ゆうみ

INFJ-T 中川紅葉ちゃんらぶ いつか書く仕事がしたいです。

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24歳。「恋愛も結婚もしない」と周りに宣言している理由。

あと3ヶ月で25歳。恋愛や結婚のことを詮索されることも増えてきて、ついこの間もInstagramで、婚約しましたと、学生時代の一つ上の先輩が報告していた。いいねを押すことすら迷ってしまう私は相当捻くれているのかもしれない。 私は会社でそう言う話を振られる時や、親戚たちと会う時は、絶対に結婚しない、恋愛ももうしないと宣言している。色々聞かれるのも面倒だし、私にしかわからないものがある、そしてそれは周りには理解されない。そしてきっと、他人に理解される必要もないものだということが

    • 24歳最後の夜。ブランド物なんていらないから、隣で一緒に眠ってよ。

      私は、明日で25歳になるらしい。 職場の歳が近い子と形だけのプレゼント交換を毎年している。今年はブランド物のコスメだった。 わたしの好きな人。 まだ、忘れられない人。 急に家に送られてきた、ブランド物のポーチ。 「信じられない」と言ったのは向こうなのに、わたしが誕生日にあげた物のお返しだろうか。それにしては高すぎる。 そして、掛かってきた電話。 久しぶりに声を聞いた気がした。 「たくさん考えたけど、嫌いになれなかった。1日早かったけど、明日は病院だろうから、」と。 「お

      • わたしのことば。こだわりと、

        わたしは、ひらがながすきだ。 ただ、漢字で書きたいものもある。 例えば、わたしは「好き」よりも「すき」を選ぶ。柔らかく優しく伝わるような気がするし、わたしが想う「すき」は、「好き」よりも「すき」の方が近い気がするから。わたしがその人のことを想う時間は、「すき」でありたいとも思う。「好き」よりも「すき」のほうが、安らぎの時間にもなっているようで、それが相手に伝わっていたらいいなといつも思っている。そんな、遠回しな愛が伝わるとも思えないけれど、もし伝わっていたとしたら、受け取って

        • 「助けて」って誰かに言えたら

          夜勤前、体が重くて動かない。まるで、金縛りのようだった。時計を見て、絶望し、シャワーを浴びて、髪の毛を乾かし、大量の抗不安薬と抗うつ薬をお守りがわりに鞄にしまう。家を出ないといけない時間はとっくに過ぎているのに、急ぐこともできない。 私は、鬱だけでなく、不安神経症とも診断された。ほぼ毎日の過呼吸も、日に日に何もできなくなる感覚。このまま興味があったことや、好きだったことさえ、その気持ちさえ薄れていくことに恐怖と虚しさを覚えるも、ほぼ諦めの状態だ。 今の自分は、自分さえも、

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        24歳。「恋愛も結婚もしない」と周りに宣言している理由。

          傷つけてごめんね、傷ついて、ごめんね、

          先日、ある人から「仕事に行けてるだけすごいよ」と言われた。私は少し笑って「そうだよね」と返すことしかできなかった。 仕事に行けてるから、辛いのに、そのことに気がついてくれる人は誰もいなくて、仕事に行けてるから大丈夫だと思われてしまう。理解されない理由になる。 家や、会社の休憩時間、1人になった瞬間に溢れる涙、そんな中途半端な限界のサインじゃ誰にも気づかれないんだよ。仕事に行けば動けてしまう。それなりに笑えてしまう。だから、何もかも嘘のように感じる。働けてるから大丈夫なんだ

          傷つけてごめんね、傷ついて、ごめんね、

          人はいつか、幸せになれると信じていいのだろうか。

          数週間前、飲みはじめた抗うつ薬で薬疹がでた。薬疹が出るのは今回で2回目。一度目は高校生の時だった。あり得ないぐらいの高熱と、皮膚が腫れ上がり、声を出すこともできなかった。あの時は数日間ほぼ意識もなく点滴が身体を巡っていくのでさえも激しい痛みを感じ、ただ目を閉じてその痛みに耐えていた。人生で初めて、直近に死を感じた瞬間だった。 最近になって思うのだ。私は本当はあの時に死ぬはずだったのではないかと。 今回は発疹と熱感だけで済んだのだが、対して効果を実感できないまま、抗うつ薬で

          人はいつか、幸せになれると信じていいのだろうか。

          いつか。テーブルの上にロウソクが置かれるようなお洒落な夜カフェで

          わたしのだいすきな人のだいすきなエッセイ。 先月末に更新されたものです。このエッセイを読んで、私が考えたことや感じたことが沢山ありすぎて、noteに残しておきたいなと思いました。 記事を貼っておくので、良かったらみなさん、私のだいすきなくぅちゃんのエッセイを読んでから、私のnoteを読んでくれたら嬉しいです。 ここからは、私の心の記録です。 私が好きなのは、まず書き出し。 「嫌いな人の好きなものを嫌いになってしまう」この感覚はきっと、みんながみんなそうではないけれど私

          いつか。テーブルの上にロウソクが置かれるようなお洒落な夜カフェで

          あの時の苦しさは、今でも目を背けてしまうけれど

          最近noteを書けていなかった。SNSを見ることも、LINEやDMを返すこともしていなかった。きっと自分自身が自分でもよく分からなくなっていた。自信がなかった。自分の「今」を誰かに話したり、こうやってnoteに書いたり、SNSで呟くことで、人が離れていくと感じた。この「感じた」は、人が離れていく出来事が実際にあった訳ではなく、これもまた勝手に想像して勝手にそう思った面倒な独りよがりの私自身の考えだ。 誰かと話している時、特に大切な人や、好きな人と話している時、いつもより敏感

