![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/62115348/rectangle_large_type_2_3d479b5bb741de0bb55a50a8f03f8af5.jpeg?width=1200)
独断2021.6
「鬼は人の心の中に棲んでいる」という。
AさんとBさんが喧嘩になった時、Aさん曰く「私は××の部分に腹がたったのだ」。Bさん曰く「問題はそこじゃない。私は△△の部分に腹がたったのだ。」。喧嘩になった時、その論点は必ず噛み合わない。
「腹がたった」と言えれば、まだ素直である。普通は「A:××の所でBが間違っている」「B:△△についてAがおかしい」と互いに主張する。互いに自分の論が正しいと言い張るが、そんなことはあるまい。
論の主張だけなら、喧嘩にはならない。「事実はこうでしょう?」「いや違いますよ、事実はこうですよ」の話だけ。そこに感情が入るから喧嘩になるのだ。「事実」の確認ではなく「腹がたっている」の主張だ。さらに、なぜ腹がたちそれを主張するかというと、そこに「自分の気持ちを理解して欲しい」という根源的な強い欲求があるからだ、と私は見る。
「気持ちを理解して欲しい」の裏にあるのは「気持ちが理解されていない」という不満である。常日頃から「自分の感情は十分他人に理解されている」と感じていれば、一時の小さなことに対して不満を持たない。常に「理解されていない」という気持ちが深層意識の中にあるのだ。
これが「鬼」である。心理学で言う「アダルトチルドレン」とまで行かなくても、全て理解されていると感じている人などおらず、成長の過程で生じた不満を、大なり小なり、皆、心の中に抱えている。そして無意識にそれを対人関係にぶつける。
大人と大人ならぶつけ合いで済むかもしれないが、さて、親と子なら、子は親の「鬼」を全て受け取るしか生きる術がない。[続く]