日記4
この間誕生日を迎え、21歳になりました。
なんて事ない普通の毎日を過ごせていることに感謝しながら、今日の昼はなんて事無く風邪薬をお酒で流し込んだ。
お腹を痛めて産んでくれてありがとうママ
大切に育ててくれてありがとうママ
もう沢山、人生もう大丈夫かも。
一体何歳になるまでぬるい厭世観というやつを抱えていたら気が済むのか。中学生の頃も高校生の頃も、思春期が過ぎ大きくなれば死にたいなんて思わなくていいんだと信じて疑わなかった。幸福はいつも一瞬で溶けてなくなり早く死にたいという"普通の状態"が底にある。10年近くそう思ってる気がする。これを死ぬまで繰り返すのが今のところ分かった人生なのだが、幸せは消耗品だと分かっているからこそ余すことなく買い占め脳内物質の奴隷になっているだけ幾らかマシに思える。
薬物、酒、煙草、依存的な恋愛、娯楽、どれも意味の無い、死ねば地獄行き確定の要素で毎日が埋めつくされているのだ。というよりも生きているうちにどこかで痛い目見ないと辻褄が合わないから、私は出来る限りの多くを許しているつもりだ。
酔いが醒めかける時、なにか時差ボケのような現実と感覚のズレを感じることがある。
これは常日頃からみなさんが感じている
"世間から自分は浮いていて私は社会不適合者だ"
と、思い悲しむ感情のことではない。
これを伝えるのは難しいが無理やり説明するとしたら "用意された現実を五感で感じる時、いつもとは違う受け取り方をしてしまう" というのが適切か。いつもなら頭に入ってくる情報を取り逃し、普段は気にもとめたことないような事が印象的に映り少し変な不安の感じ方をする。
例えば車に乗るとする、カーナビのぐにゃぐにゃと描かれた地図が、ラジオのMCとゲストの一瞬噛み合わない会話が、鉄の塊がものすごいスピードで走っているんだと教えられる交通安全教室の記憶が、脳と体を蝕んでいく。高齢者ドライバーと私の精神性は同じくらいの危うさを持っている。
もっと不気味でいい、もっと不安定でいい、私と世の中は離れていればいるほどいい。と馬鹿馬鹿しいことを、本気で思っているのだ。
21歳になっても。