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自分を知る【6】老いと向き合う。
昨年末は久しぶりに、3泊4日で夫の実家にて過ごすことになった。
結婚してから10年間は毎年のように泊まっていたものの、ここ数年はコロナの影響もあり、日帰りで会うことが多かった。こんなにも長く一緒に過ごしたのはいつぶりだろうか。
夫の母と4日間いっしょに過ごし、生活をともにすることで、改めて彼女の老いを感じた。
(本来は『義母』という表記があまり好きではないが、ここでは分かりやすく伝えるために、彼女のことを『義母』と呼ばせてもらう。)
老いを感じる瞬間
70代になってから、義母は足を痛めた。もともと片足をかばうように歩いていたのが今度は両足とも真っ直ぐに歩けなくなり、今ではよちよち歩きの子どものような歩き方になっている。ちょっと移動するにも車を使い、大好きだった散歩や畑仕事をほとんどせずに、部屋でじっとYouTubeを観る時間が増えていた。
物忘れの頻度も増えた。以前からあまり覚える気がなかったといったらさすがに怒られるかもしれないが、わりとアバウトに名前や名称を覚えているタイプだったので慣れてはいたのだ。しかし、一緒にお昼を食べに行ったことを夕飯の時に覚えていなかったのは、正直衝撃的だった。
さらに、夕飯を食べた直後に甘いパンを食べ始めたのも、1年前には考えられないことだ。あれだけ「砂糖は血を濁す!」と訴え、玄米菜食を薦めていた義母とは思えない。しかも、10分前に「もう食べられない」と箸を置いたはずが、「これ今食べたい」と翌朝のために買っていたあんパンを食べ始めたのだから驚きを隠せなかった。
彼女の夫、すなわち義父はすっかり慣れた様子で対応していた。対応していたというよりも、ありのままを受け入れていた。妻が求めることには応え、止めるでも咎めるでもなく、好きなようにさせていた。
愛だなぁと感じる反面、このままだと母はどんどん自分では歩かなくなり、どんどん好きなだけ気持ちのままに食べてしまうんだろうなと未来の健康を憂いてしまう自分もいる。そして、一緒に暮らす夫の父のことも心配になってきた。
「私ならこの状況で大変って感じそうだけど、おとうさんはどうなの?」と彼に訊ねると、「毎日面白いよ。彼女が彼女らしく生きていることが俺は嬉しいって感じるから。」と笑顔で応えていた。
そうだった。
昔から義父は愛情深く、無条件の愛情を教えてくれる人なのだ。この状況においても今を面白がって、相手を愛することが出来る義父は素晴らしいと思う。
ただ、私も今の義母に対して可愛さと愛おしさを感じていたのはたしかだった。
老いに可愛さを感じる
義母が忘れてしまったことを思い出そうと記憶をたどり、言葉を絞り出す時、子供たちが小さい頃に「あれ!あの、、あれ!!」って一生懸命伝えようとしてくれる姿が重なった。
義母の歩く支えになった時、こどもたちが大きな段差を越えられない時に手を添えたあの日を思い出した。
後先を考えず、無邪気に『今』を大切にしているところにも、幼心を感じて可愛らしいなと素直に思った。
表情もより豊かになり、嬉しそうに笑い、ぷんすかと怒る。
本当に、子育てで感じてきた可愛さや愛おしさを義母に感じる瞬間が多かったのだ。
老いというのは、退化ではなく、幼さを取り戻していく過程なのかもしれない。とも感じた。
その幼さ、無邪気さに母性本能をくすぐられて、可愛さや愛おしさを感じる部分もありそうだ。
『可愛い』で蓋をしない
とはいっても、義母が理不尽に怒る時や、今まで出来ていたことが出来ない場面に遭遇すると、こちらも心中穏やかではいられない時もあった。
めんどくさい。大変。悲しい。これくらいやってよ。いつまで続くんだろう…。
そんな想いがふと出てきたのも、老いていく相手を目の当たりにした時の素直な反応だと思う。
これが毎日と考えたら、、、
ずっと一緒にはいられないかもしれないな。
そんな想いがよぎったのも事実だ。
そういえば育児だって同じようなことがあった。
可愛さや愛おしさだけを感じるわけではなく、もどかしさや煩わしさもたくさんあったし、落ち込んだり葛藤したりしながら日々を過ごしていた。大変さや面倒くささの中に、可愛さや愛おしさを見出すというのはなかなか難しくもあった。能動的に見出さない限り、嫌な部分ばかりが目につく可能性だって大いにあるだろう。
育児なら今後出来ることが増えていくという成長する未来が見えているけれど、介護の場合は今後出来ることが減っていくのだ。負担という言葉を使うのは少し躊躇する部分もあるが、やはり大変になっていくことの覚悟は必要だろう。
その部分を『可愛さ』で蓋をしないのも、大切なことなのだと思う。これは直接本人にぶつけるんじゃなくて、第三者に聴いてもらったり、介護や育児を頼んで自分の時間を作る。そういった息抜きやストレス発散は本当に必要不可欠な時間であるとも思う。
『老い』に代わる言葉を見つける
今回は義母の老いに焦点を当てて話したけれど、他人事の話ではない。私だっていずれは次第に老いを感じていくだろうし、身近な人達に感じられていくのだろう。
いや、もうすでに感じるところも増えてきた。たとえば胃もたれをしやすくなったところ。筋肉痛が翌日にあらわれるところ。運動不足が続くと筋力がすぐに衰えてしまうところ。人や場所の名称がすぐに出なくて「えーっと」が増えたところ。
…数え出すといっぱいあるな(笑)自分の老いについて考えると少し寂しさを感じる。前は大丈夫だったのに。出来てたのに。悔しさや気恥ずかしさすら感じる部分もある。
というか、自分事になって改めて思ったんだけど『老い』って言葉がよくないんじゃないかな。なんとなく衰退や残念さを感じてしまうんだけども。あなたはどうだろうか。『老い』という言葉について、どう感じるだろうか。
ちなみに今回書いている内容を踏まえると、『老いていく』ではなく『還元していく』と表現するのはどうだろう。『還元』は再び元に戻っていくことを意味するらしい。
元々は誰しもが歩くことも出来ず、うまく咀嚼もできず、胃腸も未熟だった。歯も生えてなかったし、髪も薄くてほわほわしていた。言葉もうまく話せず、発音だってあやふやだったし、未来のことを想像したり過去を記憶する能力だって発達してなかったんだ。
戻っていく。還っていく。再び元の位置に進んでいく。そう考えると、何も悲観的なことはない気がしてくる。
あ。ここでも大事なのは、無理にポジティブに気持ちを切り替えないこと!ついつい私はそういう文章の締め方をしてしまうんでね。補足で伝えておきますね。
また改めて考えてみたいな。こういう話が好きなあなたとも語り合ってみたい。
さて、次は『結婚・離婚』について書きたいと思っているよ。こーれは、、、書くのに何度も断念しているテーマだから(笑)勢いで書いてみようかな。
今日も読んでくれてありがとうございます!またね!