この怖さは期間限定ということを教えてくれた 『ナナメの夕暮れ』を読んで
噴火直前の山のような地響きがして、不穏を表すプラスチックのにおいが漂う。台風の時に聞こえるような凄まじい風圧の音が、閉ざされた逃げ場のない空間に広がり壁を伝って循環する。その音が、お尻の下のシートから聞こえてくるのか、頭の上から聞こえてくるのか判別がつかなかった。私は背中が背もたれと同化して、腰がシートに埋め込まれるような感覚の中、斜めになった地球を窓から見ていた。外は明るいが日が落ちかけていて、街並みがピカピカと光り始めていた。私以外は皆平和のようだった。サンダルを履いていたので足元は涼しかったが、温度とは関係なく足の裏からは汗が止めどなく出ており、この気持ち悪さを増長させていた。その汗を上から踏みつけるように踏ん張り、ふくらはぎは固定され、胃腸の中心はその気持ち悪い浮遊感に沸騰をしているようだ。肩はがちがちと締め付けられ、視線は窓の先一点から離すことができない。生き延びる為だけに、呼吸をしていた。飛行機が離陸したところだった。
しばらくして背中が背もたれから解放され、いつもの重力とはやや違和感の残る程度まで安定すると、どこからか手のひらを出してきて、膝の上に乗せた。お腹の上には文庫本をひとつ置いていた。そこから少し温かいものを感じとる努力をする。意識的に息を吐いた。大丈夫、初めから十分に温かかった。手のひらの汗が本に移らないように、太ももの辺りのズボンの生地に手のひらを押し付けて何回か往復させた後、両手の指で丁寧にそれを摘まみあげる。
お腹を温めてくれていたのがこちらの一冊だ。若林正恭さんの『ナナメの夕暮れ』。旅先の本屋で購入し、旅の前半部分ですでに読み終わっていた。私は車内の内側に目線を向け、そこに平和が流れていることを確認し、心がある程度落ち着いたころに、目的の箇所(事前に栞を挟んでいた)をめがけて本を開く。
若林さんが幼いころから感じていたあらゆるものに対する怖い気持ちが綴られている。私が思うに、"なぜ"というところには『他の人は怖くないのに』という意味が含まれている。皆が怖いことを怖いことに対して、人は疑問に思わないからだ。私はそこに"飛行機"という文字を発見し、わずかに興奮して再読する。
まさに今の私の気持ちを代弁する文章だった。周りを見渡せば自分以外に誰も怖がっている人はいない。それが不思議なのだと綴る。離陸前に眠る人を"豪傑"と示されていた。私も同じだった。事前にその話を今隣で寝ている相棒に話したが、全く共感されなかった。寂しい気持ちにはならなかった。同じことを思っている人が、この世にいるということだけで十分幸せなのだと気づいた。この話には続きがあり、ハッピーエンドを迎えることになる。
若林さんは、30歳の頃飛行機が怖くて、このエッセイを書いた37歳の頃には飛行機が怖くなくなっているようだった。7年。簡単な引き算をして、自分に同じ希望を当てはめた。あと7年もすれば、飛行機が怖くない世界が待っていると思うと、この怖さも愛おしいとさえ思える。期間限定だと思った。今の怖いという気持ち、繊細な心のブレ、なぜと思う思考、すべて期間限定。経験を積むことで、次第に無くなっていくものなのだ。いつもぜいぜいと息を切らすような生き方をしていたものだから、このことに気がついて、ふっと心が軽くなった。そして未来がとても、今よりももっと、楽しみになった。飛行機が怖くない世界、非常に素敵である。たくさん経験して、期間限定を楽しんで(おそらく楽しむ余裕は無いだろうが)、次の世界へ向かって行こうではないか。とても心が強くなったような気分がした。飛行機は私の祈りが通じたのか、またはただの偶然で、ほぼ揺れず、無事に羽田空港に着陸する。ひとしきりかいた全身の冷や汗が、普通の汗より臭いのが気になった。しかし無事に着陸した喜びがはるかにそれを上回っている。文庫本をカバンに入れて、ペットボトルの水を飲む。ふと目線を移動すると、隣の相棒が心配そうな顔つきでこちらを見ていたことがわかり、期間限定の幸せを笑顔で表した。