          あの時の苦しさは、今でも目を背けてしまうけれど

          やっぱり貴方だった。

          昨日は仕事をしているときから、体が重かった。いつもなら仕事をしている時は気が紛れるのに。同僚の話にも全くついていけないし、私に話しかけられてる訳ではないけれど、話し声が不快でその場から何度も逃げたくなった。 仕事終わり、一刻も早く家に帰りたいはずなのに更衣室で動けなくなった。 「なんかもう、だめかもしれない」 そう思った。 今の自分は、周りから見ても不快だろうな。 そして、このままだと誰もいなくなる。 そんな考えを始めるととても恐ろしい感覚に襲われた。でも、それを分

          やっぱり貴方だった。

          不眠症。

          社会人一年目の時、夜勤を始めてから少し経った時、急に眠れない日が続いた。それは、よくなったり、また眠れない時期があったりを繰り返していた。 今年に入って1週間まるまる一睡もできない時があった。普通に日勤も夜勤もある中で、仕事に集中できなくなって、家では眠れないのに仕事中に意識を飛ばしそうになることが増えて、最終的には、真っ直ぐ歩けなくなり、頭痛、めまい、吐き気に襲われた。そのすぐ後だった。鬱と診断されたのは。 不眠症が悪化し、鬱になり、私にとって睡眠は生活をする上でとても

          不眠症。

          久しぶりに穏やかに過ごせた今日は

          昨日の夜、仕事終わり、久しぶりに筋トレをして半身浴で汗をかいた。ここ最近、何日か体調が優れず休んでいたからか、久しぶりの仕事で昨日はいつもよりも身体が痛かった。なのに、筋トレもして半身浴もして、久しぶりに頑張れた1日だった。 久しぶりに頑張れたのは、今日が休みだったこと。そして昨日は大好きなくぅちゃんのラジオの配信があったからだった。 でも夜はやっぱり眠れなかった。 今朝頑張って起きて、久しぶりに母が家に来てくれた。テレビを見て話しながら、最近母がやっていると言う骨盤の歪

          久しぶりに穏やかに過ごせた今日は

          今。葛藤

          鬱になってから、よく昔のことを思い出し、過去の自分を客観視しすることが増えた。 思い出すたびに、客観視する度に、あの時の自分はあれが精一杯で、必死にもがいて生きていた。後で振り返ることで、あの時我慢しすぎていた自分や、あの時こう言う選択もあったなと気付けることがある。我慢しすぎて、限界も見て見ぬ振りをして、自分の心を壊した結果が今のわたしだ。 わたしの24年間の人生において、ゆったりとした穏やかな時間というものはなかったように感じる。怪我や病気も多くしてきた。家族にも沢山の迷

          今。葛藤

          出会えたのは多分、きっと奇跡だった

          日付が変わったら、私の大好きな子の誕生日です。私にとってもすごく大事な日で、去年から仕事も休みにしています。今は日付が変わる3時間前。大好きなくぅちゃんのことについて書きたいと思いました。 私が初めてくぅちゃんのことを知り、一目惚れをしたことは以下の記事に書いてあるので、ぜひ読んでみてください。 初めて会った時のことも鮮明に覚えています。転換のときにくぅちゃんから話しかけてくれたこと。もう、あの時からSNSで応援していた私のことを、私だって認識していてくれたのかと思うと、

          出会えたのは多分、きっと奇跡だった

          これだから介護は辞められない

          最近、仕事を休職しようかずっと悩んでいた。仕事が嫌だとか、そういうわけでもなく、抑うつの症状に波があり酷い時は体に力が入らず動けなくなってしまう。一人でいると訳もわからず涙が出る。苦しいとか、悲しいとか、もうよく分からない。ただ、誰を信じていいか分からず、親にも言えず、ひとり、通院して薬をもらっている。こうやって、今の自分を曝け出せるのはnoteだけなのだ。 時々、この人には話してもいいかもしれない、と思う時がある。けれど、信じた結果、他の人に言われたり、又は否定的な意見を

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          安らぐ場所。救われた夜

          19日の深夜。夜勤中に思い立った。 「明けでおばあちゃんちに行こう」 私がおばあちゃんちに行きたくなる時は決まって、嫌なことがあった時や、心を休めたい時。何にも考えたくない時だ。 一度家に帰り、必要なものを鞄に詰め込み、おばあちゃんちへ向かう。向かう途中の道も緑がいっぱいでとても好きだ。道も整備されており、走りやすい。窓を開けるとカエルの声と蝉の声が聞こえてきて、車の中で少し音量小さめに流している優しい音楽と相性がいい。そして透き通った風が頬を優しく撫でてくれる。それが

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          25歳まで残り3ヶ月。どう生きていきたいか考えてみた。

          24歳の今、自分はどう生きたいか、どうなりたいかずっと考えている。 就職に迷っていた頃、専門学校の時の先輩から言われた言葉を思い出した。「自分が何をしたいか分からないときは、どういう生活がしたいのかを考えるんだよ」と。 今の私にはやりたいことはある。けれど、それに割く時間と余裕が圧倒的に足りていない。心の体調が優れないことが増えて、それを受け入れることに精一杯の自分がいる。どういう生活がしたいのかについても、何歳までにこういう家に住みたい、経済的な余裕がもっとできたなら、

          25歳まで残り3ヶ月。どう生きていきたいか考えてみた。