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【13】頼まれてもいないのに、したくなること

誰にも頼まれていないのに、したくなること。
むしろ、誰かに止められても、したくなること。

あなたは何が浮かぶだろうか。

私の脳裏にまず浮かんだのは、“内観する”ことだ。

誰かに嬉しいことを言われたり、嫌なことを言われた時、
「わーい♡.*・゚」「もぉぉぉ!!!」と感情がすぐに動くのだけれど、
そのままそこで終わらせたくはない。

なんで私はその言葉が嬉しかったのか。
なんで私はその言葉が嫌だと感じたのか。

感じて、考えて、言葉にしたり詩にしたり、自分なりに表現したくなる。

正直、起きた出来事はひとつの考えるテーマであって、その出来事に良いも悪いも無い。


もちろん、ムシャクシャするような事案が起きたり、心が切り刻まれるように傷つく言葉をくらった時には落ち着いてなんていられない。

思考と感情のほとんどがそちらに注目し始めて、身体に影響が出る時だってある。

直視したくなくて、現実逃避したくて、寝たり、ただただ動画を視聴したり、美味しいものを食べたりと気を紛らわせる時だってある。

それでも、私は自分の内側を観察することを諦めたくないのだ。

いや、もうね、諦められないんだよ。
諦めようとしたって考えちゃうんだから。
向き合っちゃうんだから。

周囲の人達からは、

「そんなに考えてるから体調崩すんだよ!」
「自分と向き合うなんてしてないで、もっと現実見た方がいいよ」
「感情を知ろうとする暇があるならもっと家族のために時間使いなよ。」
「考えてないでもっと気楽に生きた方がよくない?」

なんて、いろんな言葉をもらったけれど、
結局はどれも私を変えるパワーにはならなかった。

というより、それらの言葉をかけられる度に、

「え?考えないなんてつまんないじゃん!」
「家族のことも考えてるし現実も見てるのよ。それでも、少ない時間でも私はこれがしたいんだわ!好きなんだわ!!」
「いやいや、考えてる人生のが圧倒的に楽しいのに?」 

と、自分の中の信念のようなものがさらに強くなっていったような気もする。

皮肉にも、ブレない自分に育ててくれたのは、それらの言葉をかけてきた人達のおかげかもしれない。


結局はどんなに言われようが、考えることは大好きだし、内観は私の日常に溶け込んでいる。

今ではもう、“内観するのを諦める”ことを諦めている。


今後も、誰にも頼まれなかったとしてもずっと続けていくんだろうな。
たとえ止められたとしても、止めることなんて出来ないんだろうな。

と、ある意味で今は、腹を括っているのだ。


それから、もうひとつは、、、

どうしようかな。言うのにちょっと躊躇うや。

でもやっぱり言っちゃおう!!

誰にも頼まれてなくても、したくなっちゃうこと。

それは、“愛する”こと。

愛されるよりも、愛したいマジで。
あるアーティストの歌詞にもあったけれど、本当にそうだなと最近感じている。

愛されたいとずっと思ってきたけれど、どうやら私は愛している、愛(め)でている時の方が楽しいタイプなのかもしれない、と。

ここについては次の記事で思う存分書いてみようと思う。

今日はここまで☆。.:*・゜

読んでくれてありがとうございました!

あなたの
『頼まれてもいないのに、したくなること』も良かったら考えてみてくださいね。

また明日~!

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