今まで忘れるように目を逸らしてきた自分の中の嫌なもの、苛虐性、独占欲、暗澹とした脳内。それらは日に日にその陰りを明確に形作り視界を遮ってくる。 私は自分を騙せなくなるのが怖い。汚い劣情は綺麗な愛情に、殺人願望は希死念慮に、苛立ちは悲しさに置き換えなくてはならないのだ。 近頃、家に一人の場合は日がな一日音楽を聴きながら酒と薬を飲み時々思い出したように絵を描く。めちゃくちゃな下書きで足がもつれて動けない。何をしても誰といてもただ一瞬の快楽でそれ以外は全て空虚なモラトリアム人生、
この間誕生日を迎え、21歳になりました。 なんて事ない普通の毎日を過ごせていることに感謝しながら、今日の昼はなんて事無く風邪薬をお酒で流し込んだ。 お腹を痛めて産んでくれてありがとうママ 大切に育ててくれてありがとうママ もう沢山、人生もう大丈夫かも。 一体何歳になるまでぬるい厭世観というやつを抱えていたら気が済むのか。中学生の頃も高校生の頃も、思春期が過ぎ大きくなれば死にたいなんて思わなくていいんだと信じて疑わなかった。幸福はいつも一瞬で溶けてなくなり早く死にたいという"
昨日、嫌な夢を見た。自分を信じられなくなるような大切な人を悲しませるような酷い夢だった。 人を褒めて肯定して安心させることは大好きだけど、生きているだけで偉いという言葉は自分に当てはめるには無理があり私自身はいつでも罰を受けたいとばかり考えている。 自分の力で起き上がれるほど強くはなくそれを言い訳つけて現実逃避し続けられるほど無神経では無い。唯一救いがあるとしたら、それが罰である。でも私のような悪魔を罰する人間はもちろん居ないので自分を傷つける事で安心している。うじうじと頭
暑い、暑すぎる いつまで経っても夏は憂鬱な季節でクーラーガンガンの部屋の中アイスを食べながらあまりにも薄味な夏の思い出を虚構で味付けしながらやり過ごす。 そうやって過去に思いを馳せていると紛れもなく本当の辛い記憶が押し寄せてきて感情の再放送が始まるのだ。これは何度でも地獄に落ちることが出来る素晴らしいトラウマである。皆さんはもっと、自分が不幸であると認められる瞬間に悦楽を感じた方がいい。 心一つあれば絶望で暇が潰せるのだから。 二つあればどんな気持ちも二転三転不自由自在になる
この日記たちは高校卒業後特にやりたいこともなく元々バイトしていたコンカフェで食いつなぐ日々を送っていた18歳の頃の私が書いたものです。特にどこにも公開するつもりで書いていなかったし全て駄文ですので興味のある方のみご覧ください。 【過去日記1】 人の不幸話を聞くと、本気で苛立ってしまう。うざいとか興味ないとかではなく、本当にムカついてしまう。そして気の許す相手にその手の話をされると既に不幸な人間に追い打ちをかけるように罵詈雑言を浴びせてしまう。気の許すというかそこまでしても自
前置きしますが、SNSで人を貶める発言をしたりコンカフェ店員という夢を与える存在でありながら人様の愚痴を呟く事自体が基本的に良くないことです。やめましょう。そして以下の文章は全て私の主観であり、妄言です。それを踏まえてお読みください。 で、本題ですが、なぜ客の愚痴はダメでコンカフェ嬢の愚痴はいいのか? 結論から、客の愚痴を言ってもメリットがひとつも無いどころかデメリットだらけであるから。です。逆にコンカフェ店員の愚痴を言うことにメリットなんて存在するのか?となるところですが
現実というのは至極曖昧で捉えようによっては誰かの夢であり上位存在のシュミレーションでありただの事象である。 いつからか過去も未来もあるのかないのかわからなくなって私を中心にして回る表と裏の世界は元に戻らなくなった。 その昔抱いた大きな夢も誰かに愛してもらった時間も今の呼吸も過去になる。意味がなくなる。 それでもご飯は美味しいし趣味は楽しいし特に悲観するようなこともないけど、それでも全てがお遊びみたいに感じて仕方ない。現実に閉じ込められている中で脳に書き込まれたプログラムで自
暗い微睡みの呼ぶほうへ とは2022.1.28にまふまふ氏よりリリースされた楽曲である。 暗いピアノ伴奏から入りサビでは氏特有の激しいギターとシンセサイザーが鳴り響く。 歌詞の作りからは果てしない絶望感の他 絵 を連想させる表現が多く含まれる。 私はこの曲それ自体に深く共感している。どうしてもその気持ちを書き留めておきたく文字に起こすことにした。 私は中学生に上がってすぐから引きこもりの不登校となってしまったがそれと同時に絵描きとしての人生が12歳から始まる。 学校生活に挫