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運営変更しました。 70’s〜90’sの音楽を中心にしたサブカルチャー、アンダーグラウンドカルチャーと、それに影響を受けた今の作家を紹介します。 Twitter:https://twitter.com/kb_pub

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マガジン

  • 『EATER on note』 遠藤ミチロウ

    写真家・地引雄一氏による遠藤ミチロウ氏の貴重な生前のインタビュー集

  • Tokyo Undergroundよもヤバ話

    かつて山口冨士夫のマネージャーをしていたカスヤトシアキの取材による、970~80年代の地下にうごめくロックンロールバンドたちの活動を、ロックバンド『藻の月』のVo・Guであるジョージ氏(EX『自殺』『コックサッカーズ『ウィスキーズ』)をはじめとする関係者たちの証言で追う。

  • 水玉消防団ヒストリー

    吉岡洋美(@ysokhrm)の取材による、日本の⼥性パンクバンドの草分け、水玉消防団のヒストリーをメンバーの天鼓、カムラの証言で追う。

  • 北村早樹子のたのしい喫茶店

    歌手、文筆、役者など多彩な顔を持つ北村早樹子さん(@warabisco)が毎回、大好きな東京の喫茶店と、かなり変わった想い出を綴るエッセイです。

  • LIFE IS ART‼ 映画でアート思考をアップデート

    生涯童貞を貫く現代アーティスト、山口明さんがアート映画や音楽映画を解説するコーナー。これを読めば、あなたのアート思考がアップデートできる⁉

最近の記事

『EATER on note』 遠藤ミチロウ vol.5

取材・文・写真◎地引雄一 遠藤ミチロウ 「ミチロウ」を語る―インタビュー集成― 第5回 ミチロウ音楽論 2002年のインタビューで、遠藤ミチロウは自らの音楽表現の核心に迫った話を展開している。今回はその未発表のインタビューから、彼の音楽に対する真摯な姿勢を伝える、70年代からパンクに繋がる自己否定というあり方、音楽と社会的政治的メッセージとの関係、ニューヨーク・テロで感じた表現することの虚しさについて、という三つのテーマを取り上げてみた。 「自己否定から解体へ」 ―

    • 『EATER on note』 遠藤ミチロウ vol.4

      取材・文・写真◎地引雄一 遠藤ミチロウ 「ミチロウ」を語る―インタビュー集成― 第4回 アメリカ・インディアンへの旅 インディアンと呼ばれたネイティブ・アメリカンの人々に対して、幼少期から強い興味と共感を覚えた遠藤ミチロウは、1991年から3回にわたってインディアン居留地を訪れている。伝統的な儀式に参加したり、彼等の前で演奏をしたりといった交流の中で、ミチロウは何を感じ、何を思ったのだろうか。 <理想的な黄泉の国> 1990年7月、ミチロウは第二期のスターリンを率い

      • 『EATER on note』 遠藤ミチロウvol.3 

        取材・文・写真◎地引雄一 遠藤ミチロウ 「ミチロウ」を語る  ―インタビュー集成―第3回   スターリンから弾き語りへ  遠藤ミチロウ率いるザ・スターリンは1982年のメジャーデビュー後、ロック・シーンを越えて大きなセンセーションを巻き起こし、1985年には華々しく解散する。ミチロウはソロやビデオ・スターリンでの活動を経て、1989年に第二期の「スターリン」を結成、東欧ツアーなどを実現させた後、1992年でスターリンとしての活動を終えた。そしてそこから、バンドからソロへ、

        • 『EATER on note』 遠藤ミチロウVol.2

          取材・文・写真◎地引雄一 遠藤ミチロウ「ミチロウ」を語る          ―インタビュー集成―第2回  ザ・スターリン誕生  山形大学での学生時代に、学生運動やヒッピームーブメント、アングラカルチャーといった時代の激流を体験した遠藤ミチロウは、東南アジアでの一年間の放浪生活を経たのち東京へと居を移し、1977年渋谷のライブハウス、アピアを拠点にアコースティックギターを抱えて歌い始める。そしてパティ・スミスをきっかけとしたパンクとの出会いから、ザ・スターリンに至るパンクロ

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        • 『EATER on note』 遠藤ミチロウ
          3本
        • Tokyo Undergroundよもヤバ話
          14本
        • 水玉消防団ヒストリー
          19本
        • 北村早樹子のたのしい喫茶店
          27本
        • LIFE IS ART‼ 映画でアート思考をアップデート
          7本

        記事

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第14話『Nobu/桑原延享(Kuwabara Nobutaka)音と共に生きていく』

