『EATER on note』 遠藤ミチロウ vol.5
取材・文・写真◎地引雄一
遠藤ミチロウ 「ミチロウ」を語る
―インタビュー集成―
第5回 ミチロウ音楽論
2002年のインタビューで、遠藤ミチロウは自らの音楽表現の核心に迫った話を展開している。今回はその未発表のインタビューから、彼の音楽に対する真摯な姿勢を伝える、70年代からパンクに繋がる自己否定というあり方、音楽と社会的政治的メッセージとの関係、ニューヨーク・テロで感じた表現することの虚しさについて、という三つのテーマを取り上げてみた。
「自己否定から解体へ」
―― スターリンの時ってかなり政治的な言語が使われていて、すごく屈折した感じもしたんだけど。
ミチロウ すごい左翼的に最初思われてて。でもどっちかって言ったら、政治はやっぱりひとつの正義を語るものじゃないですか。スターリンは正義は歌いたくない(笑)。政治そのものを歌の素材にしちゃうことはあるけどね(笑)。
―― 70年代の反体制の時代を体験した世代ではあるんだけど、それがなぜパンクになったんだろう。
ミチロウ 俺、ヒッピー的なこともやってきたから、自己否定っていうのが学生運動の時にあって。それまでの自分を否定して、新しい自分になるんだみたいな。結局はパンクもそれだと思ったんだよね。
―― 自己批判ってのが学生運動の時にあったけど、それ?
ミチロウ 自己否定って要するに、今までのできあがった自分を自分で解体して、新しい自分に生まれ変わるんだみたいな。世の中の価値観、できあがっちゃった価値観を壊そうっていう、結局それとパンクと同じだと思った、同じような気がしたんだよね。パンクっていうのは70年代の延長だって、俺はそういう感じがしたんだよね。
―― 70年代を否定してパンクになったってわけじゃないんだ。
ミチロウ それは難しいんだけども、ヒッピー的な、ラブ&ピース的な、じゃないところに、パンクの面白さを見つけたんだけど。結局その発想って、やっぱり70年代的だなっていう気は俺はしたんだけどね。
例えば、ラブ&ピースって言った時に、暴力的なものをどっちかって言ったら否定してたじゃないですか。でも僕等がやってたことはすごい暴力的な方法で、「解体しちゃえ」とかやってたわけじゃない。だからその辺は、今から考えたら、ラブ&ピースもパンクも同じところにあったのかなって気もするんだけどね。
―― 70年代ってラブ&ピースも学生運動も、理想を追ってた時代だったじゃない。
ミチロウ 確かに、理想を描いてたよね。理想が描けなくなった時にパンクが出てきたんじゃないかっていう(笑)、それは確かに。
―― 常にこことは違う場所、違う世界を求めてたけど、良い悪いは別として、まずここに居る現実を受けとめることから始めるってのが、パンクの出発点にあったんじゃないかって思ってて。スターリンの歌詞にそれをすごく感じるんだけどさ。現実をたたきつけるというか。
ミチロウ 多分、徹底的にまだかすかに残る理想に対して、それもないんだ、それもないんだっていうふうに、全部シラミつぶしに理想を潰していったのかもしれないね。理想なんかネエんだっていうふうに。ただ、その作業だけだった気もするんだけどね。
THE STALIN - ワルシャワの幻想 (1983)
さっき自己否定って言ったけども、パンク自体がすごいアイロニー的存在だって思ってたんだよね。だからよく「70年代のあだ花だよ」とか言ってたんだけど。そういう意味では、すごい地続きだと思うんだけどね、パンクっていうムーブメント自体が。
パンクっていうのは、すごい自己否定的なものだと思ってたんだけど、…自己否定っていうよりはもう、解体の表現って言ったらおかしいんだけど…、例えば全てを解体しないと新しいものは生まれないみたいな傾向あったじゃないですか。
でも、自分の何を否定して…、否定したところで否定しきれなかった自分に…そこにこだわって、そこを立脚点にして行くところしか表現できないかなみたいな、それはずうっと変わんないだけどね。
THE STALIN - ロマンチスト (1983)
「音楽と社会正義」
――― ソロになると出る場所も変わってきてるでしょ。メッセージ性の強いイベントなんかにも出たりするの。
ミチロウ どうだろう。選ばないけどね、あんまり。それはどうでもいいっていうとおかしいんだけど(笑)、イベントが何かの、政治的なものでもいいし、ひとつのメッセージ性をもってどうのこうのっていうのは、なんていうかな……。
例えばライブエイド(1985)ってあったじゃないですか。アフリカ難民救済でアルバム出したじゃないですか、いろんなミュージシャンが。あれのイベントの時に、ポール・マッカートニーが『LET IT BE』を歌ったら、イベントの主旨に対してLET IT BE、「なるようになる」はないだろうっていうんで、歌自体が否定されたっていうのがあった時に、いやそれはおかしいんじゃないかなって。
結局、正義を背負っちゃうわけじゃないですか、常にそういうイベントなりは。でも、歌はねぇ、正義を背負えない様な気がすんのね。正義って言い方も変なんだけど…。そこでまた共同幻想と自己幻想の対比になってくるんだけど、例えばその人が歌で表現することと、政治的にどういう立場をとるっていうのを、同次元で…同次元って言うとへんだな、…ここがむずかしいとこなんですよね…、
Paul McCartney - Let It Be (Live Aid 1985)
-―― 社会的な問題についての自分の意見はあっても、それと表現とは別のもんだってこと?
