ゆうみ

INFJ-T 中川紅葉ちゃんらぶ いつか書く仕事がしたいです。

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私は私を見つけられないまま

今まで沢山の大切な人と出会ってきたはずだった。ずっと仲良しでいられるって繋がっていられるって信じていた。けど、今のわたしには本当に苦しい時に相談できる人がいない。 きっとそれはわたしの生き方が下手くそだったから。誰かに必要とされたい。誰かに理解されたい。そういう気持ちはあるのに、いつだって人と関わるのが怖かった。必要以上に人と近づくことができなかった。 そしてきっと、本当にわたしのことを知りたい、理解したいと思ってくれるような人が仮にいたとしても、わたしはその人に対してき

    • やっぱり貴方だった。

      昨日は仕事をしているときから、体が重かった。いつもなら仕事をしている時は気が紛れるのに。同僚の話にも全くついていけないし、私に話しかけられてる訳ではないけれど、話し声が不快でその場から何度も逃げたくなった。 仕事終わり、一刻も早く家に帰りたいはずなのに更衣室で動けなくなった。 「なんかもう、だめかもしれない」 そう思った。 今の自分は、周りから見ても不快だろうな。 そして、このままだと誰もいなくなる。 そんな考えを始めるととても恐ろしい感覚に襲われた。でも、それを分

      • 不眠症。

        社会人一年目の時、夜勤を始めてから少し経った時、急に眠れない日が続いた。それは、よくなったり、また眠れない時期があったりを繰り返していた。 今年に入って1週間まるまる一睡もできない時があった。普通に日勤も夜勤もある中で、仕事に集中できなくなって、家では眠れないのに仕事中に意識を飛ばしそうになることが増えて、最終的には、真っ直ぐ歩けなくなり、頭痛、めまい、吐き気に襲われた。そのすぐ後だった。鬱と診断されたのは。 不眠症が悪化し、鬱になり、私にとって睡眠は生活をする上でとても

        • 久しぶりに穏やかに過ごせた今日は

          昨日の夜、仕事終わり、久しぶりに筋トレをして半身浴で汗をかいた。ここ最近、何日か体調が優れず休んでいたからか、久しぶりの仕事で昨日はいつもよりも身体が痛かった。なのに、筋トレもして半身浴もして、久しぶりに頑張れた1日だった。 久しぶりに頑張れたのは、今日が休みだったこと。そして昨日は大好きなくぅちゃんのラジオの配信があったからだった。 でも夜はやっぱり眠れなかった。 今朝頑張って起きて、久しぶりに母が家に来てくれた。テレビを見て話しながら、最近母がやっていると言う骨盤の歪

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        私は私を見つけられないまま

          今。葛藤

          鬱になってから、よく昔のことを思い出し、過去の自分を客観視しすることが増えた。 思い出すたびに、客観視する度に、あの時の自分はあれが精一杯で、必死にもがいて生きていた。後で振り返ることで、あの時我慢しすぎていた自分や、あの時こう言う選択もあったなと気付けることがある。我慢しすぎて、限界も見て見ぬ振りをして、自分の心を壊した結果が今のわたしだ。 わたしの24年間の人生において、ゆったりとした穏やかな時間というものはなかったように感じる。怪我や病気も多くしてきた。家族にも沢山の迷

          今。葛藤

          出会えたのは多分、きっと奇跡だった

          日付が変わったら、私の大好きな子の誕生日です。私にとってもすごく大事な日で、去年から仕事も休みにしています。今は日付が変わる3時間前。大好きなくぅちゃんのことについて書きたいと思いました。 私が初めてくぅちゃんのことを知り、一目惚れをしたことは以下の記事に書いてあるので、ぜひ読んでみてください。 初めて会った時のことも鮮明に覚えています。転換のときにくぅちゃんから話しかけてくれたこと。もう、あの時からSNSで応援していた私のことを、私だって認識していてくれたのかと思うと、

          出会えたのは多分、きっと奇跡だった

          24歳。「恋愛も結婚もしない」と周りに宣言している理由。

          あと3ヶ月で25歳。恋愛や結婚のことを詮索されることも増えてきて、ついこの間もInstagramで、婚約しましたと、学生時代の一つ上の先輩が報告していた。いいねを押すことすら迷ってしまう私は相当捻くれているのかもしれない。 私は会社でそう言う話を振られる時や、親戚たちと会う時は、絶対に結婚しない、恋愛ももうしないと宣言している。色々聞かれるのも面倒だし、私にしかわからないものがある、そしてそれは周りには理解されない。そしてきっと、他人に理解される必要もないものだということが

