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古典文学を現代語訳します(今は主に芭蕉です)。楽に読め、それでいて省略や余計な付け足し…

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古典文学を現代語訳します(今は主に芭蕉です)。楽に読め、それでいて省略や余計な付け足しのない訳を心掛けています。大学で文学を教えています。ヘッダー画像は、芭蕉も眺めた敦賀(福井県)の海です。 https://twitter.com/mo_okazaki

最近の記事

伊賀市・芭蕉翁記念館で展示中の芭蕉真筆!

現在、三重県伊賀市の芭蕉翁記念館「芭蕉と源氏物語」展では、芭蕉筆「かさしまや」句文懐紙が展示されています。公開は6月16日まで、会期中は無休です。今回はこれを現代語訳してご紹介します。『おくのほそ道』の一部と重なる内容です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中将・藤原実方(さねかた)の墓は名取郡の笠島というところで、歩いている道から一里(約4キロメートル)ほど離れたところにあった。しかし雨がしきりに降って、日も暮れてしまったのでやむを得ず通り過ぎることとなった。

    • 山寺芭蕉記念館「芭蕉の周辺と蕉門」展の芭蕉真筆(現代語訳)

      山寺芭蕉記念館サイトの「芭蕉の周辺と蕉門」展(開催中)ページで紹介されている芭蕉の真筆懐紙を、現代語訳してご紹介します(実際に展示されているかどうか確認したわけではありません。御了承ください)。 「芭蕉の周辺と蕉門」展 会場・山寺芭蕉記念館(山形市山寺) 会期・6月9日まで 今後の休館日・6月5日 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 蘇東坡(注1)は雲の浮かぶ空の下で笠を傾(かたむ)け、杜甫(注2)は遠い異郷の空に降る雪を笠に積もらせた。私はといえば、草庵で暇にまか

      • 松尾芭蕉が見た納涼床(京都・鴨川)。「四条河原涼」(しじょうかわらすずみ)現代語訳

        今回は、芭蕉が元禄3年(1690)6月に京都を訪ねたときの文を現代語訳してご紹介します。 芭蕉が46歳(現在の年齢の数え方)になる年の作です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 京都・四条の河原涼といって、夕月夜(ゆうづくよ)の頃(この場合6月上旬)から有明の月が見られるようになってしばらくの頃(同中旬)まで、鴨川の中に床を並べて、夜を徹して酒を飲み、ものを食べて遊ぶ。 女は帯の結び目がきっちりしていて、男は羽織をことさら長くきちんと着ている。僧や老人も一緒にま

        • 星空と松尾芭蕉。「銀河ノ序(ぎんがのじょ)」現代語訳

          「おくのほそ道」では、「暑さと雨のつらさで神経をすり減らし、病気になったので何も書き留めなかった」として、縦断した越後国(えちごのくに・新潟県)の記述が大幅に省略されていました。 でも、越後の出雲崎(いずもざき)を旅したときのことを、芭蕉は「銀河ノ序」という文にまとめていました。「おくのほそ道」の記述を補うものとしても読めますので、以下に現代語訳してご紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 北陸道を旅して、越後国の出雲崎というところに泊まる。 あの佐渡

        伊賀市・芭蕉翁記念館で展示中の芭蕉真筆!

        • 山寺芭蕉記念館「芭蕉の周辺と蕉門」展の芭蕉真筆(現代語訳)

        • 松尾芭蕉が見た納涼床(京都・鴨川)。「四条河原涼」(しじょうかわらすずみ)現代語訳

        • 星空と松尾芭蕉。「銀河ノ序(ぎんがのじょ)」現代語訳

          松尾芭蕉も敦賀を旅しました。敦賀滞在についての芭蕉の文・現代語訳

          2024年3月16日、北陸新幹線の金沢~敦賀間が開業します。 敦賀を訪問する方も増えそうです。 今から330年あまり前の元禄2年(1689)8月(旧暦)に、芭蕉も敦賀を訪れていました。『おくのほそ道』の旅の終盤で、金沢・小松・福井などを経て敦賀に8月14日到着。ここに数日滞在しました。 以下に紹介するのは、俳人・東恕(とうじょ)が残しておいた芭蕉の文です。「デジタル版日本人名大辞典+Plus」(講談社)によると、東恕は敦賀の人で、支考(芭蕉の弟子)に俳諧を教わったのだそう

