しあわせについて本気出して考えてみた(これがわかる人は同世代!)
先日までの記事からわかるとおり、わたし(もか)は基本的に、自分にとって厳しい環境から学ぶタイプの人間だ(だけど褒められて伸びるタイプ)。
だからこそ、昔は親に「あんたはタフなことやってきたせいで、逆に自己肯定感が低くなってるよね。自分のことを過小評価しがち」と言われたりもした。
そのときは「なに言ってんの?(笑)親のひいき目じゃない?」ぐらいのものだったが、今ならわかる。そのとおりだ。それが今の現状につながっているとひしひし感じているので、今日は少し“やさしい”話をしようと思う。
(ちょっと重い話が続くけれど、最後はちゃんと“やさしく”終わっているはず)
※そこそこの長篇なので、隙間時間にちょこちょこ物語感覚で読んでね!(10,000字超えだよ)
タフなこととは?
過去の記事のとおり、わたしはかつて、学校が嫌いな子だった。勉強が嫌いだったわけでも、友達がいなかったわけでもない。ただなんとなく嫌いだった。わたしにとってそこは、なんとなく“生きづらさ”を感じる世界だった。
でもそれは、日本にいる限りなくなることはないのだと、ある日突然気付く。
家にいるときにふと思ったのだ。「あーあ、帰りたいな」と。それからすぐに「どこに?」と自問自答する。それでも胸に芽生えた靄が消えることなく、紆余曲折ありながらも海外にほとんど“逃げる”ような形で渡航することになったのだ。
海外でもまた大変だった。人種差別に、日本と変わらないいじめ問題、日本人留学生の間に芽生えた妙な一体感と、その他留学生とのわずかな軋轢。
でも少しだけ、ほんの少しだけだけれど、“生きる”意味が見つかったような気がして、なんとかギリギリのところで自分を保っていた。
まだ記事にはしていないが、以前別途お話すると書いた中学校の出来事もまた、わたしは忘れられないでいる。引きずっているわけではない。ただ、きっと一生心の中に残り続ける“決して美化されない”記憶なのだと思う。
そんな、10代にしてすっかりすれきった留学生活中のことである。
人前で泣くということ
まず前提としてお話しておくが、わたしが人前で泣くことは滅多にない。涙を武器にしたくないというのもあるし、自分が“女の涙”で苦労してきた過去もある。なんといっても、“泣いたほうが弱者”という認識が成り立てば、実際にどちらが原因であろうと“泣かせたほうが悪い”ということになりかねない。(※泣くこと自体は悪いことではないと思っている)
それに悩まされてきたわたし自身がそれをすることは、自分の中で許せないことだったのだ。
留学も2年目。後輩もできた。ある程度現地人の友達もできて、それなりに学校は楽しかったように思う。英語で授業を受けることにも抵抗はもうなかった。
そんなとき、学校で留学生だけのキャンプイベントが開催された。期間は2泊3日。中学生のころにあったような、部屋決めで泣く子はもういなかった。やはり若いうちから留学する顔ぶれというだけあって、それなりにみんな気が強い。
それでもぶつからずにこれたのは、“うちはうち、よそはよそ”という良くも悪くも他人にあまり興味がないメンバーが集まったからだったのかもしれない。というよりみんな、自分のことできっと精いっぱいだったのだ。
多少面倒臭いという思いはありながらも、楽しみにもしていたキャンプ。
問題はなんと初日、しかも出発前に起こった。そこからの3カ月、わたしは苦しむことになる。
孤立
現地まではバスで向かう。中学生~高校生まで、日本人~韓国人、ドイツ人、中国人まで年齢も人種もさまざま。それがまた楽しい。
先生がひとりずつ、名前を呼んでいく。「〇〇、Off you go(行って良し)」と言われたらバスに乗って良しの合図だ。特段座席は決められていないが、アルファベット順に呼ばれるので最初に点呼されたほうが自由度は高い。
わたしとその友達(日本人)は比較的早い段階で、名前を呼ばれた。一番仲が良かったので、当然隣の席に座る。わたしは乗り物酔いが激しいタイプの人間だったので、後部席は避けてなるべく前のほうに座った。
