繰り返しは差別化の意識を伴うべき
ベートーヴェンop125の第3楽章の終盤で2度のファンファーレの咆哮がある。
付点四分音符の4拍子や、ましてや8分音符の三角3拍子4つ数えているようでは、この2つファンファーレの間にある立体、呼吸は掴めない。その道のりが全く分からない。まさに単なる音並べてでしかなくなる。上部の音響とイメージでしか作品を捉えられないと,こういうインターバルの全容は全く掴めない。さらに言えば、なぜ2度目があり、その両者の差別化は図れない。
1度目のファンファーレの最後の解放の瞬間から小節の4拍