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松尾芭蕉が見た納涼床(京都・鴨川)。「四条河原涼」(しじょうかわらすずみ)現代語訳
今回は、芭蕉が元禄3年(1690)6月に京都を訪ねたときの文を現代語訳してご紹介します。
芭蕉が46歳(現在の年齢の数え方)になる年の作です。
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京都・四条の河原涼といって、夕月夜(ゆうづくよ)の頃(この場合6月上旬)から有明の月が見られるようになってしばらくの頃(同中旬)まで、鴨川の中に床を並べて、夜を徹して酒を飲み、ものを食べて遊ぶ。
女は帯の結び目がきっちりしていて、男は羽織をことさら長くきちんと着ている。僧や老人も一緒にまじり、桶屋・鍛冶屋の弟子っこまで、自由な時間を手に入れたような顔で歌い騒ぐ。これもやはり京都の風景にちがいない。
〈川かぜや薄がききたる夕すずみ〉かわかぜやうすがききたるゆうすずみ
(川風が吹いている。(立派な服を着ているより)質素な薄柿色の着物での夕涼みに心がひかれる)
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「夕月夜」は、旧暦10日頃までの、夕方に出ている上弦の月(またはその月が出る夜)。「有明の月」は、旧暦16日以後の、月があるままで夜が明けること(またはその月)。質素な薄柿色の着物での夕涼みに着目していて、芭蕉らしい句だと思います。
京都・鴨川の納涼床(ゆか)は江戸時代初期ぐらいから年中行事になったらしく、今は数か月間楽しめますが、江戸前期は祇園会(祇園祭)の期間だけの開催だったようです。上の芭蕉の記述とも一致します。
(本文は『松尾芭蕉集2(日本古典文学全集71)』小学館1997を使用しています。また、同書の注も参考にさせていただきました。記して感謝申し上げます)