徐々にバスの中がにぎやかになっていく。
最終的には、前と通路を挟んだ横に日本人の男子留学生、それから少し離れて後部席に日本人の女子留学生が数名固まって座ることになった。これが問題だった。
「えー、なにあれ、もかちゃん男子とくっついて座ってるんですけどー! わたしたちとじゃなくて、男子と座りたいみたいよー」
「楽しみだね」「キャンプなんて久し振り」そんな会話をするわたしたちの背後から、わざとらしい声がする。それはにぎにぎしいバスの中でも聞こえるほどの音量だった。
男子もわたしたちも、気付かなかったわけではない。なんだこりゃ。意味わからん。それが正直な感想だった。
基本的にわたしたちは、性別関係なく接してきたつもりだった。悲しいかな、3年間同じ学校で過ごしてきた中でも、恋愛沙汰に巻き込まれたことはほとんどない。
だから今さら男子がどうのだとか、女子だから一緒にまとまるべきだとか、そんな妙な連帯感を持たれても困るのだ。そんなことよりもわたしたちのほうからすれば、後部席に座っていた後輩の女子たちよりも男子たちとの付き合いが長い。
連帯感という観点での話をするのであれば、男子たちとのほうがむしろ強いぐらいだった。
リーダー格の女子は気が強く、(多少なりとも偏見はあるが)日本の学校でたまに見られる“常に攻撃対象がいなければやっていけないタイプ”。それまでにも、数週間ごとに誰かをターゲットにして派手に立ち回っていた。
例えば誰かの鞄を「邪魔なんですけど!」とあえて本人の目の前で地面に放り投げたり。例えばみんなに伝えるよう先生に言われたことを、本人にだけ伝えなかったり。
そんな子ども染みたことだったが、先ほど言った良くも悪くも他人に興味がない“わたしたち”は、彼女が誰をターゲットにしていようとあまり気にしなかったし、だからといって白々しく彼女を注意もしなかった。
「あ……これ、次はわたしがターゲットになるやつだ」
そんなだから、すぐに察してしまう。同じ条件下にいるはずの友達の名前でなく、わたしのことだけ言及したのはそういうことだ。なんとなく廊下側に座っていたわたしのことが目についたのだろうか。きっかけなんて、たいていそんなところ。
通常時ならまだ良い。彼女は後輩で、クラスも違えば住んでいる家も違う。要は、会わなければいいだけの話だ。でも今はそうとも言えなかった。
この先、2泊3日は必ず行動を共にしなければならない。それを考えるだけで、キャンプはまだはじまってもいないというのに、気が滅入りそうだった。
そんなわたしの憂鬱を察してか、隣に座る友達も微妙な顔をしていたのを覚えている。
「アレ、ココハニホンデスカ?」
なにもかもが、予測どおりだった。
次のターゲットはわたしだ。わかる。行動と言葉でわかる。今まで見てきた中でもそうだった。
そういう変に気が強いタイプの女子は、「あなたのことが嫌いだからわたしは近付かないわ」じゃないのだ。「あなたのことが嫌いだから近付かないでね!」と態度や言葉で示してくる。そしてそれはときに、凶器になって襲いかかってくるのだからたまらない。
まあ、なにはともあれ、話しかけても無視、視線を合わせない、それから自由時間(外食時など)に徹底して撒かれることになったわたしたちは、早々にあきらめて女子2人で楽しむことにした。友達には申し訳ない気持ちだったけれど、当の本人はさして気にした様子はない。
それはわたしも同じだった。彼女たちはもともといたわけではない。わたしがいて、友達がいて、男子たちがいて、それから彼女たちが入ってきたのだ。元に戻っただけだと思えば、大したことではないように感じられた。
だけど。だけど、だ。
わたしや彼女はどちらも、「日本のギスギスした雰囲気が合わなくて」「人に合わせるのが苦手で」“逃げるよう”に海外留学を決めたタイプだった。(今ならそんな人たちばかりではないとわかるが、少なくとも当時はそんなひねくれ者の2人だった)
特に英語が勉強したくて海外渡航したわけではない。それは所詮、オマケ程度にしか過ぎないのだ。
