揺らぎ続けていたい
オムライス屋さんに行こうと、駅に着いたときは思っていた。なんならそのために電車に乗ってここまできた。
しかし駅からオムライス屋さんまでの間にはたくさんのお店がある。ハンバーグ屋さん、しゃぶしゃぶ屋さん、お寿司屋さん。それらの前を通るたびに、入ってしまおうかな、と心が揺らぐ。
ハンバーグもいいな。しゃぶしゃぶもいいな。お寿司もいいな。
いや、オムライス食べに来たんだ私は、と思い出し、先を急ぐ。
目的地はあくまでオムライス屋さんなのだが、その時(店の前を通ったとき)私は、紛れもなくハンバーグ、しゃぶしゃぶ、お寿司に目移りした。たとえそれが一瞬だったとしても。間違いなく、心を一瞬奪われていた。
でも大抵の場合、結局オムライス屋さんに入ることになる。心は揺らいだが、その揺らぎを乗り越えることで、やっぱりオムライスだ!と謎のオムライス欲を高めることに成功しているのだ。数々の誘惑を乗り越えた先の、オムライスは格別だったりする。
日々こんなことの繰り返しだ。目的地はある。だけど、誘惑してくるものもたくさんある。そしてちゃんとその誘惑に揺らいでしまう。これって悪いことなのだろうか。
私自身はこの揺らぎが好きだったりする。だって、この道を通らなかったら寿司屋の前を通り過ぎることはなかっただろうし、ハンバーグ屋としゃぶしゃぶ屋にも同じことが言える。
揺らぎこそ今を生きている証なのかもしれない。そして常に自分で決断することができる状況にいられること、これこそが私にとっての最大の幸せなのだと最近気付いた。
だがこの揺らぎを察知するたびに一瞬心を奪われてしまう道の歩き方は、もしかすると横にいる人を困らせてしまうかもしれないから注意が必要だ。
お休みの日は、特にこの揺らぎを最大限に享受しながら、1日を組み立てていくことができる。さて今日はまず何からしようかな。ちなみに今はホットケーキとお寿司と濃厚なチョコレートケーキが食べたい。