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母の雑煮


クリスマス、お正月といったネオンで街がキラキラ輝く時期が少し苦手だ。

子ども時代、家族のトラブルが勃発するのがなぜだか決まってこの時期だった。



お笑いコンビ麒麟の田村裕さん著『ホームレス中学生』で、父親の「解散!」のひと声で一家が離散したエピソードは出版当時、各方面で話題となり笑い話としてネタにもされていたが、私はとても人ごとに思えなかった。我が家だって「解散」ギリギリの崖っぷちの冬をかろうじて越えたことが何度もあったのだから。

大人になった今もクリスマスソングが流れてくる季節になると少し胸の奥が騒めく。


年末年始の楽しい行事がなかったことが殆どだった子ども時代を払拭するように、結婚してからはこれらの行事に人一倍力を入れているところがある。



今でもこのような行事に食べたいと思うのは、良い時の母が作ってくれたメニューと重なる。



誕生日やクリスマスにスポンジから焼いてケーキを作ってくれたことがあった。少々硬めのスポンジに生クリーム。真ん中には缶詰のみかんやパインがサンドされていて、赤と緑のドレンチェリーと銀色に光るアラザンが飾られていた。


お正月には京風の雑煮を作ってくれた。鶏肉、里芋、大根、日本人参、丸餅が入ったこっくりした白味噌仕立ての雑煮。上に鰹節、三つ葉、柚子が添えられていた。



結婚して初めてのお正月、私はこの雑煮が無性に作りたくなった。母に電話すると、しばらくしてファックスが届いた。そこにはイラスト付きのレシピが書かれていた。『京風雑煮 ◯◯子風』というなんとも母らしいタイトルが付いていた。レシピを見ながら作ってみたが、なかなかあの味にはならなかった。


感熱紙だったため年々文字が薄くなってしまうレシピ。読めなくなる頃、やっとレシピなしで作れるようになった。

最近やっと母に
「1番寒い大寒の時期に寒い分娩室で産んでくれてありがとう。」
と言えるようになった。


年始には
「今年も作ったよ。」
と雑煮の写真を添えてねぎらいの言葉を向けられるようになった。



私の心の雪解けにはかなりの時間が掛かってしまった。



最近体調を崩しがちな母。



態度とも言葉とも違う「母の味」はその時々に注がれた紛れもない愛であり、私の血となり肉となり私の中に見えない何かとして生き続け、これまでのわだかまりを少しずつ溶かしてくれていたのかもしれない。


今年の正月も白味噌の雑煮を作った。


家族で食べながら各地の雑煮の話題になった時、ふと息子が
「オレにとっての雑煮はこの白味噌だなぁ。」
と呟いた。



いつにも増して感慨深い年の始まりだった。



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