英語? 日本語? 違う。
わたしたちは、もっと“生きる”ことに必死だった。言語の問題ではない。“生きたい”と思えるようになりたかった。日本を飛び出して、右も左もわからない生活が待っていようとも、とにかく“生きたい”と思わせてくれるなにかが必要だった。
やっと見つけられたと思ったのに。
「アレ、ココハニホンデスカ?」
塵も積もればなんとやら
彼女たちの対応を気にしていないというのは事実だったが、小さなことでも積み重なればそりゃあもうストレスになってくる。
完全に関わりを断ち切ってくれるならまだいい。でもそうじゃない。時折聞こえてくる嫌な笑い声や、聞こえるように放たれる悪意をはらんだ言葉に、少しずつ心が擦り切れていくのを感じた。そしてきっとそれは友達も同じだっただろう。
そんなあるとき。
わたしと友達は、キャンプ場の裏にあるビーチに行くことにした。まだ寒い季節だったから、散歩をする程度だが暇つぶしには丁度良い。
しかしそこにはすでに先客がいた。そう、彼女たちだ。
ほかの留学生もいてくれればまた話は違ったのかもしれないが、運悪く、わたしと友達、そして彼女たちという最悪の組み合わせが出来上がる。「帰る?」近付くビーチを眺めながら、小さく友達が囁いた。
たぶん、ここで引き返すべきだったのだろう。でも、わたしたちはそうしなかった。
彼女たちを見つけて引き返すという行動は、なんだか負けに感じられたのだ。勝敗の問題ではないが、このときのわたしたちはまだ幼かった。なにもしていないのに一方的に文句を付けてくる人たちのために、わたしたちは負けたくない。
わたしたちは気付かぬうちに意固地になっていた。
サンダルを脱いで裸足になり、ズボンの裾をまくり上げる。足元から這い上がってくるのは、ひんやりとした砂の感触。遠くから聞こえる女子たちの笑い声が、なんだか先ほどよりも耳につくような気がした。
楽しそうで腹立たしい。わたしはこんな思いをしているのに。
一瞬で駆け巡った卑屈な思いに、ハッとする。そうしている間にも友達は近くに小さなアスレチックを見つけ、遊びだした。笑ってはいるが、互いに空笑いだということはなんとなく気付いていたと思う。
数分ほどそんなことをして、妙な静寂が訪れたそのとき。
「なにあれー。あんなことして楽しいわけ? 子どもじゃあるまいし。っていうか、アスレチックなんて今どきの子どもですら楽しまないわ(※絶対そんなことはない)」
ハッキリと、そんな言葉が耳に届いた。ああ、もう駄目だ。なんだかそんな気分になって横を向くと、あきらかにくたびれた顔をした友達がいた。
「……帰ろっか」「うん」
会話はそれだけで十分だった。2人とも、疲れてしまったのだ。朝早くからずっと突き付けられ続けた悪意に。本当にもう駄目だ。大事な友達も巻き込んで、なにをしているのだろう。なんのためにここにいるのだろう。
そんな心の声が、スルリと口からこぼれ落ちる。
「……なんか、全然楽しくない」
先生ヒーロー駆けつける!
これはわたしがいけなかった。間違いなく言える。わたしのミスだ。普段温厚な友達はそんなわたしの言葉を聞いて、突然声を張り上げた。
「なんでそんなこと言うの!?」
彼女が誰かに文句を言ったところ、ましてや怒ったところなど見たことなどなかったわたしは絶句する。優しい人だった。なにがあっても他人のせいにしない、いろんな可能性を考えて、もっと自分にできることがあったのではないかと悩み抜いて、誰に対しても平等に接することができる仏のような人だった。
そんな彼女が怒れば、誰だって驚くだろう。わたしも例外に漏れず、ただただ驚いていた。
「せっかく人がこのキャンプだけは楽しもうって我慢してたのに! もかちゃんがそれ言っちゃったから、台無しになったじゃん! わたしだってずっとそう思ってたよ! 全然楽しくないって! でも今、それ言う必要あった!?」
まごうことなき正論である。
