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オリエント・中東史

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中東史の連載記事です
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記事一覧

オリエント・中東史㊾ ~イラン核合意~

2002年、米国のブッシュ大統領は、核開発を進めようとしていたイランを名指しで「悪の枢軸」と…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊿<最終回> ~中東の現在~

2020年8月、イスラエルとUAE(アラブ首長国連邦)の国交樹立という衝撃的なニュースが中東を揺…

水埜正彦
4か月前
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オリエント・中東史㊽ ~IS(イスラム国)の興亡~

シリア内戦の中で台頭したIS(イスラム国)は、もともとはアルカイーダの流れを汲むイスラム教…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊼ ~アラブの春とシリア内戦~

2011年、チュニジアの首都チュニスで、腐敗した警察に対して一人の若者が抗議の焼身自殺を行っ…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊻ ~アフガニスタン問題~

アフガニスタンでは1991年のソ連崩壊の影響を受け、その翌年には共産政権が倒れてゲリラ勢力に…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊺ ~イラク戦争~

湾岸戦争から10年を経た2001年9月、衝撃的なニュースが流れた。米国同時多発テロである。4機の…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊹ ~オスロ合意~

1980年代後半、イスラエル占領下のガザ地区で当局からの人権抑圧に対し、パレスチナ住民による自然発生的な暴動(インティファーダ)が起こった。重装備のイスラエル軍や銃器を持つイスラエル警察に対して投石などで必死の抵抗を続ける住民たちの姿は国際世論を動かし、パレスチナ人の人権保護と自治実現を求める声が強くなった。PLO代表のアラファト議長は、これを機に従来の武装闘争路線からイスラエルとパレスチナの二国家共存路線へと方針を転換し、まずは自治政府の樹立を目指すことにした。イスラエル側

オリエント・中東史㊸ ~湾岸戦争~

1989年11月、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊した。それは第二次世界大戦終結から40…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊷ ~アフガニスタン内戦~

イランで革命が起こった1979年、アフガニスタンでも大きな動きがあった。親ソ派社会主義政権を…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊶ ~イラン革命とイラン・イラク戦争~

1970年代のイランでは、米国石油資本と結んだパフレヴィー国王が開発独裁路線の政治体制をとり…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊵ ~第四次中東戦争と石油危機~

1970年にエジプトのナセル大統領が急死し、後継となったサダト大統領は、イスラエルに奪われた…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊴ ~第三次中東戦争~

1967年6月、エジプトによるアカバ湾封鎖への対抗措置として、イスラエル軍がエジプトに侵攻。…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊲ ~エジプト革命とスエズ戦争~

第一次中東戦争の敗北とイスラエルの領土拡張は、アラブ諸国に大きな衝撃をもたらした。エジプ…

水埜正彦
5か月前
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オリエント・中東史㊳ ~イランのクーデター~

エジプトが革命とスエズ戦争で激動の時代を迎えていた1950年代、イランでも大きな動きがあった。イランの油田の権利を独占していたイギリスの国際石油資本アングロ・イラニアン石油会社(AIOC)に対し、1951年にモサデグ首相が石油国有化を断行。植民地会社の追放と自国資源の自国受益を実現したのである。イギリスは対抗措置として、イラン原油の国際市場からの締め出しを図った。この時、日本の出光興産の出光佐三社長は、苦境に陥ったイラン国営石油会社と直接交渉してイランからの原油の輸入を敢行。