思ったより人が集まらなかったっていうのが。イメージではバラバラになった浪江の人たちが、あちこちの仮設からいっぱい集まって、あそこで再会できるイベントっていうイメージだったんだけど、思ったより外から人が来なかったんですよ。
――― 二本松の中にも、ほかにも仮設住宅があるんだよね。
ミチロウ いっぱいある。二本松だけじゃなくて、郡山にもあるし、福島にもあるし。だって2万人が……。ああいう体育館がある会場あそこしかなくて、あそこでやったんだけど、思ったよりあちこちから来れなかったんですよ。時期的なものもあるだろうし、宣伝のこともあっただろうし。あの仮設に住んでいる人たち自体も思ったより参加できなかった。
――― 初日には民謡や…
ミチロウ のど自慢大会とか盆踊りとか。
――― 地元の人もいっしょに集まれるものだと思うけど。
ミチロウ そう。しかも民謡には原田直之さん(民謡歌手)が来てくれて。原田さんは浪江出身で、浪江のヒーローなんですよ。原田さんが来ればもっといっぱいいろんな人が来ると思ったんだけど思ったより来なくて。…こっちの実行委員自体の力不足が大きいんだけど。なかなか大変ですけど…、でもすごいやってよかったなっていう。

相馬盆唄 原田直之

――― 1日目と2日目では来ている人たちの感じは違ったの?
ミチロウ 完全に違った。2日目はコンサートだから外からも来ているけど、初日の方は浪江の人間だけって感じ。それはそれでいいんだけど、もっと集まってくれればなっていうのがあった。
 実行委員も5人位でやったんですけど、みんな(避難で)バラバラなんだよ。ひとりは青森、ひとりは仙台に住んでいて。実行委員長だけは福島市で、二本松に住んでいるやつは誰もいない。
 初日に開会式をやった時に馬場町長(馬場有・ばばたもつ1949~2018)も来てくれて、二本松の教育委員長も来たんですけど、いろいろ挨拶して。いきなり馬場町長が「わたしたちは今、戦争だ」と言い出して。その馬場町長の挨拶が一番感動的だった。でも、馬場町長に対して浪江町民のズレがあるんだよね。馬場町長は先頭に立って政府とやり取りしてるからわりと過激なんだけど、そこに住んでいる仮設の人たちはまたちょっと違う。それはけっこう、ああそうなんだなあと思った。

