もちもち日記

28歳女性。近況報告を兼ねて日記を更新していきます。

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マガジン

  • ベルリン学生編

    2024年8月26日〜現在滞在中の、ドイツ・ベルリンでの学生生活の記録

  • タスマニアワーホリ編

    2023年12月31日〜2024年7月19日まで滞在していた、オーストラリア・タスマニア島でのワーホリの記録

最近の記事

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日記とライフプランと私

日記を書くことは私のライフワークである。 高校3年生のとき、大学進学を控えたタイミングで「5年日記を書こう」と思い立った。 5年日記とは、一つのページに5日分の日記を書くスペースがあり、5年間の同じ日に何をしたかが一目で分かるように作られている日記である。元々は絵に描いたような三日坊主だったのに、この「去年の自分が今日何をしていたか」が日記を開くたびに確認できるシステムがハマったのか、謎の継続力を発揮し、今や5年日記歴も10年目に突入しようとしている。 この「5年間」とい

    • 進捗の秋

      あっという間に11月である。前回記事の更新は9月であったから、更新頻度をまるまる1ヶ月以上あけてしまったということになる。 noteの初投稿をした去年の12月から地味に1ヶ月に1回以上の頻度で投稿を続けていたので、この連続記録が絶えてしまったのは若干悔しいが、まあ仕方がない。 いかんせん、最近やたらと忙しいのである。 9月末からやっと始まった授業は、数だけで見れば1週間に5コマ、と一見少なそうに思えるものの、1つの授業の時間枠が4時間から6時間ぐらいなので、しっかりと生

      • アラサーの抱負

        2週間ほど前に、28歳になった。 当日はあまり実感なく過ごしてしまったものの、しばらくしてから段々と「これでもう自分も正真正銘のアラサーなんだ…」と噛み締める瞬間が増えてきたように思う。 そもそも何歳からが「アラサー」なのか、という定義はかなり曖昧ではあるものの、個人的にはマジックナンバー30まであと2歩、というところまで来てしまっている28歳にもなるといよいよ、という感じがする。 昨年末から一般的な人生のレールを大きく逸脱している身としては、もはや他の人の人生と自分の

        • リサイクル・新生活準備

          ベルリンでの新生活が始まってから早くも2週間が経過した。 タスマニアで暮らし始めた時の目まぐるしさと比較すると、かなりゆったりとしたテンポで日々が過ぎていっているような気がする。 というのも、私たちはビザの都合上まだ仕事を探し始めることが出来ず、大学の授業も今月末までは始まらないため、必然的に今自分たちが動ける要素である「生活」そのものにフォーカスを当てざるを得ないのである。 おかげさまで、「生活を整える」という観点で見ると、この2週間ではめざましい進歩があった。 私た

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        日記とライフプランと私

        マガジン

        • ベルリン学生編
          5本
        • タスマニアワーホリ編
          14本

        記事

          ベルリン(言語)の壁

          タスマニアを出てからちょうど6週間が経ち、私は今、ドイツの首都、ベルリンにいる。 日本に一時帰国していた1ヶ月は、とにかく家族や友達と遊んで、遊んで、たまに実家に置いていた荷物を片付けて、そして遊びまくっていたため、本当に一瞬にして過ぎ去っていった。 一時帰国中、大変ありがたいことに「note読んでるよ、ドイツ編楽しみにしてるね」と友達から声をかけてもらうことが多く、自分の近況報告という名目で始めたくせに、更新したらインスタのストーリーで告知はするくせに、でもやっぱり少し

          ベルリン(言語)の壁

          ワーホリの「ワー」編を終えて

          先週の金曜日をもって、私はずっとお世話になってきた寿司屋で、そして夫はワイン醸造用のブドウ農園でそれぞれ最終勤務日を迎え、我々夫婦がタスマニアで予定していた全ての労働がめでたく終了した。 夫が突然失業した時は本当にどうなることかと思ったが、その後解雇されたはずの店舗から「やっぱりワンオペだと厳しいので朝の数時間のシフトだけ入ってもらえないか」と打診を受けたり、派遣会社のオフィスに直談判しに行って週に何度か単発の仕事をもらったり、さらにはその単発バイトで出会った人の紹介で1週

          ワーホリの「ワー」編を終えて

          ラストスパート失業

          今週の木曜日をもって、夫が正式に無職となった。 事の発端は、遡ること先週の水曜日、夫の働く店舗にやって来たオーナーが突然「この店は来週をもって閉店とする」と宣言したことであった。 冬に突入して以降、全ての店舗で例年にも増して売り上げが落ち込んでしまい、キャッシュフローが悪化したため、少しでも支出を抑えるには一番売り上げの低い店舗を閉めなければならないと判断したのだそう。 スタッフの人数が3人で、どんなに売り上げが低くてももうこれ以上「シフトが削られる」ということはないで

          ラストスパート失業

          向いている労働

          5月になり、タスマニアにも冬の足音が近づいてきた。朝晩は吐いた息が白くなるほど冷え込むし、日中も13度ぐらいまでしか上がらない。秋をすっ飛ばして冬になってしまったような気さえする。 季節が冬に変わるということは、こちらの寿司ビジネスにとっては閑散期の到来を意味する。 というのも、なぜかタスマニアの人々の多くは「寿司は夏に食べるもの」と考えているようで(冷たい状態で提供されるためらしい)、実際に各店舗の売上金額はその日の気温および天候とほぼ相関関係にある。 つまり、気温の高

