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クリスマスイブに泣きながらした決断はこれからの私にどう影響するのか。
クリスマスイブに泣きながらした決断。いや、たまたまそれがクリスマスイブだっただけで、クリスマスイブなんて、私には到底関係のないイベントで、前日からSNSでのストーリーや投稿にうんざりし、見るのをやめた。
去年のクリスマスイブとは真逆な私だ。と、LINEの自分のアイコンをみておもった。私のLINEのアイコンは去年、クリスマスイベントで推しと撮った初めての写真だ。とっても大切で、宝物。たくさん自分磨きをして推しに会いにいった去年。今は、、と考えるともう、消えたくてたまらなくなる程だ。
今年のイブの前日、23日は、色んな出来事が重なり生きるのが嫌になった。目が覚めないように大量の眠剤を飲み、眠った。
そして、クリスマスイブ当日。私の身体は動かなかった。うまく喋ることもできなかった。目が覚めてしまった絶望で、起きた瞬間、体が動かないまま過呼吸になった。自分でもよく、わからなかった。身体は死んでいるのに涙が出た。「消えたい、消えたい」と誰もいない部屋で叫び、泣き喚き、過呼吸がいつもより長く感じた。
精一杯の力で会社に電話をして、休みをもらった24日。その日の夕方、まだマシになったものの、ふわふわしていて足が地面についていないようだった。まっすぐに歩けなかった。緊急受診をし、いつも何を話してもうまく伝わらないおじいちゃん先生が珍しくつよめに「診断書いますぐ書くから明日から休みなさい」と。いつもより少し怖かった。笑っていなかった。
診断書を会計の時に渡されても実感がなく、まだ温まらない車の中で、母とふたり。私は静かに泣いた。休みたくなかった。いや、休みたかった。ずっとずっと休みたかった。けど、休んだら、私は私でいられなくなる、もっと責めてしまう、もっともっとくぅちゃんに会えなくなってしまう。私はきっと周りが悲しむことを選んでしまう。だから、今までだって必死に働いてきたのだ。生活のためとは言え、わたしは、働くことでしんどい思いをし続けることで自分を痛めつけることで自分を守っていた。自分だけが傷つくだけだから、他の人に迷惑をかけるぐらいなら、と思い休まず働いていた。
年末年始のシフトが出てしまっている今。休むことをパワハラ上司に伝えることも、診断書を事務所に出しに行くことすら、怖くて怖くてもう戻れないんだと勝手に自分で決めつけ、追い込み、泣き喚いた。母は黙って車を走らせた。着いたのは私の会社。この時間ならまだ事務所に誰かいるでしょうと、出してきなさいと。寒さもあってか、母も少し冷たかった。私がそう感じただけだろうか、。
事務長に事情を話すのに1時間程かかり、でも優しく受け止めてくれ、大丈夫だから待ってるからと言ってくれた。今はそんな言葉すら信じられないけれど、それでもありがたかった。
そんなクリスマスイブ。
一カ月間の休職をきめたクリスマスイブ。
昨日から休み始めて、罪悪感と不安と恐怖とで、過呼吸になる頻度がこの2日ですごく増えた。
今日はその苦しさから逃げるように美容院にいった。1人で家にいたらわたしは私を殺してしまう。本当はこんな状態だからとキャンセルしようと思っていた美容院に、逃げるように駆け込み、いつも髪の毛をケアしてくれる高校時代のクラスメイトにたくさん色んな話を聞いてもらった。久しぶりに会社の人以外と話をした。久しぶりに少し笑った。来月、リフレッシュにご飯かドライブにいこうと誘ってくれた。私は自分勝手にいつも縁を切ってしまうけれど、友人はいないと思っていたけれど、もしかしたら、いるのかもしれないな、と少しだけ思えた瞬間だった。
休職してから、より、こんな私がという気持ちが強くなり、SNSが怖くなった。わたしは、こんなにキラキラしていない。普通ではないのだ。大好きな推しの投稿をなかなか開けなくなった。コメントしてもいいのかな、と悩むようになった。
来月のファンミ、応募すらできなかった私はきっと当日、生きていられるのだろうか。SNSはついつい見てしまうし、でも推しが幸せなら、と思う。けれど、やっぱり会いたかった。会えなかった。いつ会えるのかなんて、わからないし、頑張るとも言えない今の自分が憎くて仕方がない。次のファンミも応募すらできないかもしれない。私は、ゼロか百の考え方しかできない人間だ。だからいつだって苦しい。けど、それを耐えるだけの忍耐強さだけはあったはずだった。でも今はそれすらも散ってしまったようだ。みんなが楽しそうにしているのをみて、苦しくて過呼吸になり、止まらない嗚咽に、吐血する未来が見える。過呼吸になりすぎて、気管支や色んなところを傷つけ続けている私は自分のことを大切にする術を小さい頃から誰にも教えてもらえず、自分でも理解できずに25年間、ここまできた。
「また明後日ね」と笑顔で手を振りあった、あの利用者は私が居ないことに気がついているのだろうか。きっと、あのおばあちゃんは、しっかりしているから、気がつくだろうな、。明後日ね!なんて嘘をついてしまってごめんねの気持ちでいっぱいで、その利用者のことが休んでいても頭から離れずにいる。
いつもパズルをしているおばあちゃんも。
糸魚川弁がかわいいあのおばあちゃんも。
認知症があり、私のことをすぐ忘れてしまっても私はあのかわいいとぼけたような笑顔に、愛おしさを感じていたし、救われていたんだ。
嫌なこと、トラウマ、いっぱいあるけれど、今まで我慢することしかできなかったけど、その我慢を5年間し続けられたのは、やっぱりそんなかわいいおばあちゃん達がいるからだったんだなと、そんなことを考えたら、やっぱり私はこの仕事しかないんだなと気付かされ、涙が止まらなくなった、26日、20時半。
今まで、休むことができなかった私が、今回休むという選択をしたことで、これからの私に何か影響はあるのだろうか、休んでいても心が休まらない私は、本当の休み方を知ることができるのだろうか。休職してまだ2日、まだまだ罪悪感と不安と恐怖に押しつぶされてしまいそうになるけれど、この休みを乗り越えた先に、この病気が完治する未来があるのだとしたら、少し、休んでみてもいいのかな、休めるかな、という少しあったかい気持ちになる。
大好きな人に手紙を書き続ける日々で、また会える日がくるのだとしたら、なにを伝えよう。私なんて、とその時には思わないようになっていたいな、
大切な人が1人増えるたび、今まで大切だった人が消えていなくなりそうになる感覚はなんなのだろう。今、それなのだけど、私の勘のようなもので、確信はないけれどほぼ確信に近くて、いつもその勘はあたるのだ。どうして居なくなろうするのか、私は他人に同じようなことをしているのに、どうしてかはよく分からないままだ。私の離れるとは、ちがうものなのだ。
私はあなたが居ないと生きられないです、私にとってのあなたはとても大きい存在です。だから、他の誰かを大切に思ったとしても、貴方には居てほしいのです、だから、冷たいLINEの返信、傷ついてしまうから、でも、いつもそうだった。誰か増えると、誰かがいなくなる。どうしてそんな人間関係しか築けないのだろう、わたしは。くるしいよ、痛むから、私の痛みを知ってくれていると思っていた、そんな貴方が、どこにもいきませんように、これからもずっとそばにいてくれますように、、