福島集会あいさつ 馬場浪江町長

――― 最初に二本松の仮設住宅の集会所で歌ったのは、いつ?
ミチロウ あれは今年の3月。3月に福島をベタっと回るツアーをやったんですよ。そのなかの流れのひとつで、仮設でやろうっていう話があって。今回の浪江音楽祭の実行委員をやってくれた中の一人がやれるようにしてくれて。でもあそこの仮設は、外からいろんなのが来て何かやったりするのが一番多いところなの。けっこうもう慣れきっちゃってるところがあって。「あ、またね」みたいな。そんなに「おお、来てくれた!」みたいな感じはなかったんだけど、でも面白かったですね。
――― そこで「オデッセイ」とか歌ったんでしょう(笑)?
ミチロウ そうそう(笑)。いや、何歌ったらいいのかわからないじゃないですか(笑)。それでいつも通り歌ったら、結構おばちゃんたちも喜んでくれて。ああいうところで歌うと、どうしても「頑張れ」みたいな感じの歌う。そういうは一切やらなくて、いつもの俺の歌うたったから、逆にそっちのほうが新鮮だったみたいね。
――― それをきっかけに、今回の実行委員の人達と知り合ったの?
ミチロウ 最初は矢沢さんって女の人から「浪江音楽祭に出てくんない?」みたいな話があったんだけど、その段階では今年はできるかわからないって。いつもやってた音楽祭(ストリート・ミュージック・フェスタinなみえ)が去年は震災でできなかったから、今年は二本松でやろうかな、みたいな話があって。「もし二本松でやるなら出てくれませんか?」っていう話があったの。
 それで連絡取るようになって、とりあえず3月に仮設でやれないかなっていう話をしたら、セッティングをしてくれて。ここで出来るじゃんっていう話になって。8月プロジェクトFUKUSHIMAやるから、その時に浪江音楽祭をここでやろうっていう話しになったんですよ。
――― 話を聞いたら、5、6年前から浪江でストリート・ミュージック・フェスタっていうのをやっていたんだよね。
ミチロウ そう。最初はもっと軽いノリで、「浪江ストリートミュージックを今年はあそこでやろうか」っていうことだったんだけど、そういう話を町の方に持ってたら喜んで、もう1日盆踊り大会なんかもやってくれないかっていう話しになって、二日間やることになった。
 いやぁ、盆踊りは良かったよ。何が良かったかって、最初は「ハイパー盆踊り」っていって、普通の盆踊りとヒップホップを合体させたヒップホップ盆踊りをやろうとしたんですよ。そうすると若いヤツも決まった踊りじゃなくて、そのリズムでゴチャゴチャに踊れるかなって。年寄りも若者も子供も、ぜんぶ踊れるような盆踊りを考えたんだけど、実際やろうとしたら、原田さんが「いや、そのリズムじゃ出来ません」って(笑)。それで結局、原田さんは原田さんで歌うことになって。ヒップホップはできないから、   YouTubeから取って来た音源で残りをやったんですけど。頭で考えたことを実際やろうとしてもなかなかね。実際、盆踊りに参加して踊ってみたんだけど、盆踊りって、踊るっていうよりも、振り付けがあるじゃないですか。みんな同じ事をこうやって、チャランチャラッタ、これが楽しいんだね。みんな好き勝手に踊るんじゃなくて、同じ振り付けを、こうやってこうってみんな覚えて、皆が同じことをやって一体感になるっていうのが…。ああそうか、根本的に間違ってたなと思って。盆踊りに対する考え方が(笑)。
 二本松にも子供の頃盆踊り大会があったんだけど、その時にやってたのがやっぱり「相馬盆歌」で、同じなの。浪江町も盆踊りっていったら相馬盆歌なの。あの辺一体は全部実は同じだったんだよね。だから微かに記憶に残っていて、踊れたんだけど。微妙に違うんだけど、歌が一緒だからだいたい一緒だよね。あの辺、だいたい相馬盆歌なんだよね。
それで相馬盆歌にはまって、YouTubeで探したら、いろんな相馬盆歌があるんですよ。ジャズでやっている相馬盆歌もあれば、ディスコ相馬盆歌とかあるんだよね。「これ使えばハイパー盆踊りになるじゃん」とか思ったりしたんだけど(笑)。あと、美空ひばりが歌ってるツイストの…すごく難しいツイストのリズムで相馬盆歌を歌ってるんですよ。美空ひばりってやっぱりすごいね。どうやって踊っていいかわかんないんだけど、ツイストでこうやって。来年はそれを…。

相馬盆唄 美空ひばり

浪江音楽祭で遠藤賢司と 2012/8/19

遠藤兄弟 (遠藤賢司&遠藤ミチロウ) - 不滅の男 (2012)

