ヨルシカの『負け犬にアンコールはいらない』について考えたこと
ヨルシカのアルバム『負け犬にアンコールはいらない』楽曲の、主に歌詞について考察しました。
前世
『前世』(曲)の文章で人が犬に生まれ変わったようなのは、
満月を見て狼に変身する狼男を連想しました。
エイミーが、エルマの詩に月明かりを見て音楽を再び始めること(だぼやめの手紙8/31より)に対応してるのかなと。
エイミーが音楽を再び始める=アンコール という。
ヨルシカ=夜進化、月夜に変身する事でもある気がしました。
夜に狼の意識が目覚め、人としての意識が眠るから「夜しかもう眠れずに」なのかもと思います。
狂気のルナは月のことで、アルバムトレーラーでは負け犬にアンコールはいらない(曲)の時に満月が映ります。
犬の王と書いて「狂」という漢字になります。
準透明少年で「狂いそう」だったから、前世で人だった犬になるのかなと。
負け犬にアンコールはいらないの「負け続けても笑った君が白痴みたい」も、君が狂った、負けて犬になったとも思えますし。
狂い咲きの桜→木が狂う→気が狂う
ヨルシカの「前世」は、気の狂った人間が見た幻覚なのかもと思いました。
準透明少年で「何の色も形も見えない 狂いそう」になった人がスピリチュアルにはまって見た幻、という。
前世がどうとか言い出すのは現代日本では正気の沙汰じゃないでしょうし。
負け犬にアンコールはいらないの「負け続けても笑った君が白痴みたい」と、
月に吠える「皆おれをかわいそうな病人と、そう思っている」が似てます。
月に吠えるの説明の中に「月に吠える犬」とあって、犬繋がりですし。
春泥棒MVにも犬が出てきます。
負け犬にアンコールはいらない
犬の鳴き声のワンをoneつまり1とすると、
「もう一回」という歌詞が多いことに繋がります。
「5!4!3!2!HOWL!」も、鳴き声を1としていますし。
「アンコールはいらない」と、ワンコールしているのかもしれません。
「もう一回、もうこんな人生なんかは捨てたい」とあるので、
負け犬(曲)の「もう一回」の「回」は、輪廻転生すること、廻ることに掛けてると思います。
「もう一回」は、もういっか、に掛けてるのかなと。
アンコールはいらない=もういっか という。
かくれんぼの言葉(もういいかい)にも似ています。
「バス停で君を待っていたいんだ」は、かくれんぼみたいだなと。
アンコール=かくれんぼ(君を探すこと)の再開
とすると、
もう君と離れたくない(かくれんぼをしたくない)から「アンコールはいらない」のかなと思いました。
負け犬→負の犬→負のワン→-1(=i^2)→藍二乗 と取れます。
『負け犬にアンコールはいらない』の英題はUnderdogなので、下の犬、
「君が引かれてる0の下」のi^2(藍二乗)かなと。
「自らを負け犬と標榜する詩」をエイミーは遺した(エルマの日記より)ので、繋がっていそうです。
負け犬(曲)と藍二乗は、両方ともアルバムの2曲目ですし。
iの累乗が複素数平面の単位円上を回ることを、輪廻転生に例えてる気がします。
虚数のi=一人称のI とすると、
I(私)が単位円を回ってるように見えますし。
生まれ変わり=アンコール と、
人生を音楽に喩えてるのがエイミーっぽいと思います。
エイミー(曲)の
「もういいよ さぁもういいかい、この歌で最後だから」のもういいかいは、
負け犬(曲)の「もう一回」という歌詞を踏まえてる気がしました。
エイミー(曲)の最初の歌詞で数が増えていく(口に出してもう一回 ギターを鳴らして二拍 ~)のは、
負け犬(曲)の数が減っていく歌詞「5!4!3!2!HOWL!」に対応させたのかなと。
エルマの日記帳では、
エルマがエイミーの「自らを負け犬と標榜する詩」を見つけた次のページに、エイミー(曲)の歌詞が書かれています。
日付から、エイミー(曲)は「負け犬の詩」発見より時系列が後です。
エイミー(曲)は、エイミーとエルマのかくれんぼ(もういいよもういいかい)に終わりを告げる歌なのかなと。
(エルマの日記帳で、エイミー(曲)の歌詞だけは、エイミーの筆跡を模倣していませんし。)
