茜色の夕日 12/24に寄せて
今日、12月24日は、フジファブリックの志村正彦さんの命日です。
死因は現在でも明らかになっていません。
そしてフジファブリックは今も活動しています。
僕は志村さんが亡くなってからフジファブリックを知ったので、古参のファンでもなんでも無いのですが、
志村さんが書く詞や曲が大好きです。
今からちょうど4年前。
大学を休学していた僕は、ふと思い立って志村さんとフジファブリックのふるさとである富士吉田市に行きました。
志村さんのお墓参りに行き、志村さんが好きだったコーラと黄色のアメスピをお供えました。
僕はこのとき生まれて始めてタバコを買いました。
その後メンバーが通っていたうどん屋さんに行き、
志村さんの命日限定で、
5時になったら街に流れる「茜色の夕日」のチャイムを聴きに行きました。
ちなみに普段は「若者のすべて」が流れているそうです。
記事のサムネイルに使った写真は、そのチャイムを聞いた、志村さんがよくギターを抱えて作曲をしたと言われている丘の上から撮ったものです。
志村さんが残した言葉で忘れられないものがあります。
夢であった地元の富士吉田市での凱旋ライブ。
茜色の夕日を歌う前のMCでの言葉です。
東京に出てプロのミュージシャンになり、満員の富士吉田市民会館で凱旋ライブをする。
その夢を叶えた時の志村さんの言葉が大好きで、僕にとっての宝物です。
以下動画からの文字起こしです。
特に強調して僕が「好きだ!」と叫びたいのが
この部分です。
僕はミュージシャンではないし、売れてないし、成功は何も収めていないけれど、
確かに「なりたくない大人像」があって。
少し人とは違う道を歩んだり、今でも夢を追って生きています。
志村さんと自分を重ねるなんてすごくおこがましいのですが、
この言葉を初めて聞いたとき、僕は思わず泣いていました。
なんの予兆もなく涙が頬を伝うことなんて、滅多にないことです。
その時はまさにそうでした。
気づけば泣いていた。
口下手で真面目というイメージが強い志村さん。
想いはきっと歌にこめてきたことでしょう。
決して得意ではないはずのMC。
けれど、僕は「茜色の夕日」を聴くと、そして毎年12月24日を迎えると、
この志村さんの言葉を思い出します。
そして「もう少し頑張ってみよう」。
そう思います。
会ったことはおろかライブにすら行ったことはありませんが(フェスで1度見たことがあるくらい)、
志村さんとフジファブリックには感謝してもしきれません。
志村さん。
どうかそちらではあまり考えすぎず、気楽に過ごせていることを祈っています。
小野トロ
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