でも、当時のわたしはこのとき、なぜか引くことができなかった。わたしのせいで間違いないのだが、改めてそれを指摘されると「わたしのせいで嫌な思いをしているのに、我慢して“あげていた”」という風に聞こえたのだ。
思わず言い返す。
「だって楽しくないんだからしょうがないじゃん! そもそも楽しくないって最初から思ってたなら、そっちだって言えば良くない? なんにも楽しくない! まったく楽しくない!」
そもそもわたしだって喧嘩に慣れていないから、言っていることはほとんど同じ言葉の繰り返しである。「もう知らない!」と彼女が踵を返す。きっと仲の良い先生の部屋に逃げ込むのだろう。
いつもそうだ。彼女はなにかあるとすぐ、その先生に助けを求める。弱々しい雰囲気が庇護欲をそそるのか、むしろなにかなくても「大丈夫?」と聞いてもらえる彼女に対し、外見からして強気なわたしは相談してなお「あなたなら大丈夫!」と言われる節があった。
そんなの、ずるい。
わたしだって嫌なこと、逃げたいことなんてたくさんあるのに。
コテージとは逆側(つまり先生たちが宿泊する部屋の方)へ歩き出した彼女の背中を見ながら、自分がいかに彼女に対してコンプレックスを持っていたか、卑屈な精神を持っていたか思い知ったような気がした。自己嫌悪がすごい。
わたしはひとり、誰もいないコテージに戻ってベッドの中にもぐり込む。ブランケットに包まれ、久々に声を上げて泣いた。暗闇の中、しゃくりあげる声だけが響く。わたしには誰もいない。大袈裟かもしれないが、世界でひとり置き去りにされたような、そんな途方もない気分に襲われた。
もう一度言う。本当に大袈裟かもしれないが、いわゆる当時はセンシティブなお年頃だったのである。それだけは理解してもらいたい。(あと、ちょっとだけ中二気質が入っていたかもしれない。それは認める)
そんなときだった。
「ハロー!」
ノックもなしに飛び込んできたのは、彼女が仲良くしている先生だった。
楽しく生きたいだけなのに
きっとまた彼女がなにか言ったのだ。優しい友人のことだから一方的な悪口ではないのだろうけれど、助けを求めに行ったというのは間違いではなかった。悔しい。こんなとき、逃げ込める場所があって。
違う。羨ましい。
それだけの話だ。
「ちょっとちょっとー、あんた、あの子と喧嘩したんだって? ビックリしちゃった! あの子、泣きながら部屋に飛び込んできたんだけど! あらまあ、こんな暗い中にいるから悲しくなるのよ!」
あえてなのか天然なのか、空気を読めない彼女はわたしを唯一守ってくれていたブランケットを取り上げる。世界は夜。だからといって、急に明るくなったりはしない。
けれどほんのり、雰囲気から先生が笑っているのを感じた。どうやらわたしを責めにきたわけではないようだ。
「って、あんたも泣いてんの!? ほら、行くわよー」
それどころか、(おそらく友達のところへ)連れ出そうとしてくる。嫌だった。こんなぐしゃぐしゃの感情のまま会いに行けば、またひどいことを言ってしまうかもしれない。もう学校で話してくれないかもしれない。
そんなわたしの気持ちをよそに、案外力の強い先生によってコテージの外に引きずり出される。思う存分ビーチを満喫したのか、遠くから女子たちが歩いて来るのが見えた。わたしは仕方なく、先生のあとについて職員用の部屋に入った。
透明なガラス戸を抜けてすぐ、横に設置されたソファーの上でキャップを目深に被った友達が体育座りをしている。わたしのようにしゃくりあげるというよりは、肩を震わせて静かに泣いていた。
この人を泣かせてしまったという後悔が、一気に押し寄せる。思いのほか、感情は昂らなかった。ただ、申し訳ないという気持ちだけが込み上げた。けれど、喧嘩に慣れていないのは相手も同じ。
「ごめん」
互いの声が、かぶった。約10分。元来気の弱いわたしたちの最初で最後の喧嘩は、たったそれだけで終わった(思いのほか大ごとにはなったが)。
「で、なにがあったの?」
部屋にはもうひとり、日本語がわかる先生が待機していた。取り乱したわたしたちがああだこうだと英語で話したところで、いまいち要点を掴めないだろうという、空気が読めないヒーロー先生なりの配慮だったのかもしれない。わたしたちは、この一日で起きた出来事をありのままに話した。
