おーさわ

「日常にあるものから/日常を経て、”発見”に結ぶ。」そんなテーマで活動してます。

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最近の記事

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150円のnote

値段を150円にしてnoteを売るようになった。 僕の中では大きくて、でもものすごく軽かった。 それは貨幣的価値を僕のセンテンスにつけるということ。 そして150円というお金。 なのに、このnoteは、今価値がない。 なぜ価値がないのか。 もっと細かく言うと、社会的な価値がない。 社会的価値を言うものはより多くの人に届くニーズでもある。 そうはいっても、ボラティリティvolatilityのように売るものによって価格変動する形がビジネスなので、より多くの人に届くニーズだけがビ

    • 儚さの向こう側

      草原にひそむ静寂の夜明け。 薄紫の空がひらくとき、 朝露はそっと、朧な灯を、命の記憶を呼び覚ます。 それは天の贈り物、 握ればこぼれ、目を離せば消えるもの。 光を浴び、世界を映すそのつぶたちは、 なにものでもなく、すべてである。 木々の葉を滑り、蜘蛛の巣を飾り、 冷たい大地に命をつげている。 だが、陽が昇るにつれ、 露は大気の中へと姿を変え、 語りかける。 「わたしは在るようで、在らぬもの、 あなたの手には留まらぬもの。」 壊れるわけでも、奪われるわけでもない、 ただ在

      • そこに佇む、時の遺構|11792文字

        現代社会における共感の欠如とその問題時折、日常の中で人々の表情や声が奇妙に遠く感じる瞬間がある。 渋谷の街を歩くとき、どこかの郊外を歩くとき、電車やバスの中でも、互いに目を合わせないままスクリーンに視線を落とす人の姿が僕の目によく映る。 SNSやメディアが急速に発展している中、どこかの他人や、顔は知っているけど親しくない人(大学では、「よっ友」といわれる関係もある)の生活に触れているかのような錯覚が増えている現代ですが、意外とそこには表面的な「いいね」や短いメッセージのやり取

        • ふわっと。雲と。夢と。|10158文字

          「絶え間なく広がる鏡の迷路を生きる。」 こんなふうに想像してみると、まさに現代社会を映し出している感じが見えてきます。 鏡の中に次々と映る自分の姿が、まるで情報や価値観の反射で形を変えていくように見えて、何が本当の「自分」なのか、どの方向に向かうべきなのか、迷ってしまうことも多いです。一歩踏み出すたびに少し違った景色が見えてくるけれど、その一方でいつも同じ場所をぐるぐる回っているような感覚がつきまとう…。そんなふうに感じることはないでしょうか? このようにアイデンティティや

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          対話の内容に対しての解釈|1319文字

          この記事の中にある対話では、大学生であるA子とB子の対話を通して、恋愛と自己成長の関係について探っていきます。 A子はロマン主義的な考えを持ち、日常から離れた刺激的な恋愛に魅力を感じています。 一方、B子は自己成長を重視し、恋愛の中でも相手との深い対話や感情の共有を通じて、穏やかな日々の中に成長の鍵を見出しています。 ▼下記のNoteにて対話の内容を掲載させてもらっています。 こちらのNoteに関しての解釈の質問がきたので、記載させてもらいます。 1. 「超越的な恋愛」と

          対話の内容に対しての解釈|1319文字

          問答者おーさわ 自己(体験と根の変化と連鎖)|1824文字

          このテキストにおいては、以前書いた文が難しいと実際に読んでくれた方がいたので現在の視点で書いた認識で”分かりやすく”を記述させてもらいます。 前回の記事はこちら!

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          問答者おーさわ 自己(体験と根の変化と連鎖)|1824文字

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          問答者A+恋愛 女子大学生(模倣)|4761文字

          『パイドロス』におけるソクラテスとパイドロスの対話は、私にとって哲学の奥深さと日常の繋がりを再認識させるものでした。 ソクラテスが語る「エロース(愛)」と「弁論術」の対話は、一見遠いテーマに思えるけれど、日々の生活や人間関係の中でも実感できるものです。 ここでは、ソクラテスの思想を大学生である私が感じる現代の日常の文脈に当てはめながら、特に「愛」と「弁論術」についての対話を例示と共にまとめていきます。 1. 魂のメタファーと恋愛における葛藤 『パイドロス』の冒頭で展開され

          問答者A+恋愛 女子大学生(模倣)|4761文字

          問答者A+1 大学生(感染)|1813文字

          休学している僕は、人生の岐路に立たされていた。周囲の友人たちは次々と就職活動を始め、社会に向けたステップを踏んでいた。SNSを見れば、みんなが輝かしい未来に向けて動いているように見え、僕はそこに取り残されているような感覚に襲われた。焦りや不安が胸の中に渦巻く中、僕は自分の選択に自信が持てなくなっていた。 ある日、偶然手に取ったエーリッヒ・フロムの本が僕の心に深く響いた。「人生の意味は、自分の力を発揮し、自分自身のために生きることにある」と書かれていた。これまでの僕は、他人の