ミチロウ 次元が違うもんだと思うんだよね。例えば有事立法に対して、賛成だと思ったりする奴の表現は否定されるか?されないわけじゃないですか。表現はある種の共同幻想に対するひとつの政治的な判断によって、評価を下せないっていうか。んー。(間)
――― 70年代には、直接的なメッセージ性の強い歌って多かったんじゃない。
ミチロウ うん。でもそういう歌って、全部つまんなくない?
だからそういう部分は、時代の価値観の移り変わりとともに、つまんなくなっちゃったりするんだけど。でも個人の表現っていうのは、…その表現が面白いか面白くないかっていうのは、変わんないと思う。
例えば、あるひとつの問題があって、「反対だ」っていう集会があったとするじゃないですか。その集会には政治家も出てるわけじゃない。そのとき俺が「政治家なんか信じられねぇよ」って歌ったら、ある意味矛盾するじゃないですか。当然、政治家は政治家の発言をするだろうし。じゃあそういう歌は否定されるかっていったら、否定しちゃあいけないと思うのね。あくまでそれは歌としてのだから。
逆に言ったら、歌で政治的なことを…政治的なことっていうのはいわゆる社会正義を、ひとつのイデオロギーとして支持するっていうことを、歌としてどうだこうだって言うのは、そんなに意味のないことだっていうか、うん、たいしたことない。割とメッセージソングっていうとそういうところで評価されちゃうんだけど、そんなのあんまりどうでもいい気がするんだよね。
本質的に、表現するっていうのは、そういう組織的な、共同幻想的なものとは逆立ちしてると思うよね。そこを一緒くたにすると、結局表現っていうのはそういう社会正義とか共同幻想の道具にしかなんないような気がするんだよね。それはすごい、自殺行為じゃないかなっていう…、うん。
例えば前、エコロジー的な所で歌ったことあるんだけど。その時にフッと思ったのは、どういう内容を歌おうが、そこに参加して歌うこと自体でOKになっちゃうんだよね。でも、表現するってことは、どんなで歌おうが「お前の歌はおもしろくねぇ」とか、「なんかいい」とか、そういう視線を常に引き受けなかったら駄目なんだけど、なんでも内容関係なく出てくれただけでOKみたいなってのは、ある種のファシズムだと思うんだよね。だからそれはやっぱり、うーん…。
だって、そういう社会正義的な、共同幻想的なものでは救えないもの、救えない部分っていうのが、要するに表現の立脚するとこだと思うのね。そこをそっちに乗っけちゃうと、なんていうかな…、でもいつもその危険性には晒されてるんだけど。だからある意味では、そこを貫くと「お前、急に反動になったな」とか言われたり(笑)、なんか妙に持ち上げられたりとか。
イベントなりなんなりが、政治的な意図に共感してとか、そういうのはオレ全然ないから。政治的にどういうこと言っていようが、こいつのやってる表現が面白いか面白くないかっていうのは次元が違うんだよ。
オデッセイ 2002 SEX - TOUCH-ME (遠藤ミチロウ, 中村達也)
M.J.Q - 音泉ファック!! (2008)
「表現することの虚しさを感じるとき」
ミチロウ ほんとはスターリンの時だって、今の一人の時だって、例えば何千人何万人のお客がいようが、歌は一対一だと思うんだよね。聞いてる人間との関係は。それは変わんない。
――― 今は一回一回の人数は少なくても、相当数の人が聞いてると思うけど
