注意喚起の標識
指揮者パートとして難しい、と思っているのの1つがベートーヴェンop125第4楽章191小節目。うっかりするとここを流してしまうからだ。
歓喜の主題の提示とその昂揚。その4つの小節を分母にした6拍子の3回転。この長い螺旋階段を、いかに盛り上げていくかも難しいことだ。以前書いたように、ここは演奏側の共感的な積極性が求められる。単純に鳴らしていくだけなら誰にだってできる。
ベートーヴェンの整然とした後期の楽譜の罠に嵌ると、単純平板な演奏に終わる。
164小節目は、その皆で登って来た螺旋階段の頂上である。だからこそ、そのきっかけとなる163小節目は踏み込み甲斐のある場所でもある。あるいは起点が正しかったのかを問われる答え合わせのような場所だ。
音合わせのための目安の指揮なのか、効果的なトスをあげることが出来る指揮パートなのかだ。その自覚の違いは大きい
さて、主題を高らかに謳歌し終わると、187小節目からさらなる高みに向かって走り出す。
だが、ここから202小節目までの追加的な登り坂の構造を見落としてしまいがちだなのだ。調子に乗って歌っていると、音楽の昂揚とスピード感に置いてきぼりになる。アクセルを踏むべき場所に気がつかない。191小節目は、そのアクセルを踏む、大事なターニングポイントなのだ。
192小節目のアウフタクトにはsemple fがある。ここから低音群が半音上昇な開始する。ここでその上昇気流を掴むためには191小節目自体からアクセルを踏み込む必要がある。
ここまでは歓喜の主題の根底にあった4つの小節という基盤に乗って来た。だが、ここから上昇気流に乗るためにギアチェンジする必要がある。191小節目からは分母は小節2つになる。そして、この上昇気流は、2つの小節を分母とする6拍子でできている。
もちろん、この先にはあるはずの頂点はない。203小節目に至って梯子が外された格好になるのだが。だが、そのエアポケットを知らずに駆け上がる。その方がこのオチが冴える。201あたりで減速するのは、なんだか良い子ぽくてシラケる。
そのためにも6拍子という筋道が必要だ。そして、そのギアチェンジのためのアクセルを踏むタイミングが、191小節目自体なのだ。
このタイミングを把握しないと、ずっと4つの小節の分母のまま、続いてしまう。実際、それでも割り切れるから、気が付きにくい。だが、その単純な安定さが、音楽をつまらなくする。
視覚的に整然とした楽譜の罠がここにある。semple f はその罠に落ちないようにわざわざ追記してくれている注意喚起の標識のようにさえ思える。指揮パートはそのsemple f の前に、つまり、その191小節目に入る段階で、低音群にトスを上げなければならないのだ。191小節目に振り方を切り替えなければ、低音群の奮闘を期待できないし、上層パートをその勢いに乗せることもできないのだ。