<東北への愛着>

――― 元々福島を捨てて東京に出てきて、ある意味故郷を捨てたというか、関わりを絶ちたい気持ちは強かったでしょう?
ミチロウ いや、そこまでじゃない。俺そんなに、福島が嫌で嫌でっていう感じじゃなくて、家族の問題とかあって。自分のなかで家族的なものを否定してて。子供も作らない、作りたくないとかあるし。漠然と、家族っていう形態を自分の中で否定してるところがあって。それが多分福島になっている。福島っていうのは自分にとっては、ある意味で「家族」っていう生活の仕方の根っこだから。
 だから僕は、東北に対する愛着は滅茶苦茶あって。この前山形に行ってきたんだけど、山形は俺にとっての故郷っていうか。青春時代を過ごしたから。だから自分個人にとっての故郷的なイメージっていうのは、山形が強いんですよ。山形に行くとホッとするっていうか。それに家族っていうイメージが繋がってくると福島になるから、ちょっと苦手だなー、みたいな。かといって、田舎が嫌で都会に行きたかったわけでも全然なくて、もっと田舎に行きたかったくらいで。東京に行こうなんて気は全然なくて。福島よりもっと北の、もっと東北的なイメージのところに行きたかったんですよ。ほんとは北海道に行きたかったんだけど。ある意味では、東北って実は日本的っていうところからはズレてるじゃないですか。日本的なものの象徴って関西だったり京都だったりするけど、東北って日本的なところからちょっとズレてる。もっとズレた北海道に行きたかったっていうのは、日本的なものから逃げたかったっていうのはある。北海道か沖縄に行きたかった。
――― 大和的なものが…。
ミチロウ そうそう。ヤマト的なものがダメだったんですよね。
――― もっと原日本というか、縄文的というか。
ミチロウ そう。その意味では福島は一番大和的な東北なんですよ。東北のなかでは一番大和的な要素があって。だから初めて山形に行った時は、違う世界に来た感じがしたもん。言葉も通じないし。隣の県なのに言葉が通じない(笑)。ある意味では福島は、東北っていうより関東文化圏なんですよ。
――― 俺は若い頃によく福島に行ってて、二本松や東和町(現在は二本松市に併合)っていうのが自分にとって一番故郷的なイメージになっていたんだよね。関東から見ると、福島ってそんなに東北って感じしないよね。
ミチロウ 文化的には多分福島も関東文化圏なんだよね。だからなんとなく、福島に原発があるっていうのもわかる。わかるっていうか、なぜ福島なのかっていうのは、もう関東って言う捉えられ方されてる。言葉もそうだし、食文化もたぶん。だから山形に行ったときは違いにすごいびっくりしたもん。

福島市四季の里

遠藤ミチロウ  震災2年目の南相馬を訪れて

<現場で歌う>

――― 以前、チャリティイベントを断ったり、「政治的スローガンが先立つようなイベントには出たくない」って言っていたじゃない。政治的活動と音楽を結びつけるのが、元々あまり好きじゃないかったと思うけど。
ミチロウ そうだね。ミュージシャンとして参加するんじゃなくて、一人の市民としてやるもんだなと思ってる。ミュージシャンができるっていうとチャリティとかじゃないですか。個人的にはカンパもするけど、表現とは別物だなっていうのがあって。それを、表現とチャリティをくっつけるのはあんまり僕的には…。
――― 政治的スローガンが先にあるようなイベントには出たくないと…。
ミチロウ そうだね。それは今でもそうですよ。
――― それが福島の場合はどういう違いがあったのかなと思ったけど。
ミチロウ 福島はそういう、…例えば政治的スローガンがあってそこで音楽が登場するっていう、それ自体も駄目だっていうふうに思わせたくらい、でっかい出来事だった。そんなんじゃ駄目なんだっていう…。だから、表現で何が出来るかっていうことと、政治的スローガンがあるっていうことは、安易に利用しちゃ駄目なんだっていう。政治的なことをやるなら徹底してやるものであって、表現が出来ることっていうのは…。
 客寄せパンダじゃないけど、政治的集会に音楽があることで人を呼ぶっていうのは、やっぱり表現の自殺行為だなっていうのは変わらないんですよ。だからいまだに僕は反原発の(イベント)で歌っていないし。
 表現では反原発って言おうが、原発推進って言おうが、どっちでもいいんですよ、そんなことは。表現は表現で、わかるじゃないですか、質の高い表現だなあっていうのが。そこが問題なんであって。表現で反原発を歌ってるか原発賛成だって言ってるかっていうのは、大した問題じゃない。表現は質の高さだけが問題であって。
――― 「表現にはいろいろな要素・側面があって、それをひとつのスローガンのもとにまとめられてしまうのが嫌だ」っていうことだったと思うけど。
ミチロウ そうそう。スローガンじゃ汲み取れなくて、こぼれ落ちてしまういろんなものってあるじゃないですか。そこに表現の一番の本質があって。汲み取れちゃうことを表現してもしょうがないなっていうのがあるんですよ。
――― ただ今回は、ハロー廃炉の日ではっきりと「廃炉」と口に出しているけれど。
ミチロウ あれはね、基本的には「原発なんて要らない」でいいんだけど。ハロー廃炉っていう…、8月16日を廃炉記念日にしようみたいな、わりと軽い(笑)ものなんですよ。原発そのものに対して、みんないろいろな表現があるわけじゃないですか。べつに僕はあそこで、反原発って歌って欲しいわけではないんですよね。あそこで、3.11以降のいろんな表現っていうものの面白いものがいっぱい出てくるといいなっていう、その場を作りたかっただけ。たまたま8月16日を廃炉の日にしちゃえっていう…。
――― 個人としては反原発であってもそれと表現は別っていうこと?
ミチロウ うん。あんまりね、例えば表現者としてあの人は反原発だからとか、原発推進だからとかは大した問題じゃない。その表現がすごければ面白いっていうだけであって。反原発って言っていようが、つまんない表現はつまんない。
――― じゃあ反原発運動のイベントなんかでは、今も……。
ミチロウ 歌いたくないですよね。

