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独断 M.accessの月例コラム

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2021年9月の記事一覧

独断2021.8

独断2021.8

国語の先生だからではなく、論理的に思考するためには、どうしても言葉の定義というものを明確にしなければならない。「論理」には「同一律」という原則があり、簡単に言えば「一つの言葉はいつでも誰でもどこでも同じ意味で使われなくてはならない」ということ。それはそれであって、どの他のものでもない。これを徹底しないと論理的ではないからだ。よく間違われている言葉について、今一度明確にしておきたい。

【科学】:思

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独断2021.7(2021.6より続き)

独断2021.7(2021.6より続き)

 [承前] 「鬼」つまり「自分の気持ちが理解されていない」という深層意識の不満は成長の過程で生成されるから、他人との関係ではなく、親との人間関係の中で子の心に形成されるものである。

 子供は100%親に依存しなければ生きられない。その親に対して「自分の気持ちが理解されていない」と感じると、それが深層意識に植え付けられる。そしてそれが繰り返されることによって、より不満が強化される。

 問題行動・

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独断2021.6

独断2021.6

 「鬼は人の心の中に棲んでいる」という。

 AさんとBさんが喧嘩になった時、Aさん曰く「私は××の部分に腹がたったのだ」。Bさん曰く「問題はそこじゃない。私は△△の部分に腹がたったのだ。」。喧嘩になった時、その論点は必ず噛み合わない。

 「腹がたった」と言えれば、まだ素直である。普通は「A:××の所でBが間違っている」「B:△△についてAがおかしい」と互いに主張する。互いに自分の論が正しいと言

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独断 2021年5月

独断 2021年5月

 毎朝の散歩で、鴨川の畔を歩いていた。花は満開、空は快晴、素晴らしい日和である。桜の側で少し佇んでいると、風も無いのに、一枚、二枚と花弁が散ってくる。はてと見上げると、小鳥が枝の上にいる。一口啄んでははらり、また啄んでははらりと、花弁で遊んでいるようだ。これはまた風流な。「梅に鶯」なら桜には何だろうと思いを馳せていると、妙な疑問に行き着いた。

 小鳥が花弁を千切って遊ぶのは「自然」で「風流」だ。

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独断 2021年4月

独断 2021年4月

 ハッシュタグ(#)をつけて「#マナー講師」とすると、これは嘲笑の対象である。SNSの発達と共に雨後の筍のように湧いて出た「自称マナー講師」たちが、いい加減なことを教えているからだ。両掌をお臍の上あたりに重ねて肘を左右に張って頭を下げるお辞儀が、最も有名なその例の一つである。そんなお辞儀の仕方は日本にはない。

 今は猫も杓子も誰でもマス(大衆)に向かって発信できるので、「自称××」は無数にいる。

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独断 2021年3月

独断 2021年3月

 「真」の反対は「偽」。「真」は「本当・本物」であり、「偽」は「嘘・偽物」である。

 「悪貨は良貨を駆逐する」と言うが如く、「嘘」や「偽物」が出回ると、それを止めることは非常に難しい。いつでもどこでも、その一つの社会を破壊するのは「偽」である。「偽」がまかり通るのが「末世」である。

 見え易いところで言えば、経済破綻。金に混ぜ物をしたり、金貨の代わりに紙切れを通用させると、その体制は終焉を迎え

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独断 2021年2月

独断 2021年2月

 若い頃はスキーに行った。体力だけはあったから、ひと冬に何度も行った。仕事が終わってそのまま夜通し車を運転して長野や新潟まで行き、そして一日滑り、またその夜、徹夜で運転して帰り、翌朝から仕事へ出た。0泊3日である。

 スキーを始めて何年か後、「私をスキーに連れて行って」で大ブームが起こった。一人乗りのリフトが二人乗りになり四人乗りになり、ゴンドラが敷設され。ゲレンデの様相は一変した。

 私が始

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独断 2021年1月

独断 2021年1月

 「国語は読書です」と私はいつもお話ししており、テレビはできるだけ避けた方が良いし、番組や時間の制限をしてくださいとお願いしている。子供にチャンネル権を与えるのは、せいぜい一日に1時間まで。ニュースなどは良いでしょう。私自身が(率先して)テレビを見ないから、最近のテレビ番組事情を良く知らないまま、右のようにお話ししていた。

 見ないと言っても、年に一・二回ぐらいは、どこかで見ることもある。時事を

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独断 2020.5

独断 2020.5

 先月、私は「みんな同一化しろ、異質は認めない」と書いた。図らずもそれは、現在のコロナ騒動のことも表していると、今気付いた。

 この騒動の初期に、私は「恐ろしいのはウイルスより『魔女狩り』だ」とどこかで書いた。「魔女狩り」とは、自分とは異質のものを排除しようとする、究極の蔑視・差別である。

 外を出歩いている「若者」が非常識だと責められる。同じく「老人」が責められる。ドラッグストアの店員が「ど

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独断 2020.4

独断 2020.4

 言葉が単純化されるということは、言葉を基礎として考えている人間の「思考」が単純化、退化していることに他ならない。

 「いきものがかり」も同じ。地域や学校によって、「飼育委員」「生物係」など言い方が異なっていたはずだ。それがいつのまにか生物担当は「いきものがかり」(しかもひらがな)になってしまった。どうして画一化するのか。

 「みんなちがってみんないい」などというのはただのスローガンであって、

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独断 2020.3

独断 2020.3

 私はずっと「画一化」ということが気になっている。ここで言う「画一化」とは「単純化」のことである。複雑に進歩した思想や哲学や文化が、どんどん単純になっていくこと、退化していくことに、非常な憂いを感じる。

 私の親 ー共に昭和一桁生まれー の時代には大学進学率が一割程度であったにも関わらず、例えば読解力なら今の大人たちよりずっとレベルが高い。私たちが読めないような文章をすらすらと読んで理解する。

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