「俺みたいになるなよ」がカッコいいと思っている大人たちへ
大人はよく言いますね。
「俺(私)みたいにはなるなよ」
これ、自分を反面教師として頑張れよ的な意味合いで言うことが多いと思います。
しかし、それはあくまで建前であって、
実際の胸中は、
「そんなふうに自分を客観視して卑下してアドバイスできる自分カッコいい」
ではないかと思うのです。
ぎくっ、とした人は僕の話を聞いてください。
今回はそんな人たちへ向けた、
「それ、ダサいですよ?」という忠告です。
と共に、それを聞いた子どもや若い人たちはどう思うかを考えていきたいと思います。
まず、「俺みたいになるなよ」に関しては、確かに響きはかっこいいです。
言いたくなります。
偉ぶって威張ってるよりは全然良いかとも思います。
しかし、子どもや後輩、部下などは、
その「悦に入ってるモード」は見抜いていると思います。
なぜこの言動がダサいかというと、
カッコつけたいという意図は見え見えなのに、
具体的な打開策はなんら提示されていないということです。
どうせカッコつけて子どもや後輩や部下に良いところを見せたいのならば、
丁寧に自分がなぜ失敗したのかを説明するべきです。
その先の、その失敗を基に自分の人生にどう結びつけていくかに関しては、
自分自身で考えるべきと思います。
しかし、「俺みたいにはなるなよ」というキラーワードだけ放って、
あとは放置、という方は多いのではないかと思います。
そして次に、このフレーズを聞いた子どもたちがどう思うか、についてです。
辟易する、という表現が1番しっくり来ると思います。
あるいは苦笑い。
まあ、中には「なるほど、わかった。頑張るよ」というとても素直な子どももいるでしょうが、
だいたいの子どもは「そんなこと言われてもなあ」だと思います。
そして、察しの良い子、多感な子だったら、
「そんなことを言えてしまう僕(私)のお父さん(お母さん)のことを考えると、なんだか悲しい」となるのでは無いでしょうか。
自分の親が可哀想、と思って悲しい気持ちになる子どももきっといるでしょう。
これが会社の上司から言われた言葉だったら、
「昇進した先にこの人のような人生が待っているんだったら、この職場にい続ける意味は…?」
となるかもしれません。
とにかく、「自分的にかっこいい」が「相手にとってもカッコいい」とは必ずしもならない、ということを、肝に銘じておくべきと思います。
服やファッションだってそうですよね。
自分のかっこいいは他人のかっこいいには必ずしもならないはずです。
皆さんもぜひ、親の立場、先輩の立場、上司の立場など、様々な立場における自分の日々の言動を見直してみてはいかがでしょうか。
小野トロ
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