          24歳。「恋愛も結婚もしない」と周りに宣言している理由。

          これだから介護は辞められない

          最近、仕事を休職しようかずっと悩んでいた。仕事が嫌だとか、そういうわけでもなく、抑うつの症状に波があり酷い時は体に力が入らず動けなくなってしまう。一人でいると訳もわからず涙が出る。苦しいとか、悲しいとか、もうよく分からない。ただ、誰を信じていいか分からず、親にも言えず、ひとり、通院して薬をもらっている。こうやって、今の自分を曝け出せるのはnoteだけなのだ。 時々、この人には話してもいいかもしれない、と思う時がある。けれど、信じた結果、他の人に言われたり、又は否定的な意見を

          これだから介護は辞められない

          安らぐ場所。救われた夜

          19日の深夜。夜勤中に思い立った。 「明けでおばあちゃんちに行こう」 私がおばあちゃんちに行きたくなる時は決まって、嫌なことがあった時や、心を休めたい時。何にも考えたくない時だ。 一度家に帰り、必要なものを鞄に詰め込み、おばあちゃんちへ向かう。向かう途中の道も緑がいっぱいでとても好きだ。道も整備されており、走りやすい。窓を開けるとカエルの声と蝉の声が聞こえてきて、車の中で少し音量小さめに流している優しい音楽と相性がいい。そして透き通った風が頬を優しく撫でてくれる。それが

          安らぐ場所。救われた夜

          25歳まで残り3ヶ月。どう生きていきたいか考えてみた。

          24歳の今、自分はどう生きたいか、どうなりたいかずっと考えている。 就職に迷っていた頃、専門学校の時の先輩から言われた言葉を思い出した。「自分が何をしたいか分からないときは、どういう生活がしたいのかを考えるんだよ」と。 今の私にはやりたいことはある。けれど、それに割く時間と余裕が圧倒的に足りていない。心の体調が優れないことが増えて、それを受け入れることに精一杯の自分がいる。どういう生活がしたいのかについても、何歳までにこういう家に住みたい、経済的な余裕がもっとできたなら、

          25歳まで残り3ヶ月。どう生きていきたいか考えてみた。

          まだ、大丈夫。

          心のままに書こうとすると、ネガティブなものばかりになっていることに気がついた。読み手にもネガティブな印象を与えているのかと思うと怖くなるし申し訳なくなる。最近の自分と本来の自分は違うのだ、そう思いたい。本来の自分はそこまでネガティブではない。ただ物事を深く考えたり、好きな人やこれから出会うかもしれない誰か、そして、映画の登場人物などに思いを馳せること、自分の世界に入り込むことが好きなだけなのだ。誰かと居てもいつの間にか1人になっている。だから好きなことを考えては気を紛らわす。

          まだ、大丈夫。

          ありのまま

          きっと私はこれからも生きるのが下手くそで、ひとりぼっちだから、それが分かっているから、もう誰に何を思われてもどうでも良くて、私の事を知って嫌うならそれで良くて、悲しいけどそれで良くて、ただもう嘘をつきたくないそれだけなんだ。いつだって本当のことを話したくて、自分の感じたことを自分でも受け入れたいんだ。 私が誰に何を思われてもどうでもいいっていうのは、強さではなくて、諦めの気持ちが正しい気がする。いろんなことがあって、やっぱり誰かと生きていくのも、誰かを信じ抜くのも私には難し

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          推し活DAY ~INFJの2人~

          先日行きたいところがあり、数日前に日帰りで東京に行くことを決意。 行きたいところとは、推しがYouTubeで少し触れていた神社だ。お守りをお財布入れている、私の推しは、「よくない縁は切れた気がする」と言っていた。そのYouTubeをみてから、その言葉を聞いてから、ずっと気になっていた。なんとなく、今の自分に必要な気がした。 どうせ東京に行くならば、推し活がしたいと思い、Instagramでカフェを探していたところ、とっても可愛くて映えそうなカフェを発見した。 このカフェ

          推し活DAY ~INFJの2人~

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          緑の場所で、

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          すきな本のすきな言葉

          すきな本のすきな言葉

          好きの種類や大きさは人それぞれなのはわかるんだけど、誰かに好きを向ける時はその人が1番のとき以外あり得なくて、自分の中の好きを誰かに向けることでの責任もあると思っているから、自分が好きを向けている人に他人が中途半端な好きを向けていると勝手に苦しくなる。心が狭すぎるからかな、

          好きの種類や大きさは人それぞれなのはわかるんだけど、誰かに好きを向ける時はその人が1番のとき以外あり得なくて、自分の中の好きを誰かに向けることでの責任もあると思っているから、自分が好きを向けている人に他人が中途半端な好きを向けていると勝手に苦しくなる。心が狭すぎるからかな、