          向いている労働

          移民たる覚悟

          オーストラリアでのワーホリ生活も早いものでもう折り返しを過ぎた。 「タスマニアでのチェリーピッキングのシーズンが終わったらオーストラリア国内を移動するかも知れないから…」と、出発の際には取らないでいた帰国時のオーストラリア国内移動の航空券をついに先日購入し、勤務先の寿司屋にも7月の最終出勤希望日を伝えた。 もっと渡り鳥の如くファームを転々とする暮らしになるかと思っていたのに、蓋を開けてみれば、がっつりタスマニア島で半年生活することになりそうである。 さすがにオーストラリ

          移民たる覚悟

          海外で出会う日本語

          寿司テイクアウト店と回転寿司レストランの二足の寿司草鞋生活を始めてから7週間目になる。 働き始めの頃と比べて、ローラーとしては手早く綺麗な巻き寿司を作れるように、そしてフロントオブハウスとしてはほぼ満席の時でもトラブルがなければ(ここが重要)2名でなんとか捌けるぐらいには動けるようになってきたような気がする。 午後に働いている回転寿司レストランがアホほど忙しくて大変、というのはどうやら私だけの感想ではないらしく、自分が働き始めてからトライアルに来た人がすでに2名ほど「自分

          海外で出会う日本語

          海外進学プランB

          今年の秋に入学するドイツの大学では、私はデザインを、夫は映画制作を専攻する予定である。 日本では外国語大学の国際社会学部を卒業した我々にとって、これはそれぞれにとって全く未知の分野への挑戦だ。 5年日記を読み返していたら、「ドイツの大学で全く新しい分野の学位を取ろう、そしてその費用を工面するためにオーストラリアで出稼ぎしよう!」というぶっ飛んだ結論に至ったのが、ちょうど1年前のこの時期であったことに気がついた。せっかくなので、この結論に至るまでの紆余曲折をこのnoteにも

          海外進学プランB

          ワー強めのワーホリ

          気がつけば3月である。2024年2月は、本当にあっという間に過ぎ去っていった。 生活を立てるために駆け回っていた1月はあんなに長かったのに、やはり安定した仕事という圧倒的な生活リズム構成要素が加わったことが大きかったのだろう、2月は本当に、高校生みたいな言い方になってしまうが、秒だった。 ホバートの寿司屋で働くようになって、日本から来たワーホリ勢と接点を持つことが増えた。驚いたことに、ホバートには想像以上に沢山の日本人がいる。 オーストラリアにワーホリ、というところまで

          ワー強めのワーホリ

          3年目の夫婦喧嘩

          今日で入籍してからちょうど3年が経つ。 コロナ禍の真っ只中かつ社会人として週5で働いていたということもあってか、この3年間は本当にあっという間に過ぎていった。とは言っても、海外留学を決心し、様々な可能性を探った上でなんとか2人ともドイツの大学の合格を取り付け、日本での正社員としての暮らしをかなぐり捨てて、そして今は何故かタスマニア島でワーホリをしているのだから、客観的に見ると大きく人生が変わった3年間だったのかも知れない。 自分で言うのもなんだが、夫婦仲は割と良い方ではな

          3年目の夫婦喧嘩

          ワインフェスと弱肉強食の夜

          先週はオーストラリアに来て初めて、平均して平日7時間以上働いた1週間だった。 テイクアウト店では巻き寿司製作担当(通称「ローラー」)の研修のため朝7時からのシフトが入り、回転寿司レストランでは夜6時からのシフトが入ったためである。この朝夜シフトコンボは各店舗のマネージャー同士の勘違いによって爆誕したもので、さすがに人権がないのでは…と訴えた結果、来週以降回転寿司で働く場合は昼の時間にシフトを入れてもらえることになった。 無職である不安に押し潰されそうだった1月前半の自分た

          ワインフェスと弱肉強食の夜

          ホバートのディズニーランド

          気づけば2月になり、タスマニア島でもう丸1ヶ月も暮らしたという事実に驚愕している。 あっという間だった…と一言で括るにはあまりにも多くのことが起こった1ヶ月間だった。あんなに出国前に言いふらしていたチェリーピッキングの仕事が結局数日間で終了したこと(自分たちが辞めた次の週にはファームでの仕事自体が終了したようで、あのままではまた路頭に迷うところだった…危なかった)、引っ越したこと、車を買ったこと、そして何よりホバートの寿司屋で働き出したこと、これら全てが去年12月の出国時に

          ホバートのディズニーランド

          海外生活チュートリアル

          引越しとエセ寿司ジョブデビューを果たし、今週から正式にオーストラリアでのワーホリライフの新章が開始となった。 先週と今週とで、同じ地域にいるとは到底思えないほど生活に変化があったように思う。 まず、ど田舎の馬房ホステルからホバート近くのシェアハウスに転居したことで、クオリティ・オブ・ライフが急上昇した。 自分たちだけの部屋があって荷物をスーツケースから出しておける、シャワーがコイン式ではない、キッチンが清潔で使いやすい、そして毎朝晩爆音で音楽を流す人がいない環境のなんと素

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