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オリエント・中東史㊿<最終回> ~中東の現在~

2020年8月、イスラエルとUAE(アラブ首長国連邦)の国交樹立という衝撃的なニュースが中東を揺るがした。数次にわたる中東戦争を経て、オセロ合意後も衝突を繰り返し、未だ出口の見えないパレスチナ紛争の経緯を鑑みると、アラブ諸国がイスラエルを正式に国家として認めるのは困難だというのが、これまでの定説であったからだ。事実、中東地域でイスラエルを国家として正式承認しているのは南隣のエジプトと東隣のヨルダンのみであり、かつてイスラエルとの和平に尽力したサダト元大統領は自国内の反対派から暗殺されるという憂き目に遭った。そんな背景がありながら、イスラエルと直接国境を接しているわけでもないペルシア湾岸産油国のUAEがイスラエルとの国交樹立に踏み切ったという事実は、中東情勢が大きく変化しつつあるという兆候を示していると言える。

UAEはドバイとアブダビを中核とした7つの首長国の連邦である。ペルシア湾岸には、他にもバーレーン・カタール・オマーンといった小国があるが、いずれもオイルマネーで潤う産油国である。そしてペルシア湾を隔てた対岸にはイランがある。UAEとイランは産油国として経済的なライバル関係にあるが、アラブとペルシア、スンナ派とシーア派という、民族的・宗教的な対立項をも持っている。加えて昨今、アラブの春の影響で政情不安定に陥ったイエメンで北部独立勢力のフーシ派をイランが支援し、レバノンでもシーア派過激派組織ヒズボラの背後にイランの影が見え隠れする。こうしたことから湾岸アラブ諸国がイランの脅威の増大を感じ取り、「敵の敵は味方」とばかりに、イランと敵対関係にあるイスラエルとの連携を模索しようとしているのだろう。UAEとイスラエルの間に横たわるアラビア半島最大のイスラム教国家サウジアラビアが沈黙を守っているのも、そうした流れを見極めながら今後の戦略を練り直しているからなのだと考えられる。

国家間の和平が進むのは悪くないが、パレスチナにはイスラエル軍の圧迫に苦しむ何百万もの人々が苦しい生活を余儀なくされている。2000年代に続発したインティファーダ(投石などによる抵抗運動)は、そうしたパレスチナ人たちの絶望的な抵抗のあらわれであり、エルサレム賞のスピーチで村上春樹氏はそれを「壁に向かって体当たりをして割れる卵」に喩え、イスラエル軍の武力による抑圧を批判した。さらに周辺国には何世代にもわたる500万人以上ものパレスチナ難民が故郷に帰れず、難民キャンプや粗末な住居で暮らしているという現状もある。こうした人々の生活や人権の問題を置き去りにしたまま、国家間だけの関係改善を進めるのは将来に禍根を残すことになろう。

2023年10月、さらに衝撃的なニュースが世界を揺るがした。パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスがイスラエル領内に数千発のロケット弾を撃ち込み、多くの民間人を人質に取ったのである。それに対してイスラエル軍は大規模な報復軍事行動を展開。ガザ地区を閉鎖し、ライフラインを止めて住民たちを追い込み、学校や病院などを含む施設への無差別爆撃を行い、何万人もの民間人犠牲者を出した。これは報復行為としては明らかに度を越えており、ジェノサイド(大量虐殺)として非難されるべきものである。

多くの識者が指摘しているように、イスラエルとパレスチナの間には「圧倒的な非対称」の構図がある。軍事費だけをみてもイスラエルはハマスやヒズボラなどのイスラム組織の200倍以上の規模の軍備を持っており、加えて世界最大の軍備を持つ米国がイスラエルに肩入れしているため、まともにぶつかっても勝ち目はない。ウクライナ侵攻ではロシアに対する抗議や非難の声を即座に上げた欧米を中心とする国際社会も、今回のパレスチナ侵攻に対するイスラエルへの抗議や非難には及び腰だった。そこにはイスラエルという国家が成立するに至った歴史的経緯における欧米社会の贖罪意識や、イスラエルを支持する財閥や政治団体への忖度があるのかもしれないが、いずれもパレスチナで殺されていく一般市民にとっては何の責任もない話であって、現代史の矛盾を一方的に押し付けられているにすぎない。

2024年5月現在、イスラエルのガザ地区侵攻に伴うパレスチナ側の死者数は35,000人を超え、そのうちの72%は女性や子供だという。一方、イスラエル側の死者数は1,400人と、25倍もの開きがある。ハマスによるイスラエルへの人質作戦への批判は当然なされるべきだが、こうした何十年にもわたる「圧倒的な非対称」の拡大再生産による抑圧への絶望が、多くのテロ行為の背景にあることを見逃してはならないだろう。この抑圧構造自体にメスを入れなければ、事態は更に悪化するばかりだ。

中東地域の他の国々の情勢も依然として不安定だ。トルコでは日に日に独裁色を強めるエルドアン政権のもと、かつての非宗教路線からイスラム色を鮮明にした政治路線への回帰が見られる。博物館となっていたイスタンブールの世界遺産アヤ・ソフィアのモスク化は、その顕著な一例であろう。トルコ北部では隣国シリアからの難民の流入に加えて、独立自治を目指すクルド人勢力との戦闘がやまない。シリアでもIS掃討に尽力したクルド人勢力が存在感を増し、政府軍との対立が激化しつつある。大戦で残された負の遺産は、未だにパレスチナやクルドをはじめ中東全土を苛んでいるのである。

アラブの春で一度は民主化に向かったエジプトは、経済政策や宗教政策の失政によってクーデターを招き、軍事政権へと逆戻りした。強力な独裁者を失ったリビアでは未だにトルコやカタールが支援する暫定政権とロシアやエジプトが支援する国民軍の間での内戦が続いているし、イエメンの内戦も終わりが見えない。水資源の争奪問題も深刻だ。原油生産において世界最大のシェアを持つ中東の不安定な情勢は、恒常的に生み出される難民の受け入れ問題も含めて、現代の世界全体に深刻な影響をもたらしている。

世界最古のメソポタミア文明発祥以来、6000年に及ぶ豊かな歴史を持つ中東は、まさにその歴史の複雑さゆえに迷宮に陥っているような印象を受ける。地理的には遠くとも、石油資源をはじめとする経済的関係や、古代から綿々と続いてきた文化的影響においても、日本と中東の間には深い縁がある。中東史を学ぶことは、現在の世界情勢を理解し、日本の立ち位置を確かめる上でも、大きな意義のあることだと思うのである。

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