          問答者A+1 大学生(感染)|1813文字

          問答者A 大学生(感染)|2036文字

          僕は20歳の大学生だ。大学に通いながら、一人暮らしをして、少しずつ将来の就職活動も意識し始めている。日々、課題やアルバイト、大規模の活動に追われながら、ふとした瞬間に立ち止まって「何のために生きているのだろう」と考えることがある。周りの友人たちは「就職先を早く見つけて、安定した生活を送ることが幸せだ」と話すけど、僕はそれだけで満足できるのか疑問に感じる。 そんなとき、哲学の授業でフリードリヒ・ニーチェの思想に触れる機会があった。「神は死んだ」という衝撃的な言葉、そして「超人」

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          球体A

          ツァラトゥストラが群衆に真理を伝えようとする場面で、弟子が彼にこう尋ねた。 弟子: 「師よ、あなたが語りかけるのは無駄だと感じませんか? 誰も真理を聞こうとしないし、あなたの言葉は風に消えてしまうようです。」 ツァラトゥストラは微笑み、答えた。 ツァラトゥストラ: 「無駄(umsonst)だと思うか? 確かに、彼らは今は聞いていない。しかし、無駄というのは何だろう? ドイツ語の 'umsonst' には、興味深い意味が隠されている。'um' は回り道、避けることを表し、

          題名、三本立てのノート①|5094字

          このシリーズでは、テーマとして「日常の発見を共有する」ということから大学生である僕が、実践を含めて今の現代社会や、自己の視点から見る社会からの逃げ場や逃走線としての「在る」記事シリーズを始めていきます。 最近は、秋の訪れか夏の肌がべたつくような気温から移って変わり、セミやコオロギの声をどこか懐かしく感じ、淋しさを感じる。そんな季節だ。 どの人もまた、木に生えている枯れ葉が落ち葉へと変化していく憧憬を描いていることはよくわかる。

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          ”視”ること|2734文字

          物事を考える点においての重要なことは、僕らは何を考えているか。またどうやって物事を区別しているのか分かりますか? これは視点、視野、視座の3点から明確に理解することができます。 視点とはなにかというと。これは自分の眼から捉えている対象。 簡単にいうと、注目しているポイントです。 視野においては、見る範囲です。 そして視座においては、見る立場です、 これは目の場所でもあります。 例えば、階段の上から見る世界と階段に上らず、地上で見る世界と場所によって見え方や、見える範囲

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          滞りない日常/2031字

          今日の朝は、早く起きた。 昨日は疲労していて、帰ってお風呂に入ってすぐに眠りに入ってしまった。 無意識の中からなにかが手が伸びてきて僕の手と結んだ瞬間。すっとそこに米津玄師の「地球儀」が流れてた。 それは僕にとってはいつもと変わらない。 普遍的な朝だ。 朝食を食べた後に毎回歯を磨く。 そして口を水でゆすぎ、排水溝に水が流れてくあの小さな渦のように僕の朝はいつも緩やかであった。

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          悦ばしき知識

          昨日は、諏訪から新宿に高速バスで向かっていて東京でゲリラ豪雨にて氾濫している場所があったりと鬱々とした日として覚えている。 僕は憂鬱である。 故に事実として鬱々ではないが、鬱々に見えるといいことだ。 なんでやろな~考えるとそこには人という中でつながるものがない社会に向けてアクションしているから、思考しているからなのかなと感じる。 それ故に孤独であるということを信じていないのだ。 以前に、戸松美さんが主宰する「肉態演劇」を見に行ったことがある。 僕自身は行く前にこう感じてい

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          プラトンの一言。

          「とにかくこうして見たところ、暇はたしかにあるようだし、同時にまた、ぼくにはどうもこんな気がするー!暑い日盛りのならいとて、ぼくたちの頭の上では、蝉たちが、うたったり、おたがいに話しあったりしているけれども、彼らはそうしながら、上からぼくたちのほうをも見まもっているのだ、とね。」ープラトン「パイドロス」(258e)[藤沢夫訳、「プラトン全集5』岩波書店より

          プラトンの一言。

          地元諏訪に関して考える

          ご無沙汰しています。 もうすぐ梅雨明けも予定されている中で、もう一度僕にとっての「諏訪」ってどんな感じだろう?と気持ちは曇ったままその時間が過ぎようとしています。 諏訪って?僕は、諏訪で生まれています。 そして諏訪で高校生までの間生活していました。 その中で自分自身の体験として、保育園、学校、部活、クラブ、社会人クラブなどいろんなコミュニティに参加してきました。 ただ、その中で自分自身の求めているもの(例えば、自身の中で言葉にしなくてもわかる思いや感情の部分の他者への疑問や

          地元諏訪に関して考える