機械化しているのは仕事ではなく人間?
「カーズは考えるのを辞めた」
このセリフが何か、すぐにわかる人とは仲良くなれそうです。
ジョジョの奇妙な冒険、第2部のラスボス、
不死身のカーズが、主人公との激戦の末、
地球外空間に追いやられます。
そして、全身が凍ってしまい、身動きができなくなり、地球へ戻れなくなります。
しかし、不死身であるが故に、意識はあるけれど身動きが取れないという状況に陥ります。
その結果、先ほどの「カーズは考えるのを辞めた」というナレーションでこの第2部は終焉を迎えるわけです。
さて、なぜこの話を冒頭にしたのかというと、
地球の中にいて身動きも取れるのに「考えるを辞めた」人が多いと感じるからです。
自分がなぜ生きているのか。
自分がなぜこの人と暮らしているのか。
自分がなぜこの仕事をしているのか、この職場にいるのか。
自分がなぜこの学校にいるのか。
自分がなぜ勉強をしているのか。
それらを考えるのを辞めた、カーズ状態にある人が、あまりにも多すぎると思うのです。
どういうことか、順を追って説明します。
まず、幼少期は、イヤイヤ期があったり、親や先生になんでなんで攻撃をする子どもも多かったりします。
ですが、その内幼稚園や保育園で早くから読み書きなどを教え、勉強に触れ、
小学校に通う頃には勉強が嫌いになります。
そして、最初はなんで勉強するの?と無邪気に聞いていた子が、
納得できる答えを貰えないまま、
考えるのを辞め、
黙って渋々と嫌な勉強を続けることになります。
これは、勉強をすることが、将来の収入にほぼ直結するという社会構造である限りは続くことでしょう。
そして、自分がなぜこの人と一緒にいるのか、
その理由は普段は考えないことは多いでしょう。
その人といるのが幸せなうちは考えなくても済むでしょう。
しかし、一旦パートナーや家族との関係が破綻してからは、
心ではもはや繋がっていないにも関わらず一緒にいなければならない状況に追い込まれたときに、
自分は何故この人といるのだろうか、と考えざるを得ませんよね。
しかし、このことについても、色んな理由をつけ、考えることから逃げ、諦めて、カーズ状態に陥る人がほとんどと思います。
しかしこれも本人のせいではなく、
そうした状態に追いやられていると言っていいでしょう。
そして、仕事に関してもそうですね。
なぜ学ぶのか、なぜ生きるのか、考えないままに大人になってしまえば、
当然仕事を選ぶにあたっても、
その仕事を選ぶ理由は表面的なものになるでしょう。
面接で答えるその仕事や職場を選んだ理由も、
取ってつけたような薄くて軽いものになるでしょう。
そうして勝ち取った就職も、その人の努力の成果には違いありません。
ただ、その努力の方向性が少しまずかったというだけで。
しかしそのまずさが、後の人生を苦しいものにするでしょう。
最初は面接で言った、あるいは本当に純粋に持っていた、そこを選んだ理由のもとに、
職務に邁進することでしょう。
しかし、どこかで
「あれ、俺なんでこんな仕事してたんだっけ」
と初志にそぐわないことをしている自分に疑問を感じる瞬間があるのではないでしょうか。
そこで真摯に自分と向き合って仕事に対する取り組み方を変えたり、
自分のやりたいことが何かを探り、転職したりした人は、
そこから抜け出すことができるはずですが、
「まあ、いっか」
の思考で、自分としっかり向き合わずに、
給料も悪くないし、などと言って
考えるのを辞めてしまうと、
引退して自分の人生をふと振り返ってみた時に、
「あれ、私は何のために生きてきたんだろう」と
なるはずです。
そこからも考えることを辞め、老後は趣味をエンジョイしよう!と思っても、
考えずに社会生活を今まで営んできた分、
趣味への打ち込みも中途半端に終わることもあるのではと思います。
そうして小さい頃から考えることから逃げ、目を背けてきた人の人生がどうなるか、
あなたも一度想像してみてください。
ひと通り「考えるのを辞める」について説明を終えたところで、
ここで初めてタイトルにある「仕事の機械化」について触れていきたいと思います。
AIですね。
仕事はどんどんAIによって機械化されていますね。
今ある仕事の半分ほどが、何年後かには無くなっているなんて言われていますよね。
しかし、問題は人間が機会に取って代わられることではなく、
人間が機械のようになってしまっていくことではないかと思います。
それは、僕の言う「考えるを辞める」であり、
ブレイディみかこさん風に言うと
「世間一般の正義に自らを『委ねる』こと」です。
どちらの表現にせよ、
人間が自らの頭で考えずに、
世間の流れに身を委ね、長い物に巻かれ続けることによって、
心身ともにオートで受動的になっていくことでしょう。
社会の流れやシステムに身を任せ、揺られていくうちに、どこか遠くに流され、
打ち上げられた海岸にはライフラインは何も無い。
頼れる人はおらず一人ぼっち。
「あなたが選んだんですからね」と神の声が聞こえる。
そう、自己責任です。
おかしいですね。明らかに。
でも、今の社会で生き抜くためには、
どこかのタイミングで「自分で考えなきゃ!」
と自らを奮い立たせ、
世間の正義の波から抜け出し、能動的に生きる方向に泳いでいくしかないのです。
その気付きは早いに越したことはありません。
歳を重ねるに連れて、そして稼ぐ額や守るものが増えていくに連れて、
カーズと同様身動きが取れなくなっていきます。
つまり、人間がどんどん人間らしさを失っていく、人間でなくなっていくのです。
自分のやっていることに何の意味があるかはわからないけれど、
「なんとなく」こなしていく内に、
身動きが取れなくなっていく。
これはある程度は仕方がないことです。
生きていくだけでお金が必要なおかしな世の中ですので、生きていくだけでも大変です。
生きる意味なんてこと考えている余裕なんて無いのもわかります。
ですが、やるべきだとわかっていて、
時限爆弾の目盛りも見えているのに、
処理せずにほっておいたら、
そりゃあ爆発します。
当然の帰結です。
この「考える」という作業は、途方も無い作業です。
答えもありません。
教科書もありません。
ただ、爆弾は実際全員の手元にありますし、針も止まってはくれません。
だから考えてください。
自分の人生を。
転職のススメではありません。
キャリアなんて軽いもんでもありません。
自分の生物としての意義を考えてみてください。
自分って何で生きてるんだっけ?
この問いから始めてみてください。
人間が機械になってしまうことを防ぐために。
まあ、僕は人間が滅ぶことによって、
動物や虫、自然が守られるのであれば、
それでいいと思いますけどね。
人間より好きですし。
もう人間が滅んで済まされる段階には無いかもしれませんが、
地球的に人間がいないほうが良いのであれば、
僕はそれでいいと思います。
という若干の爆弾発言をもちまして、
稿を閉じさせていただきます。
人間が人間であり続けるために。
みなさん考えましょう。
小野トロ
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