            話/◎桑原延享 取材・文◎カスヤトシアキ   『シスコで聞いた江戸アケミの訃報』    『FOOLS』の耕(伊藤耕)の歌ではないが、若い頃はまるで羽が生えたような気分になることがあった。高揚感が胸の奥から湧き起こり、どうしようもないほどにテンションが上がるのだ。   いやいや、別に何か仕込んでいるという訳では決してない。どっちかというと、ドーパミンが多く出る体質なのである。そのままのハイな気分で物事を決めようとすると、  「ちょっと待て、頼むから、一呼吸置い

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第14話『Nobu/桑原延享(Kuwabara Nobutaka)音と共に生きていく』

          『EATER on note』 遠藤ミチロウVol.1

          取材・文・写真◎地引雄一 遠藤ミチロウ 「ミチロウ」を語る      ―インタビュー集成―    遠藤ミチロウがもし今も生きていたら、何を語りどんな行動をとっただろうか。  常に時代と闘い、現場に身を置き続けた遠藤ミチロウ。彼の言葉に今一度耳を傾けたい。    手元には遠藤ミチロウの5本のインタビューテープがある。2本は90年代に『イーター』という雑誌のために行ったインタビュー。1本は東日本大震災の後で刊行した『イーター2014』に掲載したインタビュー。あとの2本は未発

          『EATER on note』 遠藤ミチロウVol.1

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第13話『Nobu/桑原延享(Kuwabara Nobutaka)が踊るまで』

          話/◎桑原延享 取材・文◎カスヤトシアキ   『無意識の中で踊るように生きる人生』  Nobuのステージを初めて観たのは10年近く前の地球屋だと思う。エミリー率いる『ダイヤモンズ』の対バンが『Deep Count』だったのだ。演奏が始まってすぐに気持ちを持って行かれた気がする。エッジの効いたインパクトのあるサウンドが心地良かったからだ。そこにNobuのヴォーカルが乗っかると、それはラップなのか、アジテーションなのか、なんとも意表を突くアプローチだった。こちらの心の準備が

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第13話『Nobu/桑原延享(Kuwabara Nobutaka)が踊るまで』

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第12話『ジョニー・サンダース台風の中での山口冨士夫と忌野清志郎』

          ※想いの残る一瞬の出来事は、映画のワンシーンのようだ/ジョニー・サンダース&山口冨士夫 話/資料提供◎鳥井賀句 取材・文◎カスヤトシアキ 資料写真◎古岩井公啓(GoodLovin’Production)    『ジョニーが冨士夫を呼んでるぜ!』  なんちゃって、「ぜ!」は付かなかったと思うが、かなりキザな言い回しで賀句さんは電話してきたのだと思う。しかし、全世界のジョニー・ファンにまことに申し訳ないのだが、無知な僕はこのとき、ジョニー・サンダースをよくは知らなかった。

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第12話『ジョニー・サンダース台風の中での山口冨士夫と忌野清志郎』

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第11話/鳥井賀句『ブラックプールから見る景色/スピード/ペイン/東京ロッカーズ』

          ※ 盟友・ジョニー・サンダースと共に 話/資料提供◎鳥井賀句 取材・文◎カスヤトシアキ 資料写真◎井出情児 資料写真◎地引雄一 資料写真◎鈴木 資料提供/青木ミホ   『40年前、遊びの輪の真只中で……』   自宅の電話が明らかに盗聴されていた。   受話器を取ると“カチャン”という音がして、その直後から少しくぐもったような音声になる。多少だが聞き取りにくくなるのだ。  「おい!この電話おかしいぞ。盗聴されてねぇか?」  かけてきた友達が怪訝(けげん)そうな声を

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第11話/鳥井賀句『ブラックプールから見る景色/スピード/ペイン/東京ロッカーズ』

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第10話『ROCK前夜/鳥井賀句の音と思想的革命話』

          取材・文◎カスヤトシアキ ※タイトル写真:80年代に自ら経営していたROCK BAR 『ブラック・プール』 にて   『鳥井賀句さんと新桜台のロック・バーで呑む』    昨年(2023年)10月の終わりに鳥井賀句さんとお会いした。新桜台にできたばかりのロックバーを指定してきたので、(当然のことながら)どこまでもロック好きなんだなって、改めて思った。まぁ、僕としても子供の頃からの音楽好きで、なんでも聴きまくってきた人生なのだが、賀句さんみたいには、熱のこもったロック・マ