遠藤ミチロウ - 原発ブルース (2012)

――― 11月には沖縄に行くんでしょう。それはまた別?
ミチロウ それは別です。でも沖縄の基地問題と原発の問題は、本質的に一緒なんで…。自分のなかでもいろんな矛盾を、自分の中の矛盾を感じながらやってるんだけど、とりあえず現場、現場で歌うっていう…、集会的な所じゃなくて、現場。福島なら福島で。そこで歌うことの意義っていうの。
 沖縄なんてしょっちゅう行っているんだけど、どんどん沖縄が持っている本質がぼけてきちゃったりするのね、ずっと行ってると。福島もそうなんだけど。自分の表現がそういう現実とどうやって向き合っているのかっていうのを、自分で実感として確認したいなっていうのがあって。福島は自分の故郷でもあるから余計にそうなんだけど。
――― でもどうしても、なかなか明るい方向にはならないね。
ミチロウ だって明るくないんだもん。暗い方が可能性あるって。暗い方が可能性あるってのも変だけど、だって明るくなんないんだもん、全然。福島自体明るい方向に全然なってないじゃないですか。ここ一年の転落の仕方っていうか……。
 本当にあれだね、自分ひとりでもやるんだっていうのがないと、続かないね。確かにみんなでやってんだけど、皆でやれなくても、ひとりでできることやんなきゃっていうのがないと、続かないわ。どんな些細なことでもいいから、でかいことなんかできなくてもいいから。
 基本は、今福島に住んでる人達の目線じゃないけど、そこからの発想なんだよね。そこからしかないんじゃないの。

THE STALIN 246 - ワルシャワの幻想 @ フェスティバルFUKUSHIMA! 2012

プロジェクトFUKUSHIMA!納涼盆踊り

2012年10月4日  三鷹

 このインタビューの翌年2013年には、ミチロウの提案でプロジェクトFUKUSHIMA!の8月のフェスとして、福島市内で盛大な盆踊り大会が開かれた。櫓の上で歌う遠藤ミチロウの音頭に合わせて、会場にあふれるほどの人々が盆踊りを踊り続けた。

プロジェクトFUKUSHIMA! 納涼!盆踊り(2013.8.15)

フェスティバルFUKUSHIMA! 2013 盆踊り - ええじゃないか音頭


 その後、ミチロウは様々な場面で、独自の音頭と盆踊りを生み出していく。
 次回、最終回は膠原病による入院から復帰して、新たな活動に挑もうとする遠藤ミチロウ。2015年の未発表インタビューを掲載。



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