50代からの自立
自分は毒親育ちのため、思考や行動の基準が他人になっていた。
自分が無いから自信が持てない。自信が無いから極度のマイナス思考に陥って、大学時代に精神が破綻した。
マイナス思考の原因を探るうちに、自分が毒親育ちであることを知ったのだけど、回復の方向性を間違えた。
自分が本来はどういう人間かを解きほぐし、取り戻さなければならなかった。
マイナス思考は毒親育ちの症状の一つで、問題の本質ではなく枝葉に過ぎない。
なのにそれを消してプラス思考の積極人間になることが解決だと思い込んでしまった。
それだけマイナス思考が辛かったのだけど。
そして行動の基準が親から自己啓発書に変わっただけで、他者であることに違いは無かった。
当然、自分を知ることが出来ず自信が付くことも無く、自分に合わない無理を重ねてうつ病になった。
だから今から本来の自分を掘り起こす作業をしようと思う。
行動の基準を他者ではなく自分に置く。
つまり自立する。
50代になってようやく。
お恥ずかしいったらありゃしない。
だけど行動の基準を他者に置いて依存している限り幸せにはなれない。
今からでも甘えを捨てて自分と向き合っていく。
その自分というものの中には、依存心たっぷりの過去の自分も、現在うつ病で思うように動けない自分も含まれる。50代で気力体力が衰えた自分も。
本当の自分を探す指針はやはり「快・不快」から。
ほんの些細なことで良い。
例えば食器洗い。
洗剤をケチらず泡まみれのスポンジで気持良く洗うとか、なるべく疲れないように慌てずに力を抜いてゆっくりやるとか。
自分は心のどこかに「テキパキとやるべき」という考えがある。でもこういう「べき思考」も甘えではないかと思うようになった。
どうせ親や学校や会社などの他者によってインストールされたものだろう。それを指針にしているなら自立しているとは言えない。
「べき思考」は真面目な人が持つものといわれるが、真面目ではなく依存心が強い。だから精神疾患になるのではなかろうか?
それはさておき、とりあえず現状。
うつ病の自分は無理はしないことを心掛けている。疲れないように行動するし、疲れたらすぐに休む。臆せず休む。サッと布団に寝転んで目を瞑る。早ければ15分くらいで回復する。そのまま1~2時間ほど眠ってしまうこともあるけれど。
家事はゆっくり一つずつ。洗濯機を回している間に掃除や食器洗いはしない。効率化は忙しさを招き疲弊のもとになる。
散歩の時間も限定している。体調が良くてもっと歩けそうな日もサッと引き上げる。歩く速度も意図的に遅くしている。
前回も書いたが、鍛えようと欲張らない。出来るだけ毎日歩くことの方が大事。それで今のところ十分調子が良い。
「人間の体の構造は歩くことに最適化されている」と、どこかで読んだが当たっているようだ。腰の痛みや背中のコリもかなり軽減された。
まあ大雨が降ったり気圧や気温が急降下すればまた再発するのだろうけど。
でも歩けば治ると分かっているのは心強い。
うつ病50代のおっさんが無理せずできることを、コツコツと自己中に考えながらやっていく。
とは言え子供たちや嫁さんの都合には出来るだけ合わせるけれど。主夫なので。
罹患して4年。ようやく自分の都合で動いたり休んだり出来るようになってきた。無理のない力加減もわかりつつある。
自立。
出来ている人は若い時から出来ているのに、自分には人生のテーマになってしまった。
まあいい。
今からでもチャレンジできるのは幸せなことだ。
一生他者の価値観で生きるのは悲しすぎるから。