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言葉の器

 I am interested in the game.という英文構造にふと疑問を感じる。“興味を持つ”というのは行為であるのに、なぜ過去分詞を使った受動態なのだろう。勉学の基本は大概あるがまま受け入れるところから入るが、そこにメスを入れる。つまるところ、本質に目を向けてみる。それが本来の勉強だと考えている。さて、この疑問について英語の先生がどう捉えているのか伺ってみた。親切に対応してくださり、たくさんご教授いただいた。ありがとうございます。
 英語圏の人の感覚では、感情動詞は周りの物事によって自分が動かされたという外部に責任の所在があるというのだ。感情は自発的であり、心から湧き上がってくるという日本人の感覚とは真逆の位置にある気がする。どうしても日本人目線で言葉を捉えてしまうのだが、言葉一つとってもこれだけ差異があるのは興味深い。着眼点を増やすことも、まなざしの固定化を崩すことに繋がる。
 また、中島岳志氏の著書『思いがけず利他』によると、インドのヒンディー語には与格構文があり、前述の発想と似ている。「日本語を話せる」は「日本語が私にやってきて留まっている」という表現になる。どんな事物においても、自力というより、他力という人間観なのであろう。
 そして、この本に「私が言葉を所有しているのではない。言葉は私の能力ではない。私は“言葉の器”である。言葉は私に宿り、また次の世代に宿る。」という一節がある。何とも素敵な表現に出合い、胸を躍らせた。染色家で人間国宝の志村ふくみ氏は「色が宿る」、料理家の土井善晴氏は「美味しさが宿る」、民藝運動の父である柳宗悦氏は「美が宿る」などと語る。数々の職人はその物事に没頭することで、自分の計らいや意思が消え失せ、そこに自然と美しさが“やってくる”というわけである。確かに、欲望的に何かを追い求めていると、美しさはするりと逃げていく。だからこそ、目の前にあることに没頭することによって、自ずと美しさが現れるように感じる。
 私は職人でも何でもない凡人だが、私は言葉を語っているというよりも、五感や直感で捉えたことを、私という媒体を通して自ずと伝えている(発している)感じを受ける。1年前の<読書てらこや>という読書会で、五感を含めて、このような感覚を意識的に持ち始めた。感性であるがゆえに言葉で表現しにくいが、授業などではどんな流れ(空気感)であるか触覚的にエネルギーを漠然ながら感知している。これはまさに“与格性”ではないかと、この本を読んで認識したのである。
 「おはよう」という挨拶一つで、朝から人を明るくすることも、不快な思いをさせることも容易にできる。同じコトバでありながら、コトバが宿る人がどう発するかで、他者を光で照らし、励ますことも可能になる。自分本位で無神経な言葉を発してしまう歪な器ではなく、自分自身を磨き続け、受け手に灯をつけられるような“言葉の器”でありたい。
 
 つまずいたり転んだりするようなら そっと手を差し伸べるよ(Mr.Children『HERO』より)


🎵 人生相談&哲学対話ほのぼのカフェ 🎵
 
【Q14】殆ど努力をせずに天才と呼ばれる人はいますか。
【A】いないと思いますね。アインシュタイン然り、偉大なる科学者は失敗の連続です。最初から凄い発見をして成功したわけではありません。有名なプロスポーツ選手も同様です。勿論、得手不得手がありますから、一で理解できる人と、十でも理解できない人はいるでしょう。でも、どちらにせよ、傍から見れば努力はしています。ただ当事者が努力を認識しているかは不明です。初めて自転車に乗ろうとしたとき、努力しているというよりも、乗れるようになりたいと素直に思っているだけですよね。
 
【Q15】子どもの成長は、親の影響が一番大きいと思いますか。
【A】幼稚園などに通うまでの3年間は大半、親と共に過ごす時間が多いですから一番影響力はありますよね。一人で動ける範囲には限界があり、外の世界のことをあまり知ることができないから、身近にいる親を見て、たくさん真似て(学んで)います。勿論、就学してからは周りの人の影響も多かれ少なかれあるでしょう。だから、たくさんの人と出会えるといいですね。
 
【Q16】最初から先生になりたいと思っていましたか。
【A】正直、教師以外の道を考えたことが殆どないです。どんな大学があるかを調べているときには、すでにその道を突き進むことだけしか脳裡にありませんでした。不思議ですが、使命でしょうか。色々迷ってからやっているときって、意外とうまくいかないことが多いです。悩むことは大事ですが、迷い過ぎずに、まずやってみることです。動き出してから考えた方がうまくいく気がします。
 
【Q17】どうしたら数学ができるようになりますか。
【A】あなたはピアノが弾けますか。私は弾けません。楽譜も読めません。では、どうしたらピアノが弾けるようになりますかと質問したとします。どう答えますか。練習あるのみですよね。全く同じだと思っています。偉大なる数学者のようになることは難しくても、できる=入試レベルの問題を解くと解釈するなら、日常的な反復練習で何とかできるようになります。勿論、楽譜が読めないような私がピアノを弾けるようになるには、時間はかかるでしょう。でも、やらないとできるようにはなりません。
 ただし、コツがあります。おこがましいですが、まずは私の授業を愉しむことです。たとえば、好きなことというのは、自ら進んで取り組みますよね。皆さんは何かきっかけがあり、苦手だなという思い込みに至り、取り組む時間が明らかに短くなっているだけです。だから、愉しめるきっかけさえあれば、取り組むようになるし、ある程度できるようになります。それを望み、きっかけを作りたいですね。
 
【Q18】文化祭と検定、どちらを優先すべきですか。
【A】どういう状況であるのか分からないので答えにくいですが、高校生として青春的に経験できる文化祭は3回しかありません。しかし、検定は何歳になっても受けることができます。ただ、自分の進路実現のためにどうしても必要なのだと言われれば、検定を優先するのも仕方がないことです。その分、是が非でも受からないとダメですね。やはり竜胆祭は思い出深いものです。大いに楽しんでください。人生は一度きりですから。

2022.5.16

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