アンコールのいらない、最後の歌としてエイミー(曲)が書かれたように感じます。
負け犬にアンコールはいらないは、
負け犬にアンコール入らない
つまり負け犬だからアンコールを貰えない、という意味にも取れます。
負け犬=敗者=歯医者
とすると、歯医者にもう行きたくない(アンコールはいらない)のかなと。
ヨルシカ=寄る歯科 と取れます。
何度も虫歯になってしまい、行きたくないけど歯科に寄るのかなと。
君の想い出は甘く、噛み締めてると虫歯になってしまうのかもしれません。
犬になったからアンコールという概念を理解できない、とも取れます。
犬は本来、アンコールがなくとも勝手に吠える(歌う)でしょう。
アンコールなどの人間のルールはいらない=社会のしがらみを捨てる
と思うと『ブレーメン』を連想します。
ブレーメンMVのラストで、人が犬のような動物になりましたし。
爆弾魔
加賀千代女の「散れば咲き散れば咲きして百日紅」が引用されています。
『負け犬にアンコールはいらない』トレーラー最初と最後の満月は、
加賀千代女の辞世の句「月も見て我はこの世をかしく哉」を意識してる気がしました。
だから僕は音楽を辞めた(曲)の英題Moonlightも「月も見て我はこの世をかしく哉」を踏まえてるのかなと。エイミー(曲)に百日紅出てきますし。
花火という単語は、爆発を花に見立てたものです。
爆弾魔の「散れば咲けよ百日紅」は
爆弾→花火→百日紅 という、花火を経由した連想なのかなと。
百日紅の花の見た目は、花火に似ています。
アルバムトレーラーでの『爆弾魔』も花火の映像です。
「この星を爆破したい 君を消せるだけでいい」の星を月とすると、
ただ君に晴れで「海月のような月が爆ぜ」ていて、
月の爆発を、晴れと呼んでるのかなと。
冬眠の昨日の花火=爆弾魔の爆破した月 と思えます。
5曲目の『落下』は月の欠片の落下で、
その隕石で地球が氷河期になったのかなと。
人類が滅び、次の生命の誕生を待っているから『冬眠』な気がしました。
爆弾の入った箱はリセットボタンで、輪廻転生のスイッチかなと。
夏のバス停は、生まれ変わりの度に戻ってくる場所、セーブ地点のように思いました。
バス停=ばすてい=バースデイ と取れます。
生まれ変わってバス停で再会する、その日がバースデイなのかなと。
「生まれ変わり」を繰り返しと思うと、音楽がフレーズを反復する事を連想します。
繰り返す人生は音楽みたいだなと。
エイミーは「人生が芸術を模倣する」と信じていましたし。
百日紅の樹皮は人肌に似ていて、人の生気を吸って育つという言い伝えがあります。
ヨルシカでの百日紅は、人間だった前世の思い出を糧に生まれ変わる、という意味もある気がしました。
ヒッチコック
前世と先生は、音と意味が似ています。
ぜんせ≒せんせい
前の世≒先の生
ヒッチコックの先生は、前世の自分なのかなと思いました。
「先生の夢」=先の生の夢=前の世の夢=前世の夢 と取れます。
前世DVD初回盤の表紙絵がヒックコックMVの生き物(先生?)に少し似てるのは、先生=前世 って事かなと。
「涙が人を強くするなんて全部詭弁でした」「人に笑われたら涙が出る」は、
だぼやめの手紙5/17「涙(花緑青)は弱さを正当化するための麻酔」「作品を笑われたならその場でそいつを殴り飛ばしてやれたら、それだけで良かった」に繋がる気がします。
ヒッチコックの「先生」やMVの穴の空いた部屋は『五月は花緑青の窓辺から』の「空いた教室」を連想しますし。
『詩書きとコーヒー』の「幸せの色は準透明 なら見えない方が良かった」を「幸せ」がぼんやり見えて「辛い」とすると、
ヒッチコックの「一つ線を抜けば辛さになる」に繋がるなと。
「幸せの価値は60000円」は、ヒッチコック「幸せの文字が¥を含む」に掛けてある気がします。
準透明は純な透明ではない、不純だと取れます。
「幸せの文字が¥を含む」から幸せは不純で、
「幸せの色は準透明」なのかなと。
『準透明少年』の「寂しさを埋めるように」歌う歌は、
『ヒッチコック』の「この穴の埋め方」を求める人生相談でもあると思いました。