ミチロウ でもなんかね、別にたいそうなことやってるっていうんじゃなくて、俺が作った歌をお客が…誰かが聞いて、それによってその人がなにがしか慰安を覚えたり、感動したり、何かのきっかけになったりとかっていう、その構図だけは全然変わんないと思うんだけどね。それ自体はすごい地味だけど、一番当たり前の関係で。
こういう話って、すごい本質的なところに行けば行くほど、特別奇をてらった話じゃあなくなってくる。表現とは何なんだろうってなってきた(笑)。
でもあのテロのニュースを見てて、ニューヨークの…(2001年9月11日)、あれを見てて、自分が例えば表現してたり歌ってたりすることに、一種の虚しさというか、…を、むっちゃくちゃ感じたんだけど。自分が歌うことの意味…じゃないんだけども、なんかすごい、しばらく、ある意味では立ち直れなかったっていうか。
――― そうなんだ。
米同時多発テロ 2001年 - NHKニュース
ミチロウ なーんか、歌うことって、なんかすごい…、歌うことってそのものがすごい空虚な感じを受けたんだけど。それは何なんだろうね…。何なんだろうってのもあれなんだけど。
――― 今はそんなことないの。
ミチロウ でもやっぱりそれは、引きずってるよ。
――― じゃがたらのOTOがこの前のアケミの追悼イベントで、テロの話ばっかりしてて、あの日から音楽をやることができなくなっちゃった、音楽をやる意味がわかんなくなっちゃったって言ってたね。
JAGATARA - もうがまんできない 1987/8/9 Remaster
ミチロウ でもそれ、感じない方がおかしいなと思うよ。表現してるやつは、みんなそこに現実のボーンっ!ていうのを見せつけられた時に、なんか「オレのやってることは何なんだろう」っていう…、理由で説明しにくいんだけど、ある種の砂を噛むような虚しさを感じなかったら…、感じるのが当たり前だと思うんだけどね。
――― テロみたいな現実があっても、表現は表現として揺るぎないものが…
ミチロウ いや、虚しさを感じるっていうのは、ある意味でそういう例えば政治的なガーンっていう…戦争でも何でもあった時に、一人の人間の、個人の存在…、個人っていうもの自体がすごいこう虚しさを感じるみたいな…。
――― 表現者っていうだけじゃなくて…
ミチロウ うん。そこに立脚してると思うよね。でもそこもまた、表現の基盤になるところであって、その虚しさを感じなかったら、逆に表現できないっていう…(笑)、うん。
――― あれ以降、やってくうえで変わった部分ってあるの。
ミチロウ なにが変わったんだろうね。うーん。何かが変わったのかって言われると、「何が変わったんだろう」っていう感じもあるんだけど。
――― ああいう大きな事件とかそういうものに対して、表現はそれに拮抗し得る力をもってるっていう、そんな気持ちはあるでしょ。
ミチロウ どうだろ。そこに対する虚しさじゃないですか。テロの時に感じた虚しさとか、オウムの時に感じた虚しさっていうのは。
でも、それでも自分は生きていかなきゃいけないってところで、表現せざるを得ないっていう(笑)。すごいあれだね、分かりにくい話。いやなんかねぇ、すっきりしないですよ、そういうところ。
2002年5月25日 三鷹
遠藤ミチロウ/天国の扉
今回掲載する写真は、2009年に新宿ロフトで開かれた一ヶ月のイベント「DRIVE to 2010」での、原爆スター階段のステージ時のもの。(2009.10.10)
次回、2011年3月11日の東日本大震災と福島の原発事故を受けて、遠藤ミチロウはプロジェクトFUKUSHIMA!を立ち上げ、故郷福島の現実と向かい合う。二年目の夏を終えた2012年のインタビューから、福島への思いと波乱の時代を語る。