そして最後に。
「先輩風を吹かせるとかそういうんじゃないけど、わたしたちのほうがここに長くいるのにあんなことを言われる筋合いなんてないし、日本でああいうことが身近にあったからここまで来たのに、こんなんじゃ留学した意味もない!」
とまた、2人で泣いた。いや、本当に泣いた。今度は友達もしゃくりあげるようにして泣いていた(たぶんわたしにつられて)。泣き止み方がもはやわからなくなるほど泣いた。
「ただ楽しく生きたいだけなのに!」
今思えば「中二病すぎるなあ」という感想だが、本当にそう思っていた。英語がわからない。人種差別に遭った。そんなのでつらい思いをすることはあっても、レベルが違うような気がした。
良かった。現地に中二病的発想がなくて。
止まらない負の連鎖
わたしに対するそういった行為は3カ月ほど続いた。普段は数週間ごとにターゲットが入れ替わっていたことを鑑みると、おそらくわたしと友達、足して3カ月だったということなのだろう。いつも一緒にいたから、どのタイミングでターゲットが友達に遷移していたのかはわからないけれど。
そうすると、また次の標的が生まれる。
一度ターゲットである期間を乗り切ってしまえば、あとはなんということもない。ある日突然、まるでなにもなかったかのように「おはよう、もかちゃん!」と話しかけてくるのだ。
皮肉でもなんでもなく、純粋に不思議な子だと思う。彼女の頭の中でどんな風にターゲットが切り替わり、元のターゲットはどんな立ち位置にいるのかをちょっと知りたくなった。
でも、そんなときでもひとつだけ得たものがある。
それは、友達から与えられた“無償のやさしさ”だ。
嫌がらせ染みたことは、キャンプから帰ってきても粛々と続いていた。一度は大泣きして発散したものの、やはりまた徐々にストレスが溜まっていく。今度は自分でもそれが自覚できた。
友達に向けて酷いことこそ言わなかったけれど、数週間経つころにはまた限界が訪れていた。
「……もう、学校行きたくない。休もっかな」
思わず本音が口をついて出る。一緒に授業を受けていた友達は、ノートに走らせていたペンをピタリと止めた。優しい彼女のことだ。「いいんじゃない?」だとか、「それもひとつの方法だよね」だとか、そんな言葉が返ってくるものだと思っていた。
でも違った。
「もかちゃんが行かないなら、わたしも行かない」
事もなげに、そう言い放ったのだ。ここでひとつ説明を入れておくと、海外の留学生というのは非常に厳しく出席率を取り締まられている。
日本の高校では(正確な数字はわからないが)多少欠席しても問題ないだろう。でも、学生ビザで入国していると、出席率が80%を切るだけで強制帰国の可能性すら出てきてしまうのだ。
そうなると、わたしたちの居場所はもうどこにもない。それは困る。つまり、わたしが休むというのは“そういう覚悟”のもとであり、友達も“そうする”ということは、自分の覚悟に巻き込んでしまうということでもある。
友達にまで学校をやめられるのは、困る。せっかく今まで頑張ってきたのに、それだけは困るぞ。
結局、わたしは学校に通い続けた。
いつもは人よりずっと優しい彼女の強さは、わたしに向けられた“無償のやさしさ”だったのだと思う。彼女がここで変に甘やかしていたら、わたしは卒業できずに帰国していたかもしれない。
やれて当たり前の基準
例えば今わたしはよく「若いうちに留学していたら英語なんてできて当然だよね。いいなあ」「わたしにもそんな機会があれば……」と、こんな風な言葉をかけてもらえることがある。
まあ、「若いうちに留学していたら英語ができて当然」と思われるのは仕方ないし、「英語ができる」と言われているのだから、そこは卑屈になるべきではない。そんなときは素直に「ありがとう」と言うことにしている。
でも問題は、論点のすり替えだ。
海外の日系企業で働いていたころ、こんなことがあった。