¥(お金)に亠(なべぶた)を足すと、辛さになります。
「生きてるだけで痛い」(ヒッチコック)という穴や「寂しさを埋める」(準透明少年)為にお金(¥)で蓋(亠)をしても、幸せにはなれず辛いだけなのかなと。
落下
『落下』は、オチをつける事でもある気がします。
話にオチがついて綺麗に終わる=アンコールはいらない という。
あるいは、「寂しさを埋める」(準透明少年)ことや「この穴の埋め方」(ヒッチコック)を知ることができず、
自分自身の心の穴の中に落下していくのかなと。
夜鷹が落下する事や、夢に落ちていく事に掛けてあるのはもちろんですが。
月が地球から離れないのは、地球へと落下する力が働いてるからです。
月が回ること=輪廻転生 とすると『前世』(曲)に繋がります。
『落下』はその意味もあるのかなと。
月光DVDの「生まれ変わってでも僕は君に会いに行かないと駄目だ」
という重い思いが重力となり、
月を地球の傍に、エイミーをエルマの世界に留めている気がしました。
恋に落ちるという言葉があります。
月は地球と距離を保ち続けますが、落下し続けているとも取れて、
月と地球のような関係がエイミーとエルマだとしたら、
ずっと恋に落ち続けている、と思えます。
天国は永遠みたいな場所なので、
月と地球の距離がずっと変わらない事を、永遠のようなものだと思うと
「天国に一番近い場所」(月光DVD)は月なのかなと。
準透明少年
「この心ごと渡したいから」
→この心ごと渡したいカラー(色)
目が見えなくて想像でしかなかった「君の色」を、それでも夜(見えない日々)の向こう側に渡したかったのかなと思いました。
準透明少年は、前世の自分が透けて見えるぐらい透明なのかなと。今の僕は前世を映す鏡であると。
「体の何処かで誰かが叫んでる」≒前世が叫んでる
「花は咲いた後でさえも揺るがなくて今日が来る不安感も奪い取って行く」≒揺るがない前世が今を奪う
「長い夜の向こう側をこの僕の眼は映さない」
≒今の僕は盲目で朝の光(来世)を見れない で、
「心ごと渡したいから僕を全部、全部、全部透過して」
≒前世の心が今の体を通り抜け、代わりにその先(来世)を見てほしい とか。
前世の君のことが朧げで「君の色だとか形だとか」がわからないのを、「目が見えない」こと(盲目であること)に喩えてるのかなと。
「見えない君の歌だけ」は盲目でも「心が覚えているんだ」、「愛の歌」は目に見えないからこそ心が覚えていたとか。
前世も目に見えないなら「そんなものはないのと同じ」かもしれません。
「僕」は二人いると思いました。
1番の僕は透明人間
2番「凛として君の心象は〜」以降の僕は、目が見えない、色が強く付いた人(1番での君)
「目に見えぬ僕は〜」以降の僕は透明人間
君の目に見えない透明人間は、透過する(通り抜ける)ことで、君の中に映ろうとしたのかなと。
準透明少年MVでは、1回目の「僕を全部透過して」で少年が水の中へ落ちていきます。
透過=とうか=投下 って事かなと。
投下だとすると、前の曲『落下』との繋がりを感じます。
目に見えない透明なものは、箱の中の見えない何かだと取れます。
「何の色も形も見えない」凛とした君の心象は、「凛とした鈴の音」が鳴る箱の中身なのかなと思います。
準透明少年「凛として君の心象はいつの日も透明だった」と、
冬眠「あの時の透けて凛とした君」は対応していそうです。
「凛」には、寒さの厳しいさまという意味もあります。
冬眠は透眠で、冬に凍って透明な氷になったのかなと。
「透過して」=溶かして
冬(とう=透)が過ぎ、氷が溶けて春の水になると思いました。
ただ君に晴れ
『ただ君に晴れ』の英題がCloudlessなのは、『雲と幽霊』を意識してる気がします。
両曲ともバス停で空を見上げていますし、
「口に出せなくても僕ら一つだ それでいいだろもう」と
「何も言わなくたって〜それでもわかるから」が似ています。
5曲目『落下』は、『夏草が邪魔をする』の5曲目『飛行』のセルフオマージュ曲ですし、