          松尾芭蕉も敦賀を旅しました。敦賀滞在についての芭蕉の文・現代語訳

          伊賀上野で3月10日まで公開中の芭蕉真筆について

          三重県伊賀市・芭蕉翁記念館で開催中の「俳句が先か、絵が先か」展では現在、 芭蕉筆許六画「茸狩や」発句画賛 が公開されています。芭蕉の弟子・許六(きょりく・絵においては芭蕉の師匠でした)が小枝に刺された二つの茸(松茸?)の絵を描き、そこに芭蕉が句を記しています。今回はこの句をご紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 〈茸狩やあぶなきことにゆふしぐれ〉たけがりやあぶなきことにゆうしぐれ (きのこ狩りをしたが、帰ったら夕しぐれが降ってきた。あぶないところだった

          伊賀上野で3月10日まで公開中の芭蕉真筆について

          山形の展覧会案内に掲載されている芭蕉の句

          現在、山形市の山寺芭蕉記念館では企画展「収蔵名品展」が開催されています(2月5日まで、水曜休館)。 記念館の企画展案内ページに画像として掲載されている芭蕉の句をご紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 〈はるもややけしきととのふ月と梅〉はるもややけしきととのうつきとうめ (月と梅が同時に楽しめる。ようやく春の情景も整ったのだ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この句は元禄6年(1693)の作です。記念館の画像を見ると、弟子の許六(きょりく・絵にお

          山形の展覧会案内に掲載されている芭蕉の句

          伊賀の展覧会で見られる芭蕉真筆の短冊!

          現在、伊賀市の芭蕉翁記念館では、 【芭蕉翁生誕380年記念 俳句が先か、絵が先か】展が開催されています。 会期は1月6日から3月10日まで、会期中の休館日はありません。 (共催するミュージアム青山讃頌舎(あおやまうたのいえ)は1月13日~2月18日、火曜休館) 詳細は伊賀市サイトへ 会期中に展示替えが行われますが、 まず1月6日~2月1日までは、芭蕉翁記念館で 芭蕉筆「木のもとに」発句短冊が公開されます。今回はこの句をご紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

          伊賀の展覧会で見られる芭蕉真筆の短冊!

          冬の夜の芭蕉【その3】。『寒夜の辞(かんやのじ)』現代語訳

          3回目は、『寒夜の辞』をご紹介します。天和3年(1681)の作ですので、以前ご紹介した2作より5年ほど前のものです。 この前年(天和2年)の冬に、芭蕉は江戸の市中から深川に移り、詩人としての歩みを本格的に始めました。 この『寒夜の辞』発表の年には、弟子から芭蕉(植物)を贈られて気に入り、「芭蕉」という俳号を使うようになりました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 深川三股(みつまた・隅田川と小名木川の合流地点を指す地名)のそばの草庵でもの静かに暮らし、遠くは富士の

          冬の夜の芭蕉【その3】。『寒夜の辞(かんやのじ)』現代語訳

          冬の夜の芭蕉【その2】。『雪丸げ(ゆきまるげ)』現代語訳

          前回は、『閑居の箴(かんきょのしん)』という松尾芭蕉の短文を訳しました。 今回はそれよりも明るい雰囲気の短文(句を含む)をご紹介します。『閑居の箴』と同じ冬(貞享3年、1686年)の作と考えられています。 「雪丸げ」は「ゆきまろげ」とも言いますが、雪を丸めてころがし大きな玉をつくる子供の遊び(あるいは、その玉)のことです。 文中に出てくる曾良(そら)は信州出身の芭蕉の弟子で、『おくのほそ道』の旅に同行した人物として有名です。今回ご紹介するのは、曾良が37歳になる年(現在