事は「もかさん、ちょっと〇〇に電話してくれる?」と上司から頼まれたことにはじまる。上司(日本人)からの指示だ。断る理由はない。ただ、わたしは当時、寝る暇も惜しんで働くほど忙しく、正直時間に余裕がある人がほかにいないわけではなかった。
しかもそれは、わたしの担当していた取引先ですらないのだ。ならまずは、担当者に声をかけるべきではないか。手を動かしながら、なんだか釈然としない思いで上司に向き直る。
「ちょっと今手が離せなくて……〇〇さんにお願いすることってできませんか? 担当者が〇〇さんなので、急にわたしが電話すると先方も混乱するかもしれませんし」
何より、会社の性質上、一度電話してしまったら担当者がわたしにすり替わってしまう可能性すらあった。上司は考える素振りひとつ見せず、「いや、もかさんがいいんだよね」と、あたかもわたしを持ち上げるかのように言う。
でも実際のところはこうだ。
「ほかに英語話せる人いなくてさ。特に電話での英語ってわかりにくいじゃん? もかさん、10代のころから留学してるんだから英語の電話ぐらいなんていうこともないでしょ? じゃ、頼んだよ!」
百歩譲って、海外に住んでいるにもかかわらず英語が話せないのはいい。得意不得意、あるだろう。わたしの英語力を認めてくれているのもわかる。
でも、だからといって少なくともわたしには、ほかの誰かが「じゃあ自分も勉強しなきゃ」と英語に取り組んでいるようには見えなかったし、事実、飲み会の席になんかなると「英語なんて話せなくても海外生活、どうにでもなるよな!」だ。今の業務でどうにかなっているのは、英語に関することすべて、わたしがやっているからだ。
ここに関しては、わたし自身勉強になったことももちろんある。それについては感謝しかない。でもわたしだって、何もせずとも話せるようになったわけじゃない。今だってペラペラだと思っているわけでもない。
やるしかなかった。ほかに道がなかった。それだけの話だ。
子どもっぽいかもしれないが、それをまるで留学しただけで簡単に英語をマスターしたかのような口振りで話されることだけは、なんとなく釈然としなかった。
若いころに留学していたら英語はできて当然なのか? それなら少しずつでも、と努力をしない人たちのためにフォローをして回らなければならないのか? でも、仕事で海外にいる以上、やらなければならない。
そんな“できて当然”らしいわたしでも、もちろんミスはある。英語で失礼なことを言ってしまったとか、そういうのではない。
単に取引がうまくいかなかったり話にすれ違いが起こったり、そんな日本でもありえそうなことだ。
そうすると、当然注意をされる。それはいい。ミスをすれば誰だって怒られたり叱られたりするだろう。そこは自己責任だ。
だけどそんな翌日、意気揚々と出社してきた上司に「さっき下で〇〇さん(後輩)と会ってさあ、コーヒー注文してもらったら店員さんと英語で会話してたんだよ! すごいよな!」などと言われると、ただひたすら「は?」という顔しかできなくなる。
英語でできる人がいないからとわたしに押し付けた仕事に関しては、終了の報告をしても「ありがとう」の一言もないのに? やって当然だと言わんばかりの顔で、人の時間を奪っていくのに?
後輩はどうやら、コーヒーが注文できただけですごいすごいともてはやされるようだ。「誰でもできることですよ~」と笑う後輩が視界の端に映り込む。こういうことに出合うと、頭を抱えたくなるものだ。
英語なんてできなきゃ良かった!
自己肯定感がなくなっていく実感
前置き(!?)が長くなったが、こういった経験が自己肯定感を低めていくのだ、と、親に「タフな経験をしたから」云々を言われたわたしは考えていた。
「他人から見てやれて当たり前のことができない自分」「誰にも認めてもらえない自分」「10代のころから海外にいたくせに、まだわからない英語がある自分」「努力が足りない自分」
でも。
英語ができなくても褒められる後輩がいるということは、やれて当たり前、英語ができて当然という単純な問題ではなくて、わたしがわたしだからいけないのでは?
