独断 2021年2月
若い頃はスキーに行った。体力だけはあったから、ひと冬に何度も行った。仕事が終わってそのまま夜通し車を運転して長野や新潟まで行き、そして一日滑り、またその夜、徹夜で運転して帰り、翌朝から仕事へ出た。0泊3日である。
スキーを始めて何年か後、「私をスキーに連れて行って」で大ブームが起こった。一人乗りのリフトが二人乗りになり四人乗りになり、ゴンドラが敷設され。ゲレンデの様相は一変した。
私が始める何十年も前からスキーはスポーツとして存在したし、その後もずっと存在すると思っていた。しかし、あれよあれよという間にスキーはスノーボードに取って代わられて、ゲレンデではスキーは邪魔者扱いされるようになっていった。
そして今、若者はそもそもウインタースポーツをしないらしい。さらにゲレンデに出かける重要な足の一つだった車を、持っていないらしい。
運転免許証そのものを持たないらしい。私の時代なら、特に男なら18歳になればほぼ必ず普通免許は取得したものだ。二輪の免許を持っているものも3割ぐらいはいる。四輪より二輪は、さらにレースの要素が強い。どちらが速いかというのは、男のステータスでもあった。確かにオートマチックになって詰まらなくなり、電気自動車化してさらに詰まらなくなった。大人の遊び道具がコモディティー化したのだ。
前にも書いたが、存在とは変化なのだ。生きるためには変化しなければならないが、それが良いかどうかは、別問題。生きることが無条件の善ならば、いかなる変化も、それが生きることと等しいなら善としなくてはならない、のかな。
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