7曲目の『ただ君に晴れ』と『雲と幽霊』も対応してる気がします。
「夏が暮れても」=夏隠れても と思いました。
「バス停の背を覗けばあの夏の君が頭にいる」は夏の君が隠れていると取れます。
負け犬の詩の「箱」に隠れてる物は、前世、つまり想い出な気がします。
「君の想い出を噛み締めてるだけ」は、前世(曲)の詩で犬が箱を噛ることに対応してるのかなと。
夢を見る=脳の内側へ向かう=箱の中へ入る
夢から覚める=脳や箱の外へ出る と思うと、
『負け犬にアンコールはいらない』の箱には、夢の中の自分、
大人になると忘れちゃう夢(ヒッチコック)や
「あの日僕が忘れた夢」(準透明少年)が入ってるのかなと。
幻燈のアルジャーノン解説でも、箱の中には「幼い日の自分」が居ました。
前世の自分=夢の中の自分 という気がします。
夏が暮れる=秋めく=諦める(秋らめる) と思いました。
ただ君に晴れMVの雨晴という地名は、義経岩の伝説が由来らしいです。
「絶えず君のいこふ 記憶に夏野の石一つ」は義経岩も意識してそうです。
雨宿り(義経岩の伝説)≒憩う(いこふ) と思えますし。
冬眠
冬眠については、以前の記事に書きました。
アルバム全体について
タイトル『負け犬にアンコールはいらない』は、岸田稚魚句集『負け犬』のオマージュです。
『冬眠』の次が『夏、バス停、君を待つ』なのは、
岸田稚魚『負け犬』の句「バスを追ひ雪の角巻翼ひろぐ」を踏まえてるのかなと。
「雲に乗って 風に乗って」翼ひろぐ、と想像しました。
負け犬(アルバム)の曲は、ペアになってる気がします。
前世(1曲目)⇔生まれ変わりを思わせる歌詞の冬眠(8曲目)
歌詞に「夏のバス停で君を待っていたいんだ」とある負け犬(2曲目)⇔夏、バス停、君を待つ(9曲目)
爆弾魔(3曲目)⇔月が爆ぜるただ君に晴れ(7曲目)
穴の埋め方を知りたいヒッチコック(4曲目)⇔寂しさを埋めるように歌う準透明少年(6曲目)
そう思うと、5曲目を中心として配置がシンメトリーだなと。
「アンコールはいらない」から、対称性を持つ曲順にする事で自己完結した感じにしてるのかなと思います。
おおいぬ座シリウスの別称「天狼星」は、青白い光を狼の目の光に喩えてるらしいです。
『負け犬にアンコールはいらない』ジャケットの目の光は月光と思えます。
心に穴が空いたに「夜を纏った目の奥に月明かりを見る」とあります。
犬になったエイミーは、目に残った月光を頼りにエルマを探すのかなと思いました。
ヨルシカのロゴマークは、「夜しかもう眠れずに」いる夢の中で「夜しか照らさない無謬の光」を見てるから、目の中に月があるデザインなのかなと。
ヨルシカのロゴマークの向かい合う月は、幻月(月の左右にできる一対の暈)のようにも見えます。
幻月は英語でmoon dog なので、
負け犬にアンコールはいらないは幻月を意識してる気がしました。
負け犬CDのジャケ写の目の中に、ヨルシカのロゴに似た一対の光が入っていますし。
人が犬になる伏線は、
「人」に「犬」と書いて「伏」
文字通りの「伏」線 って事だったのかなと。
犬の散歩のリードが人と犬をつなぐ線、「伏線」であるとか。
貴方がいない
貴方がいぬ
貴方が犬
ヨルシカでは、不在が犬の形をしているのかなと。
眠りの中、夢の中でもう居ない人に会う
寝子が居ぬ人に会う
ネコがイヌに会う
猫と犬にはそんな意味もある気がしました。
負け犬(アルバム)の生まれ変わりや箱というキーワードから、京極夏彦さんの魍魎の匣を連想しました。
魍魎の匣では、
月光は太陽光を反射した、死んだ光だから、生き物は月光の中でだけ生命の呪縛から逃れられる という話があって、
ヨルシカの月光と繋げて考えられそうです。
匣の中から聴こえる声が「鈴でも轉がすやうな」と表現されている事が、『前世』(曲)の鈴の音が鳴る箱に似ていて、
人間を辞めて匣を持っていく人が、
『前世』(曲)のかつて人間だった動物に似てるなと。
ナブナさんが魍魎の匣をオマージュしたかは分かりませんが、推理小説を読まれるそうなので、あり得るのかもと思いました。
以上です。
お読みいただきありがとうございました。