見出し画像

本当は必要の無いものが不可欠になっている現代

一見しただけでは意味のわからないタイトルになってしまいました。

「本当は必要の無いものが不可欠になっている現代」

今日はこれがどういうことなのか、説明していきたいと思います。

言い換えれば、不可欠ではないものが不可欠になっている、ということです。

これでもまだわかりづらいと思うので、
代表例を出してみましょう。

スマートフォン。
これでグッとわかりやすくなったでしょうか。

現代の僕たちは、スマートフォン無しには生きていけませんね。
まあ、ガラケーでも生きてはいけると思うので、携帯電話と言い換えても良いかもしれません。

スマホもガラケーも持たずに日々を過ごしている人もいるかとは思いますが、
少数派であることは間違い無いでしょう。

今の若い世代はもうスマホの無い世界なんて想像できないかもしれませんが、
初代iPhoneが発売されたのは2007年です。
もちろん他社からスマホに近い形の携帯電話は発売されていましたし、
厳密には初代スマホはiPhoneでは無いのですが、
その革新性と影響の大きさを考えると、この2007年を「スマホ元年」としても差し支えないでしょう。

ということは、ですよ。
スマホが当たり前に存在する世界は、まだたったの14年ということです。
これはびっくりですね。
こんなにも当たり前の存在なのに、スマホは思春期の中学2年生なんですね。

スマホは今や僕たちの生活に欠かせない存在となっていますが、
よく考えてみてください、無くても生きていけますよね。

だって、じゃあ14年前、携帯電話が無かった時代の人たちは、どうやて生きてきたというのでしょうか。

これが僕の言う「不可欠では無かったものが不可欠になってしまう」という現象です。

iPhoneが出る前に、こんなものあったらいいよな、と思った人は、
きっとジョブズ以外いなかったでしょう。

つまり、これまでの生活では決して必要のなかったものが、
この世に生み落とされて市場に出回った途端に、
必要不可欠になっていったということです。

動画鑑賞や音楽鑑賞やスポーツ観戦、買い物などの娯楽に対するスマホは、
今でも逆戻りはできる、つまり無くても困るけれど生きていけないことは無いでしょう。

しかし、仕事となるとどうでしょうか。

スマホや携帯なしで仕事ができる人はほぼいないと言って良いでしょう。

むしろ今では、SNSや仕事の連絡などが苦痛となっている人もいるでしょう。
どこでも誰とでも繋がれるようになったことで、
利便性とともにストレスを感じている人は多いでしょう。

スマホから解放されたい、と思っている人もいるのでは無いでしょうか。

私たち人間は、自分たちが作り出したものによってストレスを感じているのです。

椅子や机、メガネ、車椅子、義足。

これらに対しては特に疑問は感じないでしょう。
しっかり人間の困りごとに対してサポートしてくれる物たちだからです。

これらが開発された背景としては、
困りごと先行の発明と言うことができるでしょう。

しかし、スマホや数々のデジタル端末については違いますよね。

時代や人間が求めたから作られた、という物ではないはずです。

スマホが世に現れる前に
「スマホがあれば良いのになあ」
と心底願っていた人はきっといないでしょう。
「タッチ操作できる携帯電話があればすごいよね」
くらいには思う人はいたでしょうけど、
強い要請は無かったでしょう。

メガネが発明される前に
「視力が上がる道具があればいいのになあ」
と強く願っていた人は確実にいたでしょう。

そして、一旦この「不必要だけれども不可欠になった」物は、資本主義経済と強い結び付きを持つようになります。

先ほどあげた「困りごと先行」のメガネなどは、
スマホやPCなどと比べて開発競争や価格競争などは起きにくいでしょう。

もっと良い性能を持ったメガネがあればなあ、とはなりづらいし、
何より「見えたらいい」わけですから、
せいぜい軽さやブルーライトカット、オシャレくらいしか開発の伸びしろは無いでしょう。

このように、「困り事発の発明」は頭打ちになっていると言えます。

もはや、無理やり理由を付けてから、
「そう言えばこれ困ってたかも!」
「そう言えばこれあったら便利かも!」
という「そう言えば」に頼らざるを得ないほど、
世の中はモノで溢れてしまいました。

それに対して、スマホやPCは?

価格競争、開発競争は終わらないでしょう。

「スマホのデータ容量が足りないなあ、もっと大容量のスマホが欲しいなあ」
「来た、256GB!これで容量不足も解消」

とは絶対になり得ないことはわかるでしょうか。

スマホが小さなサイズを維持したまま大容量のデータ処理が可能になったならば、

もちろんそれに伴いアプリの精度も上がり、
そのデータも大きくなっていく。

そうすると、現在「128GB中100GB使っちゃったよ」と言っている人が、
近い将来には「2TB中1.5TB使っちゃったよ」になるだけではないでしょうか。

これはあくまで比喩ですので、僕は電子機器に詳しくないので合ってるかは置いといてください。

とにかく、スマホをはじめとする電子機器関連の商品に関しては、
価格競争と開発競争に終わりがないということです。

他社が新商品を出したら、
徹底的に使い、分析し、長短を暴き出し、
自社の新商品に繋げる。

それの繰り返しです。

安く、軽く、小さく、速く、大きなデータを。

僕らはこうして、終わりなき競争に知らぬ間に巻き込まれ、
縛られ、資本主義経済の中に組み込まれ生涯逃れられないのでしょうか。

僕はこの文章でなにかの主張をしたいわけではありません。

ただ、こんな世界は気持ち悪い。

この感覚を表明したいだけです。

必要不可欠でないものに振り回されて生き続ける社会、人間。

何してんのやろな。

そう思うのです。

小野トロ




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?