          冬の夜の芭蕉【その2】。『雪丸げ(ゆきまるげ)』現代語訳

          冬の夜の芭蕉。『閑居の箴(かんきょのしん)』現代語訳

          松尾芭蕉の短い文(句を含む)をご紹介します。 『閑居の箴(かんきょのしん)』というタイトルは芭蕉ではなく、後に弟子の支考がつけたものと考えられているようです。「閑居」は世間と離れて静かに住むこと、「箴(もとの意味は「治療に使う針」)」は戒(いまし)めの文章(や、その文体)を指します。でも、内容から戒めというほどのものが読み取れるかどうか・・・。 貞享3年(1686)、現在の年齢の数え方で芭蕉が42歳になる年の作です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ああ、自分は

          冬の夜の芭蕉。『閑居の箴(かんきょのしん)』現代語訳

          松尾芭蕉は松島で句を詠んでいた!〈松島〉現代語訳

          『おくのほそ道』で芭蕉は、「松島で見る月はどんなに良いだろうか」と、松島を訪れることを旅の目的のひとつとしていました。そしてついに松島の絶景を目の前にした時のことを、 「神がつくられたすばらしい景色を、誰が十分に絵にしたり詩文に表現したりできるだろうか。(中略)私の方は、句を作るのをあきらめて眠ろうとしたが寝られない」 と記し、同行者の曾良(そら・芭蕉の弟子。信濃の人)の句のみを載せました。句を作ることができなかった、ということになっています。 詳細(『おくのほそ道』現

          松尾芭蕉は松島で句を詠んでいた!〈松島〉現代語訳

          松尾芭蕉「古池や・・・」の「古池」はどこ?

          先日は、「名月や池をめぐりて夜もすがら」の「池」について紹介しました。 今回は、芭蕉の句に詠まれた池としてはもっと有名な、 古池や蛙飛こむ水のおと ふるいけやかわずとびこむみずのおと の「古池」について考えたいと思います。実は滋賀県と京都府の境近くにある岩間寺(西国三十三所の第十二番札所)に、芭蕉がそこでこの句を詠んだと伝わる「芭蕉の池」が存在します! そこにある石碑の説明では、 芭蕉が岩間寺に参籠して供養塔を建てた「霊験」(れいげん・祈願することによって神仏から与

          松尾芭蕉「古池や・・・」の「古池」はどこ?

          〈展示替え重要情報〉「月を愛でる俳人たち」展(奥の細道むすびの地記念館・大垣市)で展示中の芭蕉直筆短冊2点のうち1点(「三日月や」)は、明日10月29日までの公開です!この情報は記念館サイトにもありません。ご覧になりたい方は、お急ぎください!

          〈展示替え重要情報〉「月を愛でる俳人たち」展(奥の細道むすびの地記念館・大垣市)で展示中の芭蕉直筆短冊2点のうち1点(「三日月や」)は、明日10月29日までの公開です!この情報は記念館サイトにもありません。ご覧になりたい方は、お急ぎください!

          大垣の展覧会で見られる!芭蕉短冊について(その2)

          前回(その1)に引き続き、「月を愛でる俳人たち」展(大垣市奥の細道むすびの地記念館、2023年10月7日~11月19日)で展示される芭蕉筆短冊の2つ目をご紹介します。 〈月清し遊行のもてる砂の上〉つききよしゆぎょうのもてるすなのうえ この句は「おくのほそ道」に出てきます。現福井県敦賀市で詠まれたものですが、作句の事情も分かりやすいかと思いますので、以前に訳した「おくのほそ道(下)」の「55・敦賀」章の一部を紹介します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ その夜、

          大垣の展覧会で見られる!芭蕉短冊について(その2)

          大垣の展覧会で見られる!芭蕉短冊について(その1)

          現在、岐阜県大垣市の奥の細道むすびの地記念館で、「月を愛でる俳人たち」展が開催されています。 (2023年10月7日~11月19日) 大垣市奥の細道むすびの地記念館・展示案内のページ 展示品には芭蕉筆の短冊もありますが、今回はそのうちの1つをご紹介します。 展覧会のチラシには〈芭蕉筆「三日月や」句短冊〉が展示されるとありますが、「三日月や」ではじまる、ということで考えられる芭蕉の句は2つあります。 私はまだ展示を見に行っていませんが、伊賀市(三重県)が所蔵しているものだ

          大垣の展覧会で見られる!芭蕉短冊について(その1)