【2024読了.No49】上野千鶴子著『女の子はどう生きるか-教えて、上野先生!-』(岩波ジュニア新書)読了。
先ずこの本を読み始めてすぐに思い起こしたのは、かの鉄血宰相として知られたビスマルクの言葉である。曰く。「知者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」である。
もう少し詳しく説明すると、賢い人は歴史、すなわち先人たちの経験から学ぶのに対し、愚かな者は自分の狭い体験からしか学ばない、ということである。
先に読んだ【読了 No.48】は、著者の限られた経験だけで貫いた本だが、さすが上野千鶴子先生の著者(この【読了 No.49】)は違う。歴史から学び、学んだ内容を整理し、それをエビデンスにして主張する。
だから、主張は重くなる。
主張の重さだけではない。歴史から学ぶと、人間なんて本質はほとんど変わらないもだから、過去にも似たようなことが起きておきている。そのとき、先人たちがどのように考え対処したかの記録から学ぶことができる。
だから、歴史から学ぶと、よりよい判断をすることができる。いわゆる「温故知新」だよね。
人間なんて本質はほとんど変わらないもの、だから、人間のつくる「制度」とやらも、本質はほとんど変わらない。
そう思うと、著者の以下の言葉が重みを増す。
「ひとつの制度の裏には、タネもシカケもあります。その制度でいったい誰がほんとうにトクをするのか、考えてみるクセをつけましょう。」
たとえば、扶養控除のこと。
「既婚女性をパートに固定して扶養控除の範囲にとどめることでトクをしているのは、」誰だろうか?
「その女性の夫」だけではない。パートということで賃金を安く押さえられると雇い主も、この制度の共謀かもしれないわけである。
「制度」や「政策」なんてのは人工のもの。必ず作った側の狙いがひそかに組み込まれていたりする。そういうのを「見破る目」は、歴史を学んで初めて身に付くのではないだろうか?。
「見破る目」を持つだけでは不十分である。
「これってヘン、と思ったら、ヘン、と口に出し」、そして仲間を集めてヘンなことを改めるアクションを起こさなければ変わらない。
今では当たり前になった家庭科の男女共修になったのは、中学で1993年から。それ以前は「技術・家庭」と呼ばれ、機械工作や木工等を学ぶ「技術」は男子、被服や調理を学ぶ「家庭科」は女子と分かれており、それを男女の「特性教育」と呼んでいたそうだ。
この制度も、1980年代になって家庭科の女性教師たちが「これってヘン」と声を出しアクションを起こしたから改められたのである。
カラクリに「ヘン」と「見破る目」と、それを「ヘン」と声を出す勇気、そして変えるための行動力。行動力を強化するための団結力。
それさえあれば、ヘンな世の中は変えられる。
日本史の講師の私ができることは、若い人の「ヘン」と「見破る目」を育てることだけ。でも、その「できること」だけは、誠実に勤しんでいきたいと思った。