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さらば、パワハラレストラン
今月末をもって、私はベルリンでのアルバイトをひとつ辞めた。
退職理由は、端的に言うとパワハラである。
12月末、社員が増えるという理由から、元々働いていたラーメン屋における自分のシフトが急激に減らされてしまったことで、タスマニアでのスーパーバイター時代に培った「とにかく1時間でも多く働かなければ…!」という強迫観念を猛烈に刺激された私は、日本人向けの掲示板で別のアルバイトを探すことにしたのであった。
そこで見つけたのが、今月末で退職することになったパワハラ日本食レストランである。
仕事を得るまでの過程はかなりスムーズだった。面談に呼ばれて行くとまさかのもう1人の応募者と相席スタイルだったり、「候補者は5人いるから、まずは働いてもらって適性を見てから採用する」と言われたり、今思い返せば怪しいサインはあったものの、初出勤後に次の予定を聞かれ、気がつけばホール担当として定期的にシフトに入れるようになっていた。
働き始めてすぐに、違和感を覚えた。というのも、とにかくレストランの調理担当であるオーナー夫婦、特に妻側の機嫌が常に悪いのである。
レストランはかなり繁盛しており、お客さんが入るタイミングが重なるとどうしてもかなりバタバタしてしまうのだが、そうなるともう手のつけようがないくらい機嫌が悪くなる。そして何をしても、めちゃくちゃ怒られるのである。
ちなみにこれは、私がポンコツで怒られている訳ではない。自分で言ってもあまり説得力がないだろうが、実際、他の従業員も私と同等かそれ以上の熱量で怒られているのである。
もちろんお気に入りの従業員もいるようで、深夜まで飲み会をしたりなどウェットな付き合いをしているらしい。しかし、そんな人たちも働いている時間は普通に怒られている。
研修という概念は当然なく、「やりながら覚えていけ」というスタンスでありながら、一発目で期待されている動きができないと、怒られる。普通に怒鳴られることもあるし、聞こえるか聞こえないかぐらいの声量とタイミングで陰口を叩かれることもある。かと言って正しくこなせる自信のない作業をやろうとしないとさらに怒られるので、どちらを選んでもバッドエンド、完全に八方塞がりである。
最初はそれでも「学費のためだ…」と我慢して少しずつ仕事を覚えて頑張っていた。そして1月中旬、私にとって重大な運命の分かれ道が訪れる。
ラーメン屋とパワハラレストランのどちらかの契約をミニジョブからミディジョブへと切り替えなくてはならなくなったのである。
このミニジョブ制度について簡単に説明すると、ドイツでは毎月規定額以下の収入となる仕事を「ミニジョブ」と定義し、税金等の支払いを免除する制度がある。一方、規定額以上の収入となる場合はパートタイムの仕事であっても健康保険や税金の対象となり、これを雇用主と被雇用者それぞれが負担しなければならない。
そのため、税金等を負担しなくて良いメリットから、ミニジョブを優先して募集するような飲食店も多いのである。
私はもともとラーメン屋からはミニジョブの契約で雇われており、パワハラレストランでもミニジョブの契約をしてしまうと規定の収入を超えてしまうため、どちらか片方を辞めるか、もしくは片方でミディジョブ(税金や健康保険の負担が発生する雇用形態)契約に切り替えるかの二択、という状況であった。
パワハラレストランからはミディジョブ契約でも良いと言われていた。元々は私としてもパワハラレストランでたくさん働けるのであればラーメン屋の方を退職することになっても致し方ないという覚悟だったのだが、いかんせんパワハラなのである。腹を括りかねていた時、まさに渡りに船で事態が好転した。
ラーメン屋の売上が年明けから少しずつ上がってきたため、そこでの私の契約をミディジョブに切り替えるのもやぶさかではないという話になったのである。
離れてみてはじめて分かる有り難みとはよく言うが、パワハラレストランでの勤務を経て、私のラーメン屋への愛は増すばかりであった。
まず、働いていて嫌な気持ちになることがない。忙しくても、力を合わせて頑張ろうという気持ちになる。人が良くて楽しく前向きな気持ちで働ける環境というのは当たり前ではないのだということをこの数ヶ月の私は痛感していた。
それに加えて、「今の私がリソースを割くべきなのは、ここでパワハラに耐えることではないのではないか?」という純粋な気づきがあった。
タスマニアで出稼ぎに全振りしていたあの頃だったらもう少し踏ん張っていたかもしれないが、今の私の最優先事項はデザイナーとしてドイツで働けるだけのスキルを身につけることである。生活のための収入を確保する目的のアルバイトで、ここまでのストレスを受ける必要が果たして本当にあるのだろうか?
となればもはや選ぶべき道は一つしかない。
かくして私は、パワハラレストランでの契約の話を交渉材料にしつつ、無事にラーメン屋でのミディジョブを勝ち取ったのであった。そして、ラーメン屋での一定時間以上の労働が約束された今、もはや私にパワハラに耐えながら頑張り続けるモチベーションは残されていなかった。
2月頭に「今月末を目処に退職したい」と連絡を入れ、本当は「次の人員のトレーニングに充てたいからお前はもう次週から働かなくて良い」と言われたかったのだが残念ながらそうはいかなかったため、月末までなんとかシフトをこなし、先日、満を持して最終日を迎えたという次第である。パワハラレストランとの悪魔契約の一歩手前で踏みとどまることが出来たのは、本当に幸運だった。
実は今働いているラーメン屋にはパワハラレストランと掛け持ちをしている従業員があと2人いて、ラーメン屋のシフトが被ったときにパワハラで負った心の傷を舐め合っているのだが、うち1人がオーナーと深夜まで飲みに付き合わされた際に聞いた話では、彼らは「仕事を覚えてきていたのに」と私の退職を残念がっていたらしい。
そういう「強く当たってはいたけれど実は認めていました」みたいなスポ根が許されるのは『巨人の星』までだぞ、と思ってしまうのは、私が冷めた若者だからなのだろうか。
今回の一件で学んだのは、限られた自分の時間をどう使うかは自分の意思で選んで良い、ということと、「撤退」というコマンドを選ぶことも自分を守るために時には必要だ、ということである。
ちなみに、ここ数日の目下の悩みは、最終日に返し忘れてしまったまかない用の弁当箱を、どのように返却するかということである。
この詰めの甘さに関しては、スポ根で叩き直してもらった方が良かったのかもしれない。