
映画『最強のふたり-Intouchables-』を観た話。
そういえば、うちの大学にも車椅子の生徒がいた。
それまでは障害者の生徒をあまり見かけなかったせいか、学校の中のバリアフリー推進度もまずまずといった感じだった。が、その生徒が来てからというものの、学校へ向かうスクールバスは低床型の車両にどんどん切り替わり、校舎には急ごしらえのスロープができたり、とにかく急に変化していった。その変わり方の速さに、私は面食らってしまった。
東京オリンピックが終わり、次はパラリンピックだー!という威勢のいい声が聞こえてきたりこなかったりする今日この頃。久しぶりに映画レビューのリクエストが届いた。
映画「最強のふたり」。
2011年にフランスで公開された映画。実話を元にしたコメディとヒューマンドラマの融合作で、フランスでは歴代3位の興行成績を収めた超大ヒット作。のちにハリウッドを始め世界各国でリメイクがなされた、珠玉の名作とのこと。・・・すいません、リクエストいただくまで全く存じ上げませんでした。
舞台はフランス・パリ。
大富豪のフィリップは、不慮の事故で頸椎を損傷し首から下が動かない身。そのフィリップの介助役を探す面接の最中、黒人のドリスがフィリップの邸宅にやってくる。彼は本気で介助役になりたかったわけではなく、わざと不合格になり失業保険を延長させようと企んでいた。気難しく、突拍子もないことをするフィリップはドリスの姿を見て、なぜか自分の介助役にドリスを選んでしまう。ドリスには当然介護の経験もなく、仕事も生き方も雑。しかし、そんな雑なドリスにフィリップは、「自分を障害者としてではなく対等な人間として扱ってくれる」と感じ、信頼を深めていく。
要するに「普通に生きていれば交わることのない」2人が交わってしまったわけだ。まさに王道パターンの友情もの。だが、片方は健常者、片方は障害者。彼らは生活ぶりもメンタルも考え方も周囲を取り巻く環境も何もかも違うのだ。水と油である。
しかし、その2人が実に心地よく調和しあっていく。
作中にこんなストーリーが描かれている。
フィリップはある女性と長い期間文通をしていた。ドリスは、文通なんていうまどろっこしい手段で繋がろうとせず、とっとと会ってしまえ!と言い出し、急に文通相手に電話をかけてしまう。フィリップもその行為を止めてはいたが、「会いたい」なにより「恋をしたい」という気持ちを抑えることはできず、電話口で彼女との交流を始める。
「できない理由」を探すのは簡単。でも、「できる理由」を見つけることだって可能なはずだ。フィリップだって「体の動かないこんな姿の自分が恋などできまい」と、ずっと考えていた。対してドリスは「なぜやらないのか」という疑問のマインドを持ち、遠回りや楽な道を選ばす即座に行動へ移せる。起こる出来事に対する反射神経が違うのだ。
身体が動かないからなんだ、というような心持ちでフィリップに接していくドリス。広げて解釈すれば、「学がないからなんだ」「金がないからなんだ」。だからどうだってんだスピリッツを私たちに与えてくれる存在だなぁと感じる。
最近、私の周囲の人間が、モデルを目指し始めたり、女優を目指し始めたり、漫画家を目指し始めたり、とにかく盛んに行動に移している。その姿に私も正直かなり影響を受けているところがある。しかし、それぞれに不自由さに囚われていることを私は彼らから感じ取っている。モデルを目指している子も病気に悩まされていたり、漫画家を目指している子も描きたい作品と描いてほしい作品の間で悩んでいたりする。
予告編にもあるが、フィリップとドリスは物語の後半、ある出来事を越えたのちにパラグライダーで空へと飛び立つ。体が動かずとも、空だって飛べる。「どうしてもできないこと」という制約がある中でも、できることを見つけ出し、やりたいことを実現させ、飛び出していく2人。
我々に必要なのは、
不自由に甘んじることではなく、
不自由のなかで手に出来る自由を目指すことだと思う。
そのことを、この作品から私は感じ取った。
そう、例えば、仕事をしながら
noteでクリエイターを目指していく、みたいな?
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というわけで、今回は映画「最強のふたり」のレビューでした。
引き続き、読者の皆様から映画レビューのリクエストを受け付けております。この作品をレビューしてほしいというリクエストがありましたら、下のURLから「募集のお知らせ」に飛んでいただき、コメント欄の方に投稿をお願いいたします。瑞野が責任を持って、レビューさせていただきます。
おしまい。