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第10話『ROCK前夜/鳥井賀句の音と思想的革命話』

          水玉消防団ヒストリー最終回 天鼓1988年—現在 

          取材・文◎吉岡洋美       水玉消防団活動休止後、ヴォイス・パフォーマーとしてヨーロッパはじめ海外でのライブ活動が多くなっていった天鼓。常に自分の直感と興味にブレることなく歩み続け、表現の可能性を広げてきた彼女だが、連載最終回は天鼓の水玉消防団休止以降から、ここ最近目を見張るほどライブ活動を行っている現在までを話してもらった。   日本の即興ミュージシャンたちの台頭   ——‘88年に水玉消防団が活動休止になった頃は、子育てと海外ツアーで多忙を極めていたと話されてい

          水玉消防団ヒストリー最終回 天鼓1988年—現在 

          水玉消防団ヒストリー第17回 カムラ1988年—現在 

           取材・文◎吉岡洋美  それぞれメンバー個々の仕事や活動が活発になるなか、1988年のライブを最後に活動休止した水玉消防団。ここからの2回は本連載のストーリーテラーで、現在も現役で音楽活動を続ける天鼓、カムラに、それぞれ水玉休止以降から現在までをインタビュー形式にして、連載を締めることにしよう。 まず今回は、水玉休止のあと日本を離れ、現在ロンドン生活が35年となるカムラにその後の音楽活動の軌跡を聞いた。                     ◇              

          水玉消防団ヒストリー第17回 カムラ1988年—現在 

          水玉消防団ヒストリー第16回 1986—1988年 カムラ山猫、天鼓ソロアルバム、水玉活動休止

          取材・文◎吉岡洋美 協力◎糸川耀史、松永もうこ    水玉消防団はセカンドアルバムを発表し、天鼓はメールスで大喝采を浴びた翌1986年。海外からオファーを受けることが多くなった天⿎は、ソロのヴォイスパフォーマーとしても国内外で忙しい日々を送るようになっていた。 天鼓「メールスのあとはNYノイズのミュージシャンたちと、ほとんど毎年のようにどこに行っても会うような感じでしたよね。日本以外のライブが多くなって、ヨーロッパから頻繁に声がかかるようになって、デヴィッド・モスのバンドの

          水玉消防団ヒストリー第16回 1986—1988年 カムラ山猫、天鼓ソロアルバム、水玉活動休止

          水玉消防団ヒストリー第15回 1985年『満天に赤い花びら』、天鼓メールス・フェスティバル

          取材・文◎吉岡洋美 協力◎松永もうこ 2ndアルバム『満天に赤い花びら』   演奏も活動も「自分たちのやり方でしかできない」(カムラ)し、「あくまでも自分たちの面白いこと」(天鼓)を重ね続け、必然的に大手レコード会社からのリリース話を断った水玉消防団は、’84年秋、自身のレーベル「筋肉美女レコード」からリリースする新アルバム制作に入る。翌’85年3月、『満天に赤い花びら』のタイトルで発表されたこのセカンド・アルバムは難産の末に完成したという。 カムラ「セカンドは本当に産み

          水玉消防団ヒストリー第15回 1985年『満天に赤い花びら』、天鼓メールス・フェスティバル

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第9話『 “SPEED” “FOOLS” “TUMBLINGS” “TEARDROPS”』

          取材・文◎カスヤトシアキ 話/野月ジョージ(ミュージシャン) 話/中村俊彦(クリエイター) 話/山口冨士夫(ミュージシャン) 話/ケンゴ(ミュージシャン) 話/ジニー・ムラサキ(クリエイター) V T R◎音源提供/Andy Shiono http://andys-video.com/ 資料提供/青木ミホ 写真/鈴木  ※タイトル画像はSPEED/右端から青木眞一、ケンゴ、井出裕行、ボーイ/Photo by Suzuki   『青木家のルーツから見た、青ちゃんが育っ

          Tokyo Undergroundよもヤバ話●’70-’80/地下にうごめくロックンロールバンドたち第9話『 “SPEED” “FOOLS” “TUMBLINGS” “TEARDROPS”』

          水玉消防団ヒストリー第14回 1983-1984年「筋美連通信」、天鼓NYソロデビュー

          取材・文◎吉岡洋美    ‘81年5月末にJORAは閉店したものの、水玉消防団はパンク、ニューウェイヴシーンのなかで安定した知名度を誇るようになっていた。ますますライブ・オファーは増え、JORAなきあとは「当時、貸しスタジオのなかでも一番安くて、ほとんどのパンクバンドがそこで練習してたはず」(カムラ)という、大久保のスタジオ・テレコムに練習場を移していた。5人で、毎日のように集まって音出しするのは相変わらずだが、スタジオでは天鼓がメンバーを引っ張っていくようになる。 カムラ「

          水玉消防団ヒストリー第14回 1983-1984年「筋美連通信」、天鼓NYソロデビュー