【読書感想文】 うさぎだからと侮ってはいけない児童文学の傑作 『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』
いつぞやかは忘れてしまいましたが、NHK総合で放送中の『ダーウィンが来た!』で、イギリスの田園地帯に暮らすアナウサギを特集していました。
アナウサギは雄のリーダーを中心に群れを作り、地面に穴を掘って、そこを住処として生活しています。
リーダーは、他の雄がやって来れば追い払い、天敵が襲来すれば素早く気がつき、皆を穴に避難させるために地面を踏み鳴らして危険知らせたりと、群れを守るために日々奮闘していて、とても頼もしいものでした。
「格好良いねぇ…」と私はしみじみ呟き、半ばうっとりしながら観ていると、クライマックスでうさぎ最大の天敵であるオコジョがうさぎたちに襲い掛かってきたのです。
オコジョと言っても子供のオコジョでしたが、うさぎたちにとっては最大の危機であることには変わりありません。
しかし、リーダーは抜かりなく皆に危険を知らせ、避難完了を見届けてから自分も穴の中に逃げるのかと思いきや、たった1羽で子供のオコジョを追い払うべく勇敢に立ち向かって行きました。
そうして、うさぎのリーダーと子供のオコジョの手に汗握る戦いが繰り広げられるテレビ画面に最早釘付けの私は、さらに驚く光景を目にします。
なんと、上空から戦いに夢中でまったく気がついていない1羽と1匹を目掛けて、猛禽類が鋭い爪を立てて急降下してきたのです。
「ぎゃー!! リーダー!!」
と、私が近所迷惑にならない塩梅で絶叫した次の瞬間、猛禽類の鋭い爪に捉えられて宙を舞って行ったのは、子供のオコジョでした。
リーダーは間一髪で穴に逃げ込んで助かったのです。
「オコジョぉぉぉー!!」
と、またしても近所迷惑にならならい塩梅で絶叫し、最後の最後になって子供のオコジョに同情した私は、野生で生きるということの厳しさを改めて思い知ったのでした。
カーネギー賞とガーディアン賞をダブル受賞した児童文学の傑作
本日は、『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』(リチャード・アダムズ 著)をご紹介します。
1973年に、イギリスの児童文学賞であるカーネギー賞とガーディアン賞をダブル受賞した児童文学の傑作。
日本では1975年に刊行されましたが、現在、新刊で購入できるのは、2006年に刊行された改訳新版の単行本のみのようです。
ちなみに、私の手元にあるのは1989年に刊行された、旧訳新装版の単行本。
初めて手に取った時に、"お、重い…"と思ったことが昨日のことのように思い出されます。
(私が持っている旧訳新装版がひらがな表記なので、タイトルを"うさぎ"としています)
うさぎが主役の児童文学だからと侮ってはいけない
この作品は、「生まれ育った村に存亡の危機が迫っている」という1羽のうさぎの予言を信じ、新天地を求めて旅立ったうさぎたちの苦難と戦いの物語。
うさぎが主役の児童文学だからといって侮ってはいけません。
可愛らしいうさぎのほんわかしたお話なのだろう、などという安易な想像で読み始めてしまうと、あたかも長編の歴史小説を読んでいるような、緊張感ととんでもない血の匂いにかなりの衝撃を受けることになります。
しかし、うさぎを擬人化せず、本能や生体をそのまま表現する様が素晴らしく、その一方で、仲間たちを信じ、協力し、知恵と知略を駆使するうさぎたちの勇敢さと壮絶な展開の二段構えに心を鷲掴みされるでしょう。
上巻のウォーターシップ・ダウンにたどり着くまでの件も良いのですが、下巻で繰り広げられる、雌うさぎを別の村から連れてこようと奮闘する展開でますますハラハラドキドキが止まらなくなります。
そして、気がついた時には、物語の世界に入り込んで主人公たちと一緒に走り、戦っている自分がいました。
登場するうさぎたちは皆、個性豊かでそれぞれに魅力的なのですが、特に、たくさん悩み、考え、力を尽くし、どんどんうさぎの長として逞しく成長していく主人公はとても格好良いです。
それだけに、最後が哀しくて切なく、名残惜しくなってしまうのですが、何とも言えない安堵感もあり、希望も感じられ、とても温かい余韻に浸ることができました。
P.S.
これを読むと、昔、我が家で飼っていたうさぎくんのつるりとして柔らかい毛並みや、うさ吸いした時のお日さまのような匂いを思い出してしまいます。
もし、私のうさぎくんがウォーターシップ・ダウンの仲間だったら、主人公みたいなリーダーになれ…って駄目!
家で一生、「可愛い、可愛い」と我儘放題ぬくぬくさせます!!