「そうか、“わたし”だからなにをやっても駄目なのか……」
かなり卑屈で陰鬱とした人間の完成である。正直、かなり鬱陶しい。でもそれは、自分でもわかっていた。だからこれを誰かに相談したことはほとんどない。
こんな風に自分を追い詰めていった先で、原因不明のめまいとぶつかった。
英語ができないだとかそういうのではない。それ以前の問題だ。歩くことはおろか、立つことも、座ることもなんとなく難しい。現地の病院に行っても原因はわからなかった。
だからわたしはついに、自己肯定感ゼロの状態で帰国を決めた。わたしにはなにもできない。もうここでなすべきことはない。そう感じたからだ。
それに、“わたしを大事にしてくれない企業で働く”よりも、ほかにやりたいことがあった。それはまだあきらめていない。
原因不明のめまいと向き合って
帰国してからのわたしは、時折いただけるライター仕事をしつつ、病院を探す毎日だった。一通り、受けられる検査はすべて受けた。でもやはり、原因はわからないまま(近々検査入院をする予定)。
もともとゼロだった自己肯定感がさらに下がっていく。
「前はこんなことができていたのに」「もうできない」「一生このままかもしれない」「どんどんできなくなっていく」「やりたいこともできないなんて、本当に生きている意味なんてあるの?」
そんな弱い自分が嫌だった。
病院に行って「気の持ちようだよ」と言われれば「そうかもしれない」と思い、「今まで頑張りすぎたんだよ」と言われれば「頑張ってない! 全然頑張りなんて足りてなかった! だからこんなことになっちゃったんだ!」と謎の反発を繰り返し、「頑張れ」と言われると「今だって生きるのに必死なのに、どうやったらこれ以上頑張れるの!? 頑張ったってめまいが治るわけじゃないのに!」と逆切れする矛盾。
今思えば、“今までやってきたタフなこと”は誰にでも経験できることではない。例えば高校留学で幾度も試練を乗り越えたり。例えばその後のカレッジ留学で現地の人と肩を並べて勉強したり。例えば海外就労で改めて言葉の壁にぶち当たったり。例えば現地の人と英語で渡り合わなければならなかったり。
原因不明のめまいが出るようになって、考える時間(家に引きこもる時間)が増えたぶん、今ならわかる。
自己肯定感を低くしていたのは、自分自身だ。“わたし”に価値を見出せていなかったのは、自分自身だ。“これくらいやれて当たり前”と足枷を付けていたのは、追い詰めていたのは、自分自身だったのだ。
「英語なんてできて当然だよね」と言われて無視できないのであれば、ちゃんと向き合って説明すれば良かった。そうすればわかってくれたかもしれない。
高校生のときだって、嫌なことがあるなら主張すれば良かった。わかり合えなくとも、“発信すること”は大事だと思う。
原因不明のめまいに悩まされるようになってから、今までのように睡眠時間を削ってまで働くことはおろか、自由に外出することもできなくなった。でも、今までのように自己肯定感が低くなったりはしない。
むしろ、めまいが起きるようになったからこそ、自分のしあわせを実感できるようになったのだ。
・普通に立てることって素晴らしいんだな
・今日は少しでも(車で)出かけられた! 超ラッキー!
・10分間も歩けるなんて、わたし天才じゃん!? 感動!
・ちゃんとダイニングテーブルに座ってご飯が食べられた!
こんなことが、今はすごくしあわせ。たぶん、普通に生活できていたら気付けなかった“当たり前”のしあわせだろう。
もし今、他人に言われたことで落ち込んでいる人は一度考えてみてほしい。それは本当に、“他人に言われたから”落ち込んでいるのだろうか? もちろんそれもあるだろう。でも、考えすぎるあまり、単純なしあわせを見過ごして自分自身を貶めていっていないだろうか?
考えるのは良いことだ。思考停止は良くない。それでももしそれが空回りしているなら、今一度、考え方を変えてみる必要があるのだと思う。そのきっかけは、どこかにきっと落ちている。
必然と出合い
こんなことを書き連ねると、酷く卑屈で窮屈、文句ばかり言う人間だと思われるかもしれない。否定はしない。少なくとも、昔はそうなることも多かった。
それはすべて、他人と比べていたからだ。ずっと人がわたしを誰かと比べているのだと思っていたけれど、違った。わたしがわたし自身と誰かを比較して、勝手に傷付いていただけだ。
「ほかの人が当たり前にできることができない」「同じことをしてもあの子はなにも言われないのに、わたしは怒られる」
原因不明のめまいはつらい。たぶん、こればかりは想像だけでは理解できないだろう。
でも、めまいが慢性化してしまわなかったらきっとわたしは、こんな風に自分自身を赦すことも認めることもできず、いまだに同じ環境で卑屈な自分と戦っていたはずだ。
そう思うと、このめまいとの出合いすら必然だったのではないかと思わされる。
わたしにとって、海外生活は正直、つらいことの連続だった。でも、それでも「海外に戻りたい」と思えるのは水が合っていたからということにほかならない。
人種差別をはじめ、いろんなことを経験して、いろんな人を見てきた今だからこそ、人に対しておおらかな気持ちでいられる。今まで当然だと思っていたことひとつひとつに、感謝することができる。
そしてそれは、とても“しあわせでやさしい”ことだと思うのだ。
しあわせとは案外、そんな風にシンプルに出来ているものなのかもしれない。
Twitter⇒@MochaConnext
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